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感情を封じた私が、再び感情を取り戻すために描く物語・・・

みなさまあけましておめでとうございます!
画家になることを決意して早1年が経とうとしている大野です。(人から猛烈に説得されて、画家になることを決意した経緯はこちら

昨年は個展を2回開催し、200名のアーティストが出展する展示会にも出展。
70点近い作品がお嫁に行き、銀座の画廊での展示も決まり、若手登竜門のコンテストで上位10%に残る、など多くの成果をいただいた年でもありました。(売上としても、人一人生きていけるくらいの成果)

今年の2月10日から6日間3回目となる個展を開催する!
のですが、私にとっては今までの個展とは全然違う位置付けの個展になりそう。

一言で言うと、自分がアーティストとして活動していく中での本丸となる企画がスタートする気配。

そこで、今回の個展に込めた想いをしっかりと留めておきたく筆を取りました。ぜひご覧いただけましたら幸いです。

ちなみに、個展の開催情報はこちら


自分の感情がわからなくて、苦しかった日々

例えば私が知人に、「実は私は長い間自分の感情を封じて生きてきたの」なんて打ち明けても、信じてもらえないかもしれない。

自分で言うのもなんだけど、私は「感情表現豊か」に見える人種だと思う。
そして、私自身もまた「自分は感情表現が豊かである」と長年信じて生きてきた。

だけど、一定数の人間が私に違和感を抱き、これまでこんな疑問を投げかけてくれてきた。

・あなたが何を考えているのかがわからない
・本当のあなたはどこにいるの?
・表情をつくらなくってもいいんだよ
・今、本当は何を感じていたの?
・もっと自分の好きにやっていいんだよ

こんなことを言われる度に、一体何を言われているのか掴めない私は混乱し、動揺し、それでも分からない自分に落胆し、隠しながら生きてきた。


ある時、感情のない自分を「発見」し、驚愕した

そんな、実は「能面」だった私の感情や意志を取り戻すために、献身的に寄り添ってくれていたのが、旦那さんだった。

彼との付き合いも、もうすぐ丸9年になろうとしている。
彼は非常に高い洞察力(=本質を見抜く力)を持っており、ほぼ瞬時に、私の持っている本質的な魅力と、表面に出ているもののギャップを見抜いていた。

そんな彼は、向き合いたくないとジタバタしながら繰り出される、私からの過激な「攻撃」にめげず、ずーーーーーーーっと向き合ってくれた。

(正直私だったら、絶対に2年で見限っていたと思う。それくらい私の抵抗は強力だったし、向き合い続けてくれた彼の大きな愛には感謝しかない)

そうやって相変わらずジタバタしながら詭弁(きべん)を繰り出し、「変わらない私」を守っていたのだけど、ふっと、「なんでこんなにも変わることを怖がっているのか?そこに何があるのか?」に向き合ってみた。

その時、本当の意味で初めてご対面した。
「感情を押し殺して生きることを選択したドライすぎる私」を。

人になんと言われようと、感情を封じて生きている自分なんて見たくなかった。そんなサイボーグな自分なんて認めたくはなかった。

だけど、本当に人が変化するとき、それはまず、「現実を直視する」ことからしか始まらないのだと思う。
私はその時、感情を隠して生きる「人間味のない」自分を発見し、本当に驚愕した。

せっかく画家だし、なんて思いつつ、その時の衝撃を絵にした作品がこちら。

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タイトルは『うびゃおっ!』
ずーーーーーーーっっと見ることを避けてきた対象とご対面した衝撃を、絵にしている。
(ちなみにこの絵を絵のメンターに見せたら「冗談抜きにめちゃくちゃいい絵」だと褒められた。アートの真価はうまさではなく、「リアル」にあることを教えてもらった絵でもある)

今思えば、「感情を表現する人」が苦手だった

この事実に気づいて納得が行ったことがある。
私は、感情を表現できる人が苦手だった。
そういう人を見ると

ムカムカしたり
イラついたり
距離が縮められなかったり
ちょっと怖かった

今思えば、「自分が抑圧しているから、出している人に怒りを覚える=自分は我慢しているのに、どうしてそれをやってるの!!」という抑圧あるある現象だったと思う。

何かに怒りを覚えた時、それはときに「自分が抑圧しているものを教えてくれるヒント」かもしれない。ご参考までに。


初めて感情を出した年末、20分間震えが止まらなかった。。。

そうやって、11月半ばに「うびゃおっ!」的気づきがあったものの、では「どうやって感情を出していくのか?」は正直分からなかった。

だけどその封印を解く機会は、不意にやってきた。
(「不意に」なんて書いたけど、きっと自分で招き入れたんだね。これだから人生は素敵!)

自分が企画した年末(12/25-30)のアート合宿でことは起きた。
運営メンバー3人で、明日から始まるアート合宿の最終打ち合わせをしようと思っていたところ、メンバーに問題が発生していた。

ご両親がこの時期に合宿を開催することについて心配しており、そのメッセージのせいで、そのメンバーは非常に心が揺れていた。動揺し、自分の意志を見失いかけていた。

私は、当初から、そのメンバーが運営メンバーに入ることを快く思っていなかった。私の中でそのメンバーは非常に心の揺れ動きやすい人に見えており、メンバーの心が揺れ動きやすいアート合宿において、本当にサポート側としての立場を全うできるのか、不審に思っていたのだ。

かくして、その悪い予感は的中してしまい、怒り(いかり)がこみ上げてきた。(ほら、言わんこっちゃない!一体何をしてくれるんだ!!)

そのメンバーに対して、もう一人のメンバーが、至極真っ当な発言ながら、真の優しさで声をかけている様もみえた。(本当に良い声がけで、感動で涙が止まらないほど、素敵な言葉をかけていた)

その様子をみて、逆に自分の怒りを伝えられると思った。
ここには、しっかりしたセーフティーネットがしかれている。

伝えようと思った。
感情を伝えることが、課題だし。
だけど、伝える前から震えが走る、緊張している。
その震えを前に、自分の中で飲み込もうかと思った。
だって、これはただ自分のエゴかもしれないし。
相手のためと言いつつ、自分のための発言かもしれない。
だけど、伝えた先の未来を見てみたい。

なんていう心の中での葛藤を乗り越え、自分の中にあった怒りの感情を、ドバッと吐き出した。

相手は、何かを受け取ってくれたように思う。
話は続く。

だけど、伝えた後に、
どんどんどんどん。どんどんどんどん私の震えが大きくなってきて、自分の感情を伝えてから3分くらいした後、あまりに震えが大きくなり、話ができないほどになった。

膝も、手も、唇もガタガタ震え、全身の震えが止まらない。
マイナス20度くらいの部屋にいきなり入れられて、震えが止まらないくらい、物理的に止まらない。

メンバーもさすがに異変を感じ、近くに寄ってきてくれた。
手をにぎってくれたり、背中をさすってくれたり、それでも止まらない震えに、自分が一番びっくりしながら、20分くらい、ずっと震えていた。

ただただその症状に、自分が一番びっくりしていた。


感情を出したことによる、果てしない衝撃で開いた扉

なぜそんなにも震えが止まらなかったのか。
これを考えたときに、「ピストルを打ったあと身体に残る衝撃」がイメージとして浮かんだ。

私は銃を打った経験はないけれど、テレビで、銃を初めて打った人が身体に感じた衝撃についてやっていたのを見たことがある。
攻撃したのはこっちだと捉えていても、作用反作用の法則じゃないけど、同じくらいの衝撃が、自分の身体にも残るのだ。

私にとっては、相手に対して真正面から自分の感情を出したことはほぼ初めてだったし、ずっと封印して、流して、取り繕ってきた分、それはもう未知の衝撃だった。

そんな爆発が自分の中に起こったからこそ、ものすごい衝撃だったし、それでしか開けられなかった扉を開けられたように思う。


感情表現する自分をずっと忌避していた

なぜ私はそのメンバーに対してそんなにも大きな怒りを感じたのか。
その時は、純粋にその人に対して怒っていたと思っていたけど、1日経って気がついた。
そのメンバーは、私に「感情の大切さ」を教えてくれるために現れた自分の鏡だったのではないかと。

私は感情を封印してきた。
そのメンバーは、感情を豊かに表現していた。

本当は、そのメンバーに怒っていたのではなく、感情を封じていた私の中にあった抑圧が、怒り(いかり)という形で出ていただけだった。

次の日の朝、私が起きて感じたのは「そのメンバーのことを本当は可愛いって思いたかった」という感情だった。
それすなわち、私は本当は「感情を表現する自分を可愛いと思いたかったんだ」ということに重ね、気づくことができた。

本当の本当の心の底では、感情を表現する自分を、愛しみたかったんだなぁ・・・。


絵が、変わった

合宿が始まる前の「事件」によって、私は自分の感情を大事にする足掛かりをつかむことができた。

それゆえか、合宿中はまるで「感情オタク」にでもなったかのように、自分の感情をずっと見つめていた。

何か発言する度に「今何を感じた?」と自分に問いかけた。
何か欲求が生まれる度に、「それはなぁに?」と耳を傾けた。

合宿中、ずっとそんな風に自分と向き合い続けていた・・・

すると、やはり絵って面白い。
その変化は如実に、描く絵の変化として表れた。

より、自分の心との距離が近くなったことで、無意識に近い状態で絵が表れたり

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繊細に、丁寧に、色やタッチを選び運ぶようになったり

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小さい頃に持っていた童心にかえることができたりした

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絵って、その時々の自分を本当に鏡のように反映してくれて、内省や内観に、本当にぴったりなツールだと感心する・・・


本当は、誰よりも感受性豊かだったかもしれない

なぜ感情を封印したのか?
それは恐らく、私が誰よりも感受性が豊かだったからかもしれない。
という仮説を今は立てている。

2歳半のころ
3歳
7歳

のときに、私には自分の感情を封じなければいけない悲しい出来事があった。感情を封じなければ、幼い自分の心が壊れてしまいそうなほどの危機があったのだと思う。

それゆえ私は、感情を封印し、AIのように生きてきた。

だけど、感情を許した私はとても感受性豊かで、アート合宿中はとことん感動し、よく涙を流し、怒りにも丁寧に向き合っていた。


私だからつむげる「感情の物語」

そんな私は、「感情」をテーマに、今後の個展を開催していくことに決めた。

コミュニケーション本を読んでいると、「実はコミュニケーションが苦手だった」という話を目にしたりする。
私の知り合いで、睡眠の本を出版している方は、もともと誰よりも長時間睡眠で、睡眠に悩みを抱えていた、という。

きっと、最初からできた人の話を聞くよりも、
最初はできなかった人の話の方が参考になるのではないだろうか。

だとするならば、「感情迷子」だった私だからこそ伝えられる物語や歩む道があるかもしれない。

最近すごく感じるのは、感情を大事にする=自分を大事にすることとイコールだということ。

これからの時代、どれだけ本当の意味で、自分を大事にできているかどうかが、幸せの分水嶺なのではないかと思う。

そんな時代の流れの中において、きっと私が描く「感情展」が渡せるものがあるのではないだろうか。

まだまだ感情に向き合い始めた1年生ゆえ、至らない点はたくさんあるかもしれない。
だからこそこのテーマは、1回ではなく、もしかしてずっと向き合い続けていくテーマではないかと思っていて、ブラッシュアップをし続ける予定。

もしよかったら、感情展の記念すべき1回目を、一緒に目撃していただけましたら幸いです。

コロナの感染も拡大しているので、予約制にして、本当に少人数での開催なども考えたりしています(会場はバカ広いので、きっと大丈夫)


最後に、私の最新作で、非常に気に入っている絵を貼って終わります。
タイトルは「内なる強さ」。

合宿の中で、自分の中の「強さ」の定義が変化してことに気づいた。
分かりやすい外面的な力や場を制する力は、自分が本当に欲しいものではなかった。
得たいのは、もっともっと自分の中にある内なる強さ。
きっとそれがあれば、外面的にはむしろ誰よりも優しく映るのではないだろうか。

外側に派生する優しい雰囲気と、
核にある鮮やかで美しい強さ

を表現しました。

内なる強さ

これから1ヶ月、個展まで新作をつくっていきます。
どうぞ、楽しみにお待ちください。

作品はInstagramから😊

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