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「お母さん」って呼ばれたくない私が母の日に思うこと


十人十色の母の日

昨日、5/10は母の日。自粛生活中でも、プレゼントしたり、ご飯を作ったり、思い出の写真を公開してみたり。人の数だけ、母と子のあり方もあるんだろうなと思う。私も一応、日頃とってもとっても母にお世話になっているので、プレゼントを送った。自分が自分の親に何かしたりするのは抵抗がないけれど、今後、私の息子が母の日を意識するようになったら、ちょっとヤダなーと思ってしまう自分がいる。

何故、母の日がイヤなのか?

考えていくと、まず、ママとか母とか、お母さんって呼ばれるのが本当はイヤ。家族の役割で呼ばれている気がして。名前で呼ばれた方が個人が尊重されるように感じる。それに別に先に生まれて、たまたま子供を持てただけで、偉くも何ともないし。あと、なんか一般に蔓延る「お母さん」的イメージが全然なりたい姿じゃない。いつも優しい、家庭を第一に考える人みたいな。これは自分のステレオタイプなイメージかもしれない。

それに、母の日だ、子供に何かしなきゃ!って思われるのもやだなー…強制的とか、嫌々ほど、意味のないものないでしょー!カード書いたりとかもらったらもらったで嬉しいと思うけど、別になくても大丈夫。それに健康な体で、健全な精神で生きていてくれたら大成功と思う。

自分が思う「母親像」を作って行きたい

書いているうちに、気づいた事。10ー20代のうちは結婚が幸せ、子供を持つ事が幸せと思っていた。実際、うちの母も専業主婦だったし、家にいて家のことをやって、子供の成長が楽しみみたいなところがある。でも、この昭和的な女性の将来像をどこか疑問に思いながらもその洗脳はとても強くて、30歳までに結婚しないと、35歳までに産まないと!みたいな意識があった。運良くなのか、34歳で子供が持てることになったんだけど、やっぱり、普通の「お母さん」になりたくなくて、今に至る。そして、母親という役割を手に入れたことで良い方向に導かれたこと、自分が変えられたことがたくさんある。私は私なりの「お母さん」を作っていけば良いんだなーって、気づいた。お互いに愛情を持って、それぞれが生きる手助けをして、笑顔が少しでも多くなるよう、勤めていきたいと思う。

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