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ズレイハは目を開く

ズレイハは目を開く
Зулейха открывает глаза

ヤヒナ・グゼリ 2015年
Яхина Гузель

大戦期ソ連の田舎。地獄のような強制送還の生活の中で、タタール人女性ズレイハが見出すのは人のやさしさと愛。ロシアで今話題の、感動を呼ぶ小説。

参照

あらすじ

1930年、タタール共和国の静かな村、ユルバシ。ズレイハは従順な妻で、厳格な夫とわがままな 姑のご機嫌をとるのに精を出す。また墓参りをして、死んだ4人の娘たちの魂をなだめること、正しい方法で蓄えた家庭用の食料とこれから撒く種を『赤のタタール人』から守ることに努めている。赤のタタール人とは、赤軍、社会主義者、コムソモール員、全権委員、ボリシェビキ、武装食糧徴発隊などを指し、奴らは無数にいる。全てを牛耳ろうとし、農民たちをただ餓死に追い込む奴らだ。だが、ズレイハの努力は実らない。村の者たちは所有地のことでズレイハの夫を妬み、一揆を起こすことになったのである。

ズレイハは家と家族を失って独りになり、「敵」である何千人もの他人と共に旅路につくことになる。彼らは特別移民で、2日に1回昼食代わりにお湯だけを飲み、ウラル山脈を越えてアンガラ川へと、国中を旅した。「新しい社会における生活に、労働をもって真に奉仕する」ために。

医学教授ヴォリフ・カルロヴィチ・レイベ、革命の遺訓に忠実な、国家政治保安部職員イヴァン・イグナトフ、レニングラードの「在りし人たち」、そしてシベリア、極東、カザンの強制労働で決起した、あるいは消えていったたくさんの、たくさんの人たちとの巡り合わせによって、緑の目をして小柄な、無教養なタタール女性は数奇な運命をたどる…。

2015年、長編小説「ズレイハは目を開く」はヤースナヤ・ポリャーナ賞、ボリシャヤ・クニーガ賞他にノミネートされ、ロシア・ブッカー賞のファイナリストにも選出されました。

画像引用元

作者グゼリ氏より、作品について

「私は自身の祖母の人生に作品のインスピレーションを受けました。祖母が7歳の時、家族を一掃され、アンガラへと強制送還されました。祖母はそこで16年半生活しました。この時期、即ち1930年から1946年を小説の舞台としました。ヒロインのズレイハは祖母がモデルとなっているわけではなく、これは全くの別人です。

祖母への聞き取りは十分にできませんでしたが、これは私の過ちです。今後保存できるよう、祖母の話を全部録音しておくべきだったかなと思います。小説の中には、祖母の実話がもとになったシーンはたった2つしかありません。『荷船』章では、アンガラ川の真ん中で荷船に閉じ込められて何百人もが溺れ死ぬ様子が書かれています。これは実話ですよ。1930年、私の祖母を含む移民のグループが2つの荷船に分けられ、アンガラ川を流されたんです。うち1艘は水面下に沈み、もう1艘に乗っていた人たちはただ茫然と、つい先ほどまで一緒にいた何百人が溺れていくのを眺め立ち尽くしていました。

もう一つの描写は、キセレフ教授がタイガの集落で自分の書いた教科書を使い、祖母に数学を教えてくれた話です。小説の中にはこれをモチーフにしたシーンがあります。主人公ズレイハの息子、ユズハも、学校で教科書を執筆した先生自身から勉強を教わります。

小説の他の部分は、思い付きや歴史的事実を参考としたものです。強制労働収容所総管理本部に摘発された流刑者、移民の回想録で読んだものを参考にした部分もあります。

その性格の悪さからズレイハにウプルイハと呼ばれる人物が登場しますが、これはズレイハの姑です。私にはとても元気な曾祖母がいましたが、何枚かの写真と家族の話でしか知りません。ですから私はウプルイハがどんな外見をしているか、どんな行動をとるかを想像することはできましたが、他の人間像は全て架空のものです。

タタールの色合いはズレイハの人間的成長によって制約されます。最初は気の弱い農民で、自分自身の小さな世界に生き、そこからどこへも出て行きません。ですから、小説の最初にはタタールらしい描写が多く登場します。しかしタタールらしさは徐々に消えていき、小説の終わりにはもう存在しなくなります。なぜならば、ズレイハという人間が大きく変わり、それとともに彼女の世界観も変わるからです。当初はズレイハをもっと年上の設定にしていました。40歳で孫持ちのおばあちゃんにしたかったんです。でも後に、歴史の進行につれて彼女が変化することを踏まえるともっと若くなくてはならなかったのです。人間は40歳になったら、まずまず変わりませんからね。ですから、私はズレイハを当初より若く設定したのです。

「ビジネス・オンライン誌」インタビュー記事より。

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