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ロシア人島民から見た北方領土―クズネツォフ-トゥリャーニン氏 インタビュー 2013年①―

アレクサンドル・ヴラディーミロヴィチ・クズネツォフ-トゥリャーニン
(Александр Владимирович Кузнецов-Тулянин)

1963年生まれ、作家、ジャーナリスト。’90~’00年代のソ連・ロシアによる実効支配下の国後島漁村を舞台とした民俗小説『異教徒』(ロシア語原題 ”Язычник” )を2003年に発表、2006年 出版。
ロシア国内にて複数の著名な文学賞にノミネートされる。

写真引用 

以下、2013年8月29日掲載 同氏インタビュー
Литературная Учеба «ПЕРСОНА НОМЕРА»
一部抜粋、要約。ロシア語原文

 Q. 作品『異教徒』には多くのファンがおられますね。ご自分の人生の大部分をクリル諸島で過ごされたとのことですが、アレクサンドルさんにとってクリル諸島とは何ですか?

 A. お褒めいただきありがとうございます。自分には2つの故郷があると考えています。生まれはモスクワから南に165kmの町、トゥーラです。その後、両親の仕事の都合で極東地域に移り住みました。私の人生の半分は、大陸と島々の行き来でした。学校は6つ転校し、どちらの地域にも同級生や友人が何100人とできました。 モスクワ南西のカルーガの田舎で兵役についた後、またクリル諸島に戻ってきました。

 「1か所に定住する人間が見るのとは違った色彩の世界を見ることができた」という点で、自分は運が良かったと思っています。そしてもちろん、クリル諸島は私にとって、自分の心からを引きはがすことができない場所です。クリル諸島とのつながりは、私たちの家族の中で完全になくなってしまったわけではありません。島々の古き友人たちとは、今でも電話で連絡を取り合います。

 クリル諸島が自分の人生の中に存在してくれたことには、とても感謝しています。私が島々への恩返しとしてできたことは、ちっぽけな本を書くことくらいでした。しかし、その中に島での幾千もの思い出を反映させることは、してもしきれなかったと思います…。

画像 https://www.livelib.ru/book/1000175719

小説『異教徒』は島々とのお別れの数年後、トゥーラに戻ってきてから書きました。本そのものはクリル諸島まであまり運ばれなかったようですが、舞台となった国後島では『異教徒』の電子書籍版が出回ったようですね。島の住人たちが興味を持って読み、小説の中に知り合いはいないかと探した、という話を聞きました。また、この作品にはテーマがなく、細かい描写や何かの軽い暗示のようなものがあるのみで、意味がよく分からなかったという感想もいただきました。

 Q. 作品『異教徒』を民俗小説と呼ばれていますが?

 A. 民俗小説というのは、世界から切り離され、寄せ集められた何10もの人民が、島という小さな空間的な釜でスープのように煮えるのを観察しようという考えを込めました。

拙写 国後島 2015年 7月

 Q. クリル諸島はロシアの大地でも、我々ロシア人の生活のひとかけらでもないのでしょうか?

 A. クリル諸島に住んでいるのは、ロシア民族だけではありません。ウクライナ系の住民は、おそらくロシア系よりも多いです。ユダヤ系、タタール系、バルト海やカフカスの民族が少しずついて…まったく奇妙な混合ですよ。ですから、クリルはロシア民族の土地(земля русская)というよりは、ロシア連邦の(российская)土地とお呼びしたほうが良いのでしょう。

 そこで煮あがった民族(エトノス)はロシア民族ではなく、ロシア連邦の民族なのです。80~90年代の国境、クリル諸島において、そこに住む多数の国籍の者同士が喧嘩をしなかったのはなぜか。それは、クリルの地が皆にとって新しい大地に思われたからです。根無しの、墓もない土地。だからお互いの交流を通じて、住民たちはその地を自分の地に仕立ててゆきました。

 だからクリル諸島というのは、ある観点から見れば、我々ロシア人の生活のひとかけらとも呼べるし、別の観点から見れば、特異なひとかけらであるとも言えるでしょう。

 思うに、流動的な多民族性の燃える今日のロシアは、クリル諸島の忍耐、というより善隣関係を見習うべきなのかもしれません。ちなみに言うと、クリル諸島では、今日に至るまでもドアに鍵をかけません。ある人が出かけるときに鍵穴にさしておくのは木のかけらだけ。これで十分なのです。

 作品『異教徒』で私は、「転換期」におけるこの小さな新民族を発見しました。かつてのソ連の国家機構が崩れ、新しい秩序はまだ形成されておらず、生活がひっくり返りました。当時は帝国全体が苦難の時代を経験し、あのような遠くの辺境では状況はさらに悪く、血の流れた辺境もありました。あの時代に、私の家族を含め、多くの人がクリル諸島から逃げました。

 今日、もちろん状況は大きく変わりました。私の知る限りでは、島々での生活は少しずつ軌道に乗っています。たくさんの人が新しい状況にも適応して、島々に戻ってきました。私はこの新しい生活について、もはや詳しいことは知りませんが。

 Q. アレクサンドルさんは個人的には、クリル諸島の領土問題と日本の要求についてどのような立場ですか?今後どうなるとお考えでしょうか?

 A. 日本との対立については、日本の妖怪、あるいは日本人自身が呼ぶところの「オバケ」(обакэ)が90年代にはまだ常に見られていたということを否む気はありません。ひょっとしたら今でも見られるかもしれませんね。でもそれらすべて、幻は幻ですから。

 何かの記念碑、墓地、砂から突き出た鉄片、密猟者のスクーナー、古びた土台、硫黄の工場の廃墟、農業経営の土塁…。もうとっくに日本との関係を失った島における、ロシア連邦の世界で、これらのオバケが解けて小さくなり、消えるのです。

 クリル諸島の日本への引き渡しの可能性は、私にとっても、全クリル島民にとっても、現実味のないことのように響きます。そうなったら数万人の島民たちはどこへ行ったらいいのでしょう、彼らにとってクリル諸島はふるさとなのに。島民たちの家はどうなりますか、家族関係は、その築いてきた基盤はどうなりますか。自分たちの小さな国家を愛す、クリル諸島の住民の、祖国への偽りなき愛はどうなるのですか。日本への島の引き渡しは、政治的な戯言に過ぎません。実現を試みる段階ともなれば、大きな悲劇を引き起こすに違いありません。実際に、クリル諸島の運命は100パーセント、ロシアの力に委ねられています。島々の強制的併合が可能であるとすれば、それはロシアが致命的に衰退し、崩壊する場合に限るでしょう。 

インタビュー:アレクセイ・ワルラモフ

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