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学びを止めないために叩くもの

「文字通訳をしています」と言うと、大抵「何ですか、それ」と言われる。

英語通訳、手話通訳・・・色々なところで通訳という言葉は使われているが、文字通訳は有名でない。
かく言う私も、身近に聴覚障害者がいなければ、知らなかっただろう。


文字通訳とは聴覚情報の取得が難しい人のために音を視覚情報に変えることだ。要約筆記とも言う。
4年ほど聴覚障害のある学生のため、パソコンを使って講義音声をその場で文字におこすボランティアをしている。

「えー、教育を受ける権利は、憲法の26条によって規定されています」という言葉も、文字通訳にかかれば『教育を受ける権利は憲法26条で規定』となる。(実際はもう少し複雑だ)
ただ講義をまとめればいいわけではない。雑談や指示など、講義の空気を漏らさず、簡潔に伝える必要がある。
そのため、タイピングの練習や講習に参加し、精度の向上を図っていた。


そうは言っても漏れはある。
雑談が多い先生の講義を担当したときのことだった。
雑談だから、当然レジュメには書いていない。
洪水のように押し寄せる情報を必死に文字に起こすけれど、指が追いつかない。きりがいいところからと、体勢を立て直したときには雑談が終わっていた。
このとき、支援対象の学生は話について行けず困惑したに違いない。
それでも講義終了後に彼女は『ありがとう』と右手を上げ、私は余計に申し訳ない気持ちになった。彼女は怒ってもよかったのに。
それと共に、より安定的に情報を伝達できる仕組みが必要だと思った。


技術の進歩によって、障害者の学習参加のハードルは下がっている。
一方で、人力に頼っている面が多く、カバーしきれない面も大きい。
支援の質は支援者に依存していて、私のように取り返しの付かない場合もある。支援者の育成も時間がかかる。AIを活用した技術もあるが、専門用語の誤認識も多い。
講義の提供者も、受講者もやる気があるのに、二人を繋げるパイプに欠陥がある—これは問題だ。
障害があるというだけで、学びが妨げられてはならない。


人間は聴覚で約1割の情報を知覚するという。一見、少ないかもしれない。
しかし、その一割には講義中の雑談のような大きな意味のある情報が詰まっている。


障害の有無に関わらず、等しく学べるように。未来の情報伝達に関わる活動を行いたいとIT企業の門戸を叩いた。
同時に、現在の障害者の自己実現の手助けになるため、今日もキーボードを叩いている。

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