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映画「クラウド・アトラス」~雲の象徴とは何か? 輪廻転生の物語~

「行雲流水」という禅語がある。行く雲や流れる水のように、何事にも捉われずに自由自在に変化する姿を表した言葉であり、「諸行無常」の世界観を表現した言葉でもある。

 題名の「雲(クラウド)」は何を象徴しているのだろうか? 
 この映画の原作者は、オノ・ヨーコの前夫である一柳慧(とし)が作曲したピアノ曲「雲の表情」(英題「クラウド・アトラス」)に触発されて同じ題名にしたと語っている。

 一柳慧が師事した前衛作曲家のジョン・ケージは、仏教学者の鈴木大拙を通して禅に深く影響を受け「偶然性の音楽」を確立したと言われている。師の音楽性の背景に禅の教えがあることを、一柳慧は深く理解していた。彼のピアノ曲に仏教的なニュアンスを感じたとしても不思議ではないだろう。

 では、一柳慧のピアノ曲にインスピレーションを受けた原作者に東洋思想の素養があったのか? 仏教の唯識思想を核にした小説「豊饒の海」(三島由紀夫著)を、原作者は「私のお気に入り」だと賛辞している。

「豊饒の海」は転生(生まれ変わり)がテーマだが、小説「クラウド・アトラス」もまた同じテーマなのだ。比較文学の修士号を取得している彼だからこそ、当然物語の背景にある思想や哲学について調べているかもしれない。ピアノ曲「雲の表情」に、自らの小説で伝えたかったテーマを感じ取った可能性は充分ある。

 原作を映画化したいと熱望したウォシャウスキー姉妹監督もまた東洋思想に造詣が深く、姉のラナ・ウォシャウスキー監督が映画「マトリックス」の中で主人公にカンフーを教えた演出について、「カンフーを選んだのは、それを支える道教や禅の思想に共感するからだ。特に最新物理学との共通性について書かれた『タオ自然学』などを読んで魅了された」(『映画秘宝』の町山智浩氏インタビュー記事より)と語っている。

 映画は時代や場所も違う6つの物語で構成され、主人公のトム・ハンクスが様々なキャラクターに生まれ変わりながら魂の変遷を繰り返す姿を描いている。彼以外の俳優たちも特殊メイクを駆使して人種や年齢、性別も違う役をそれぞれの物語で演じている。
 特殊撮影やメイクに心を奪われるが、この映画の魅力は示唆に富んだセリフにあるのだ。

「命は自分のものではない。子宮から墓まで人は他者とつながる。過去も現在もすべての罪が、あらゆる善意が、未来を作る」「しずくは、やがて大海になります」など、深く心に響く言葉で溢れている。映画「マトリックス」でも哲学的な台詞が多かったが、作品のテーマについて理解するためのキーワードかもしれない。
「雲の象徴」について考える手掛かりが中世文学にもある。「諸行無常」の世界観が浸透していた時代に生まれた和歌である。

 「あはれ君いかなる野辺の煙にて むなしき空の雲と成りけむ」
  (『新古今和歌集』)

 上記の歌を引用しながら、哲学者・久野昭はあるエッセイで次のように述べている。
「山辺の煙は一気に天極を目指しはしない。ゆっくりとたゆたいながら、それでも空に上がって、いつしか雲になる。煙と雲との境は定かではない。(中略)ここで、日本人にとって煙ないしは雲が魂の象徴としての意味を持っていたことを、思い出していただきたい。」

 映画のキャッチフレーズは「いま、『人生の謎』が解けようとしている。」だが、この映画の「謎」を理解するためには、禅を含む東洋思想の素養が鍵を握っているのだ。


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