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FAT#02 これからのものづくりのために、どう修業する?

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第2回「Future Architects Talk」では、建築、都市計画、プロダクトデザインなどのフィールドで活動する4名の登壇者が集い、『これからどう修業するか』をテーマに議論しました。会場となった「富士見台トンネル」にお越しいただいた十数名の方、そして、富士見台トンネルを設計・運営していらっしゃる建築家 能作淳平さんを交えた白熱した議論の様子をお楽しみください。

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※Session 1で「それぞれの修業」というテーマで登壇者4名のこれまでの活動についてプレゼンをしてもらった後、Session 2で「それぞれの修業に潜むリスク、それをどう克服するか」というテーマで語ってもらった。以下、Session 2での議論からの抜粋。


01.「暮らしがどうあるべきなのかをみんなが考え始めてる」

―――――  これまで「それぞれの修業」と題して4名の登壇者皆さんの活動を紹介してもらいました。それぞれの活動であったり考えていることが違ってとても面白かったです。しかし、それをシェアするだけだと『みんな違ってみんな良いよね』になってしまう。修業のあり方の多様性を認め合った上で、この4人がお互いのことに踏み込んで話すために、それぞれがかかえる不安だったり、自分が進んでいく道に潜んでいるリスクなどについて話していただきたいと思います。


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水野:(PAS-t 共同代表, t-sa パートナーアーキテクト)
僕は、大学院在学中に休学して1年間フィンランドの建築設計事務所で働いていたんですけど、そこでは自分という個が尊重されている感覚がすごくあったんですね。その後、日本に帰ってきて大学院を卒業したときに、どこかの会社に所属してその会社の仕事をこなしていくことに違和感があったんです。

自分がFATのような会を企画していることも、他の活動も全部含めて『自分はこういう人間で、あなたの会社にこういう利益をもたらせると思っている、だから一緒に仕事をしましょう』という関係が結べたら生涯ずっと楽しいんじゃないかなと思ったんですね。なので、あえて社員ではなくパートナーとして契約を結んで働こうと思いました。

―――――  大学院を出ていきなり個人で働くというのは、技術を身につけるという点では設計事務所に勤めるのと大きく違いがあると思うんですけど、いわゆるアトリエと呼ばれる設計事務所で働いている横尾君から見て水野君の働き方に対して思うことは何かありますか?


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横尾:(山本理顕設計工場 所員)
アトリエ事務所っていわゆる組織事務所とかと比べて、ものすごく短期間でプロジェクトを任されて、全て担当するんですよ。最初の基本設計から実施設計、現場監理、全部。そういった経験だったりスキルを短期間で得られるスピード感っていうのはアトリエのすごいところです。一方でいま水野君が考えてるように建築設計をすることにおいて、設計技術を修得するっていうことだけが必ずしも建築に関わるということじゃないっていうのは次の時代の働き方としてひとつあると思います。ただ、設計実務を経ないとできない能力や、建築家の元に「弟子入り」することが過去のものになったわけではないはずです。だからこそ、これからの建築への関わり方としてどのような展望を持っているのかが気になります。

40歳とかになってから「もう1回建築設計をやります!」って言って技術と経験を得るのは相当難しいと思うんです。建築としてのちゃんとした品質を担保できる力を得るには若い頃にどっぷり浸からないと無理なんだと僕は思っています。逆に言うと僕も覚悟していて、20代で建築設計にどっぷり浸かってそれしかできなくなっちゃう可能性はある。僕が聞きたいのはどこまで腹くくってんのかということですね。これまでの建築家も次の時代にどう作品をつくるか、どう働くかが見えない中で覚悟を決めてやっていたはずです。これまでと別の道を行くっていうのはどういうことなのかを聞きたいです。 

水野
建築も、ものづくりも、それが生み出される環境とか状況が前提にあるじゃないですか。自分はそういったものづくりの環境や状況っていうレベルから設計できる人になろうという覚悟があります。だからこそ、雇用の関係だとか組織のあり方っていうものをひとつずつ疑い、デザインしながら自分のキャリアをつくっていこうとしています。たとえば、今結んでいるパートナー契約は、プロジェクトが終わった最後に受け取るはずの報酬を想定して、先払いしてもらっています。その中で自分の生活をやりくりして、仕事をする時間も仕事の内容も全部自分でマネジメントする形です。プロジェクトが終わった後に自分の仕事が足りないと思われたら次の契約はない。そういう仕組みを一旦つくってみたんです。こういう経験が将来組織をつくる時に活きてくると思っています。


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三文字:(合同会社流動商店 共同代表)
今の話をきいて大きく2つ思ったことがあって。うらやましい話ともうひとつはやべえなって話。羨ましい話としては、僕たち都市計画の分野ってアトリエが少ないんですよ。アトリエに類する都市計画事務所でうまく個人でやってるところもあるんですけど、実績がない限りいきなり都市計画の仕事をバンバン取れるわけではないので、独立しづらいんですね。かといって都市計画コンサルとか大きい会社でやってるのは上流の都市計画で、そこに入ってバリバリ都市計画に携われるようになるのに10年20年。建築の人たちがアトリエに入ってゴリゴリやって5年だったり10年で独立っていうコースが存在する事自体が羨ましいと思っています。

だから僕は、都市計画をしっかりやるアトリエ事務所みたいなものを実験しながらつくってみているつもりです。僕の事務所はいまは実績のある大きな都市計画事務所と JV を組んで仕事をするって方法をとっていて、結果的に小規模事務所でありながら都市計画に携われているかなと思っています。

やべえなっていう方の話は、水野君が今やろうとしてる事って俺がこれからやろうとしていることなんじゃないかっていう気がするんですよ。水野君だけじゃないけど、建築の方々がこれまでの枠を超えて建築設計じゃないことをやろうとしてるわけじゃないですか。それは我々都市計画が我々の世界でやろうとしていたことの延長と全くかち合っている。それは良いことなんですけど、ガリガリ設計できる人たちがこちらの職能にも踏み込んできているのは、ある意味すごく脅威に感じます(笑)。要するに、みんな色々考えて建築単体だったり都市計画だけでなく、包括的に人々の暮らしがどうあるべきなのかといったことを考え始めているということですね。その辺がどう融合していくのかが楽しみだなとも思うし、都市計画の教育を受けてきた人間としては脅威だなとも思います。


02.「修行のための環境をどう選ぶか」

―――――  野村君は建築を学んだあとにプロダクトデザインも含めもう少し広い意味でのデザイナーとして活動していますよね。自分の修業について何か思うことはありますか?

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野村:(Node Collective KYOTO 共同主宰)
僕は大学で建築設計を学んだ後にある国際産学連携プログラムに参加して、多分野多国籍なチームでものづくりをガッツリするという経験をしました。そこでは9カ月かけて水上を走るセグウェイを開発したんですけど、その後しばらくスポンサーの企業と一緒に量産化のところまでやらせてもらったことがあったんです。その時に強く感じたのは、プロジェクトが一度事業化の流れに乗ると、僕たちが自由な環境でやらせてもらった「0から1をつくる」ことの価値って事業化のフェイズではあまり認められなくて、「ちゃんとビジネスにする」ところが社会的インパクトとして評価されるのを目の当たりにしたんですね。つまりそこで土俵がガラッと変わったように感じたんです。事業化の中でデザイナーとして、開発チームとしてうまくプロジェクトを先導できなかった歯がゆい経験でもありました。

そうならないためにも、僕らがやってるものづくりは戦略の部分から製造の部分までのオーバービューを見つつ、どうやって実際に使い手のところまで流していくかっていうとこまでがメイン領域であるべきなんです。これを達成するときにキーになるのは「対等で個が立っているチーム」だと僕は思っています。僕がインターンで働いていたイギリスのペンタグラムというデザインコンサルの会社の経営方法とかチームづくりを参考にして、自分たちのデザインチームをつくっている最中なんですが、いきなり50年の歴史を持つペンタグラムのようにはいかず、なかなか難しいです。今はそこからどう動くかっていうのを考えるフェイズですね。

―――――  いきなり起業して、チームをつくるっていうことをやる中で、企業に就職するという道は考えなかったんですか?

野村
考えてないわけではないです。今いろんな形の組織があって、僕はとある Web デザイン系の会社にプロデューサーとして1回就職内定が決まったこともあったんです。だけど、そこで自分がやろうとしているチームづくりとフルタイム勤務の両立は難しいと直感的にわかったし、デザイナーとして海外でキャリアをつくっていきたいという気持ちもありました。なので最終的にやめておこうということにしてお断りしたんです。イギリスでフルタイムで働いていた時にもどうしても傭兵感があって自分のデザインやチームづくりにフルコミットできない状態が続きました。結局、何か抱えてるものとか、やりたいこととか、可能性を見出してる中ですごくコミットを求められるフルタイムという状態は僕には無理があった。やってみないと上手くいくか分からないですから、僕はやってみようと動いている状態なんです。

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―――――  今の話は、どう自分の時間を確保できるかっていうことだと思うんですけど、これも登壇者それぞれ違う状況ですよね。

横尾
僕は今自分の時間は0時間です(笑)。ほぼ365日、朝起きて、事務所行って、家帰って、ベッドに向かって死ぬ(笑)。何か他にやりたいことがあるから事務所の仕事時間を削って自分の時間をつくるというのではなく、僕は5年なら5年、そこに浸かるしかないかなと思っています。サイドワークとか、あるいは独立に向けて自分の助走期間みたいなのを設けてやっていくべきか、どっぷり浸かっちゃうのかっていうのは人によっても違うと思うけど、アトリエ事務所に行くってことはもうある意味信者だから、そこで得られる100%を搾り取りたいんです。信者じゃなきゃこんな働き方できないですよね。

―――――  能作さんもアトリエ設計事務所での勤務を経て建築家としてご自身の事務所をつくられたと思うのですが、当時を振り返るとどうでしたか?

能作:(建築家, JUNPEI NOUSAKU ARCHITECTS, 富士見台トンネル運営)
僕の当時の生活は、、、ノーコメントで(笑)。今は全く違うんですけど、当時は夜中の1時ぐらいから打ち合わせが始まって、議論が始まると2時とか3時とか。そこから、じゃあ明日までに図面書いといてと言われて、図面も模型も作って、4時とか5時とかになって、その後酒飲んでました(笑)。1時間くらい寝てなんとなく午前中に出社、みたいな規則正しいとは言えない生活をやっていました。今思うとどういった体力してるのかと思いますね。つらかったけど、なかなか面白い経験でしたね。当時の僕は正直あまり俯瞰して見れてなかったんだと思う。ガーっとやった方が良いとかやらない方が良いとか、やり方はもう自分に合うか合わないかだとおもうけど、基本的にはどんな環境でも一回どっぷり浸かった方が良いと思います。でも、充実した時間の配分はそれぞれかなと。しんどいけど充実した仕事を数年集中する人もいれば、仕事は仕事と割り切っているいるけど、週末は充実させて自分を高めるというのをゆっくりやる人もいる。大事なのは、充実した時間はどこに確保しているかっていうことをちゃんと理解すればとりあえずどっちでもいいかな。

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03.「クリエイティブなリスクを取る」

(会場からの質問)
デザイナーとしてお金を儲けるってことに対してどんなことを考えていますか?お金を稼げなくてもいいから良いものをつくりたいって人もいるし、お金を稼ぐためにものをつくってるって人もいますよね。

水野
お金は、時間とか健康とかいろんなものを含めた上で今幸せかどうかっていう視点で扱えたらいいと思っています。ものを作りたい人は、ものが作れる状況を維持できれば幸せなんですよね。そのために必要十分のお金がもらえてるかっていうことを考えれば、自分は今は大丈夫かな。お金があれば幸せかっていう話になっちゃうと思うんですけど、たくさん持つことが幸せという価値観が変わると、ものづくりの人たちの置かれてる状況も変化して行くんじゃないかな。

横尾
たとえば設計料ってことでいうと、日本は海外と比べて設計料が低い。大体建築家の設計料って10%くらいだけど、たとえばスイスだと場合によりますが20%くらい。これは日本ではまだまだ建築家に対する社会からの信用が低いってことですよね。「信用・クレジット=お金」になっている状況で設計料をあげろって言うには信用をあげるしかないですよね。だからいかに信用をあげるかが重要な時代になっています。お金を稼ぐためだけに建築をつくろうとしてもいい作品はできないだろうし、一方でやりたい建築が自由にできる環境はまずないです。施主との信用の築き方、ひいては社会との信用の築き方が今後の建築家の在り方、振る舞い方を決めていくと思います。

野村
何が社会にとってお金になるか投資対象になるかって、ハイパフォーマンスを出せる状態を作っているかどうかだと思うんですよね。だから一回良いアイデアが出たからってそれでずっと行けるわけじゃなくて、もちろん知名度とかブランドアップには繋がりますけど、基本的には自分が一緒に働いてて楽しくて、かつ社会にとって目指すべき先進的なビジョンを共有できているチームを維持させていくことの方が一発アイデアを出してプロジェクトをやるよりはるかに難しい。そういう状態が長続きしてる集団であることが社会的に価値だって認められるし、投資されるべきと僕は思っています。

あと、お金の話でいうともうひとつ。観光などのサービス業をやると感じるんですけど、時間に対する換金がものづくりより早い。コミットした時間に対して即座に対価が払われる。ものづくりっていうのはちょっと遅れてキャッシュとして入ってくるし、信用も遅れてついてくるし、そこのギャップはやっぱりある。その中でどうやって大きな企業とか大きな名前の傘を借りずにできるのか。ちょっと曲芸的な相当難しい話なんだと思います。それをどうしていったらいいかっていうのは僕の今後の課題でもありますけど、個人とチームの活動を両立していける環境を選びとってく、あるいはつくっていくっていうのは大切だと思います。

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三文字
僕は博士課程と起業という環境を選びましたけど、僕の博士課程進学って起業のリスクヘッジなんです。起業ってあきらかにリスクじゃないですか。で、博士課程に行った理由の一つはお金もらえるからなんですね。今大学の博士課程に進む人は減ってて、大学側も博士課程に行く人をどうやって増やすかということをめちゃくちゃ考えているのでいろんな奨学金があるんです。基本的にはそういう奨学金ってもらってる時に起業とかしたらいけないんですけど、探せばあるとこにはあるんですね、起業してもいいやつ(笑)。なのでそれはもうベーシックインカムだと思って自由にやらせてもらっています。まじめな話、これはある種社会の歪みの中から生まれた良い起業のインキュベーターの仕組みのひとつなんだと思います。一方で今博士課程に行ったところで就職先がたくさんあるわけじゃない。だから逆を言うと起業は博士課程のリスクヘッジでもあるんです。要するに、どうリスクヘッジして、その間にやりたいことでどうお金をまわして食っていけるようにするかってことですね。

会場
リスクを背負うということ自体がお金をもらわなきゃいけないと思うんですよ。ただ、お金もらってその仕事にどれだけコミットするかっていうのはもうそのプロジェクトへの愛でしかない。面白くしたいから寝ずにやるっていうこともあるし、時間をかけて結果的に大赤字になったとしてもやるんですよ。その時に設計料をあげるっていう話は単純にはできなくて、その中でよりお金をもらうためにはどうしたらいいかということを考える。能作さんの今のこのお店もそうだと思うんですけど、何か他の職能で小さなお金を貰える仕組みが今後重要だとすごく思っています。「お金を稼ぐ」ってことは向き合わなきゃいけないテーマですね。

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能作
お金とリスクについて富士見台トンネルの話が出たので少し話しますね。まず、
リスクテイクの能力が高い人って面白いことやってるなって思うんですよ。責任感が強いということもあると思うんですけど。やたらめったらリスク取るのってあんまりよくないなと思っていて、リスクを回避するのは、あまり物事を創造できない。でも無駄なリスクって本当に意味ないじゃないですか。面白いことをやってリスクを取る中で無駄なリスクをなくすために、自分が面白いと思っていることを届けるべき人に届くようにしないといけないと圧倒的に思うんですよね。そういう機会を待っているのではなくて、どうやってつくろうかと思った時に、ここ(富士見台トンネル)がそれなんです。考えをある程度共有したファンをつくっておけば次にもっと有意義なリスクを抱えられるんですよ。一緒に戦えるというか。クリエイティブなリスクを取れるっていう状況を事前につくる**っていうことが大事かな。そうするとお金は自然と回っていく感じはします。

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【FAT#02の後日談】
After FAT#02 interview の記事はこちら!
FAT#02でお世話になった建築家 能作淳平さんにインタビューしました!
https://note.com/past_fat_2019/n/nb29f9c0a91ba


【日時】
2020/2/23(日)

【場所】
富士見台トンネル
(JUNPEI NOUSAKU ARCHITECTS http://junpeinousaku.com/info/))

【登壇者】
水野泰輔 #Architecture :
PAS-t 共同代表, m-sa パートナーアーキテクト

横尾周 #Architecture :
山本理顕設計工場 所員
http://www.riken-yamamoto.co.jp/

野村涼平 #ProductDesign :
Node Collective KYOTO 共同主宰
https://ryoheinomura.com/

三文字昌也 #UrbanDesign :
合同会社流動商店 共同代表
http://ryudoshoten.tokyo/

【モデレーター】
池上彰 #Architecture :
PAS-t 共同代表, TERRAIN architects 所員
https://terrain-arch.com/

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