普通のビジネスマンが、いきなり画家を目指すことになった話
こんにちは、「挑戦者の翻訳者」の大野幸子です。
そう、今までの私はこうやって自己紹介をしていた。
私は事業家の想いを聞き取り、理念や社名、商品・サービス名としてコピーライティングする仕事をしています。
これまでに関わった会社は2年で60社。
私の知り合いは、私のことを「理念の人」と認識し始めて久しいこんなときに、私はある大きな決断をしました。
そうだ、「画家になろう」。
(いや、「そうだ、京都行こう」みたいになっとるやん)
こんなことを言うと「えっ?前からやってたの?」という反応がくる。
うん、そうだよね、その気持ちは非常によく分かる。
だが安心して欲しい、大丈夫、絵なんてやってきてやしない。
ざーーーーーーっくり私のこれまでの経歴を述べると、
高校は福岡県の進学校で「普通科」
大学は慶應の文学部で「社会学」専攻
新卒で入ってやったのは「システムの営業」
2社目でやったのは「マーケティングツールの営業」
起業した会社の領域は「コーチング」
自身が目覚めた天職は「言葉づくり」
・・・・
大丈夫、趣味で絵を描いたりしてないよ♡
最後にまともに絵を描いたのは、そう、みなさんと同じ中学校の美術のじ・か・ん♡
そーーーーーんな私が、どうして絵の道に進もうと思ったのか?
きっかけは、昨年の8月に参加した3ヶ月間のアートプログラムでした。
タイトルがヤバいよね、「Art Youl Soul!」直訳すると「魂を描け!」だよ、シビれるね〜!副題が「自己表現を開放する3ヶ月」・・・
超絶素晴らしいプログラムだから、みんなようチェケラね。(次回開催はまだ未定)
たまたまこのプログラムを知り合いが主催してて、Facebookで私のタイムラインに流れてきました。中身をみて「7秒」で即決したね。ピンときた!自分が受けてもないのに、その場ですぐに知人に「一緒に受けよう!」といきなりメールする位にはピンときた次第。
昔から「絵という表現方法が、自分にとってマッチするのかしないのか確かめたい」という欲求があった。惹かれない訳じゃないけど単純に「分からな」かった。けど、絵が気になるからと言って、近くの「カルチャーセンター」に言って妙齢の方々と絵を一緒に習うことはどうしてもイメージが沸かなくって、機会がなかった。
そうやって思っていた私にとってこのプログラムは、自分にとって絵を描くという行為がどういうことかを検証するのにぴったり!だと思ったので、受けてみることにしました。
うわー、才能ないわ。やっぱり絵じゃなかった
この流れからして、そこで才能に目覚めちゃったと思うでしょ?いやいや、ないない。実際に描いてみて分かったのは、「人の心に触れる」ものを生み出すことのバリバリの難しさ。
このプログラムは本当に本当に素晴らしくって、もういくらでも内面の変化や揺らぎ、得たものを書けるのだけどそれは一旦おいといて、最初の頃の私の絵は「ダサ」かった・・・
一応ね、絵を観るのは好きなのよ。「趣味:芸術鑑賞」とか言ってた時代もあるくらいには、美術館なんかも一人で行ってた。ので、作品の良し悪しはなんとなく分かる。それに、一緒にプログラムを過ごしたメンバーの反応が何よりリアル。“ 良い ” 作品に対しては、なぜかみんなの目が止まる。息を飲む。思わず「 綺麗 」という言葉が口をついて出る。
何が良い作品か、なんて定義は知らないけど、作品の持つ力はそんな形式的な情報を軽々と超えていけることを知った。
だけど最初の方の私の作品は「 綺麗 」ではなかった。
だからダメ、なんてことはないし、過程も含めて表現ではあるけど
「これ、家に持って帰ったら捨てちゃおうかな」なんて平気で考えるくらいのスタートだった。
「やっぱり絵じゃなかったんだ」って思った。
そうだよね、だからきっとこれまで触れてこなかったんだ。
ま、ずーっと絵ってどうかな?って思ってたから、それが分かっただけでもオッケーかな。
絵のプログラムの最初は、多くの気づきがありながらも、そんな風に流れていった。
私は世界にありったけの愛を・・・
なーんて思ってたプログラムも、ターニングポイントというものがあるわけで、というかそれはいきなりやってきた。
仕掛け人?は、このプログラムの共同主催者である ”しゅんちゃん” こと中村峻介さん。彼の言葉は、プログラムの1日の中で、私に対して3つ4つしか放たれないのだけど、その一言が見事に私の何かを確実に刺す。
「ぅわっ、そこですね。はい、そこです。」
みたいな感じで、思わず降参するというか、その度に自分の中にあった大事な部分に「こんにちは」する感じ。相性の問題もあるかもだけど、すごいよ、しゅんちゃん。
てなことを続けていた結果、私の中で何かが開いたときがありました。このプログラムの良いのは「頭だけにならない」こと。よく人って気づきがあると「考えちゃう」じゃない。けどそれって案外新しいものを生まないのよね、だいぶん堂々巡りして、やっと気づく、みたいな。
でも、そのプログラムでは、目の前にクレヨンがある、絵具がある、筆がある、色がある。しゅんちゃんの言葉で刺さった内容を思考で取り扱わずに、手を動かして考えることができる。厳密にいうと、手を動かすことで思考を止めることができ、もっとずっと感覚の方にフォーカスできる。(余談だけど、これこそ今噂の「アート思考」なんじゃないだろうか)
その結果、今まで到達したことのなかった場所に自分を連れていくことができる。絵をみて、しゅんちゃんが何かを語り、その語りに対して私はまた絵で応える、そんな時間。
それを繰り返していた先にあったある日、私は自分に対して「曖昧なもの」を許すことができるようになった。
このプログラムにおいて私が大好きなコンセプトは「自分が自分に許してない表現は、絵でも表現できない」というもの。
すごく分かりやすい例で言うと、「暗い自分はよくない」って思っていると、なぜか絵具の「黒」が使えなかったりする。(面白いよね)
私の場合には「曖昧なもの」や「意味のないもの」を許せない。というのが無意識であって、色も曖昧な色が使えなかったわけ。そして、意味のない絵が書けないわけ。「説明できない」ものを描くのが嫌で、なんならちょっと怖かった。
結果私の絵ははっきりした色合いだけど奥行きがなく、解釈の余地が狭いゆえ「面白くない」、そんな絵ができあがっていた。(奥が深すぎる)
だけどあるとき、曖昧な色だけを扱って色に触れてみることにした。いろんな色に灰色(グレー)を混ぜていく感じ。グレーを混ぜると、いろんな色は次々と曖昧な色合いになっていく・・・。
なんの意味のない線を、そんな色たちをつかって描いていた。
小さな紙にその色合いを描き終わったとき、その絵をボーッと眺めてみた。すると、そこにあった色の中でピンクという色だけが、もわっと浮き上がってきた。
そしてその瞬間に私は何かの扉を世界に開放した。
浮かんだ言葉、それは「私は、世界にありったけの愛を表現したかったんだ・・・」というものでした。
今も忘れはしません。なんなら思い出すだけでまた涙が出そうになる。どこか、自分の愛(この愛にはいろんなものが混ざっている)を表現することをどこか遠慮してきていた。特殊なんじゃないか、誰も受け止められないんじゃないか、そんな気がして「普通のギリギリ、エッジのギリギリ」みたいなところに自分をとどめてきていた。そんなことに気がついた。
そこに思い至ったとき、私はポロポロと涙を流しながら、ピンクやグレーという淡い色たちを見つめ、また筆を重ね、その感覚に浸ることを選択していた。
そんな経験を重ね、私の絵は、確実に「 綺麗 」になっていった。
一緒にプログラムを受けていた人たちが、私の絵の前で立ち止まる。息を飲む。「綺麗」と思わず言葉が出る・・・
かくいう私は、なんのプレッシャーもないなかで、ただ色の美しさに感動しながら、一筆一筆、恍惚とした表情で、絵を描き続け、完成させた。
その絵がこちら、「美しい記憶」と名をつけた一枚の絵である。
最後「である」なんて言っちゃってるけど、「作品」と呼ぶものであれば、これが処女作であり、原点。
この絵をみると、まさに描いていたあの時の幸せな感覚の美しさが蘇る。
絵って力があるな、素晴らしいと思わずにいられない。
え!?欲しいの??
なーんて経験をしたものの、もちろんこの時点で画家を目指すなんて、微塵も思っていない。なんかいいものだったし、「趣味でやろうかな〜」程度。
そんな折り、卒業制作の展示をすることに。
私は上記の作品に加えて、以下の3つを合わせた4作品を展示することにした。
言葉を仕事にしている私は、「タイトル決め」もとにかく楽しかったりで、当日を迎える。
展示は滞りなく終わり、その様子を翌日Facebookに載せた。
ピコンとLINEが鳴る。
知り合いから、Facebookの絵が素晴らしかったので、思わず直メッセージで感想を伝えたい、という内容だった。
ほう、写真からも何か伝わるものってあるんだな。その方の感性含めて素晴らしいことだ。
私は「もし欲しかったら差し上げますよ〜」っと提案。
(だって嬉しいじゃない、そんな風に言ってくれて♡)
すると、「ぜひ欲しい」との反応に、こちらがびっくり!
だってサイズも長辺1mある大きな絵。どこに飾れるの?って感じだし、私だったら、人の卒業制作なんて怖くてもらえない。大事にできるかもわかんないし・・・
けどその方はやる気満々で、車で取りに来てくれることが決定する。
ほう、精魂込めた絵をもらってもらえるなんてありがたい。
これは一つの最上の祝福だなぁ、って胸の内がほっこりする。
で、またまたFacebookに目をやると、投稿した作品に対して「これ欲しい!」というコメントが入っている。
マジ?みんな、よく欲しいなんて言えるなぁ!
もしかして、他にも欲しい人がいるかもしれない、と思い、Facebookに「欲しい人がいたら、先着順で差し上げますよ〜」なんて描いたら、あと残る2枚も秒殺でお嫁に。。。
嬉しいやら寂しいやら。
結局4枚の絵に対して、10人の人が欲しいと言ってくれたことになった。
もちろん画家なんて目指さない
安心してください、卒業制作が人気だったからって、画家になろう。なんて思ったりしません。そんなバナナ。
絵を描くのは良い経験だったなぁ〜。
趣味で描いて行こうかな〜。
なんて思いつつ、忙しい毎日です、もちろん絵なんて描かない毎日。
絵を描くことは、あっさりと過去のものになろうとしていた。
お告げと、説得、周囲の大賛成
私は朝たまに瞑想することがある。2020年の1月の中頃、その日の朝も何の気なしに瞑想していた。すると、ある神社が浮かんだ。銀座にある小さなお稲荷さん。そういえば最近行ってないなーと思い、早速行ってみることに。
もちろん、神様と話せたりはしないんだけど、「YES NO」くらいは、感覚で分かるようになってきた(気がする)ので、私は何をやればいいのかなー?って思って、いろいろと聞いていった。
思いつく限り、5、6個あげて聞いてみるも「違うっ」「違うっ」って感じで、ピシッとNOが下される。
はぁ、なんでやねん。
他に何せえっちゅうねん。
っという感じで、博多弁のくせに関西弁モードで怪訝になる私。
思いつきで、
「絵、描けばいい?」
って聞いたら、即答で「YES!」みたいな感じになる。
はあっ?
いやいやいやいやいやいやいや。
でももっかい聞いても、やっぱり「YES」な感じ。
首をかしげる私。
もはやムチ打ちにでもなりそうなくらい、首をかしげ、神様を疑っている。
「まぁ、YESだとして、なんで描いた方がいいんですか?」
と聞いてみる。
「お前の絵は、人々に癒しや和みを与える(から描け)」
はあっ。
なんか、色合いも淡いし、そんな気がせんこともないけど・・・
「まっ、趣味くらいでいいか」
ということでその場を後にする。
その二日後。
絵を描くことを、3時間説得された
出会って1年くらいの女性。お茶のみ友達のように親しくしていたけど、14歳で密教の僧侶に。代々続く霊能者の家系で、彼女は生まれながらにして多くの力を持っていました。
その彼女は私の理念の仕事を応援しつつ、「この子絶対他に何かある」と思っていたそうで、絵を見た時に、「これだったのか!」と思ったそう。
で、ある日画家になることを説得されることとなる。
んだけど、いやいや考えてみてよ。
こう言っちゃあなんだけどさ、絵描きになる!ってむしろ反対されることじゃない?海賊王に俺はなる!くらい反対されるよ、多分。
なのにだのにどうして私は、絵を描くなんて一言も言ってないのに、
「あなたは絶対に絵を描く方がいい」
「そういう才能のある人は描かなきゃだめ」
「私が責任をとるから絵をやりなさい」
って説得されるんざましょ?
え?なんで???
大体私は、言葉の仕事も、かなーーーーーーーーーり天職だと思って邁進してきたし、周囲の人からも「良い仕事だね」「天職だね」なんて、頼んでもないのに、みんな口々に言ってくれる。
その私が、なんで、こんな説得を受けているの???
なーーーーーんて頭がぐーるぐるしていた中で続く理詰めの説得。確かにそに人の言うこともいろいろと納得することも多い。
なかでも、「理念は所詮その人本人にしか届かないけど、絵は多くの人に届くよ」という言葉は妙に私の心の琴線に触れ、内心がじわっとなった。
そうまで言うなら!ということで、最後はまるで「自白」するかのように、「私・・・やります・・・!」と言ってた。
カツ丼は出てこなかったけど、あたしゃ犯人が自白する気持ちが分かったね、ほんとに。笑
んで、そのあとたまたま、(元)旦那さんや友人も含めて飲み会する席がありました。
そこで早速、「私は、これから絵を描いていくことになりました・・・」と報告することに。
すると
・「うん」っという感じで深くうなずき賛成を示す旦那
・「それは良いですね!絶対それが良いと思います!」という友人A
・「いやむしろ、絵の方が良いと思います!」と歓喜する友人B
え???
みんな、私の言葉も好きって言うてくれてた人たちやん。
賛成し過ぎじゃね?
一体なんでそんなに喜んで興奮しているの???
友人Bに、「なんで絵の方が良いの?」と聞くと、
「前々から、ゆっこさんが捉えていた世界は、言葉だけでは表現できないだろうなぁって思ってました」
との回答。
ほう。
なんかそれかっこいいけど、そんなこと感じてたあんたもやっぱりすごい。
っという訳で「画家になります」宣言は、信じられないほどの歓迎をもって迎えられた。
賛成の嵐。モーゼの十戒のように目の前で開いていく扉
っと、最初の大きな関門(旦那さん)を軽々と超えてしまった私。
性格柄、ちょっと面白くなって、「大野、画家になるってよ」って、某文学賞を受賞した小説のタイトルよろしく、触れ回ってみた 笑(いや〜、我ながら他人事のように面白がってやってたな〜)
すると、先日の大賛成がデジャブかのように、みんな口を揃えて、賛成する。各々に、私が納得するような説明をつけて、その選択を歓迎してくれる。それはもう、「え?今までの仕事、ダメだった?」と落ち込むことをギャグでやるくらいには、賛成の嵐だった。(後から後述するけど、決して言葉も悪くない)
・元々アーティストだよね(いまさら?)みたいな反応
・あ〜、普段からFacebookに投稿してた花も、何か違うって思ってたよ
・言葉だけだと、表現の幅が狭いと思ってました〜
みたいな。
あとは、画家を目指すことには面白いっ!大賛成!と言ってくださる知人がいたんだけど、実際に絵を見せる段になると、
「僕は全然絵なんて興味ないし、本当にわからないんですよ〜」
と困惑していた男性。
なのに絵を見た瞬間に
「え?これなんですか?すごいじゃないですか?120万円とか価格がついていてもなんも違和感ないですよ!」
っと一瞬にして興奮してくださったり。
(この方もね、言葉の仕事をすごく評価してくれてて、最初は、言葉をやらないのもったいないな〜って言ってくれてたのによ)
で、関門は、義理の母のところまでやってきました。
義理の母は、私たち夫婦の会社の財務経理をやってくださっている方。
引退する前は、女性経営者として会社経営を20年やってきた大先輩。
そんな義理の母に、画家になることを、恐る恐る伝えてみた。
義理の母は、非常に現実主義的な人だし、経営の数字も見ている。
私の収入が見込めなくなることのインパクトだって分かっている。
そんな義理の母に報告すると・・・
バンザーーーーイ!!
くらいの勢いで喜んでくれた。
え??なんで??なんでよ??
「やっぱり幸子さんは、感性の人よねぇ。絶対そういう分野が向いているわよ。理念をやっている時は、頑張ってるねぇ!って感じだったけど、絵をやるあなたは、頑張って〜♡って感じよ〜♡」
なんて感じで、ハートまで飛んでいる。
「現実に関わることは、全て私の方で巻き取ってやるから、どうぞあなたは感性の羽を十分に伸ばし、その道でやっていきなさい」
と声をかけられる。
ありがたい。
ありがた過ぎて、涙が出る。
友人たちも、真摯に賛成してくれたことはもちろん分かっている。
だけど、身内の人間が、利害関係の強い人間が、こんな風に心底応援してくれること、本当になんて恵まれているのだろう・・・。
涙が出ない訳なんてなかった。
嬉しくって、ありがたくって、頑張っていくことを誓った。
本当にありがとうの気持ちがいっぱい。
という訳で、義理の母からの大賛成を得た。
残るは、実の両親だ。
別に、何かを反対する人たちでもないし、
私も良い年だし、親の反対でどうこう、なんてことはない。
だけど「けんちゃん(うちの旦那さん)に、迷惑をかけないのよ」くらいは言われるかと思ってた。
場所は上野の居酒屋さん。
妹が臨月を迎えたということで、
両親、妹、妹の旦那さん(ちなみに私の友人)と旦那さんでご飯を食べていた。
会も後半になったところで、画家になることを伝えてみる。
「おお!それは分かりやすい!今まで、幸子が何をしているのかをなんて説明すれば良いかわからなかったけど、画家なら分かりやすいわ〜。」
って、父、母、妹、全員見事に同じ反応。
え?なんなの?仕事の説明のしやすさってそんなに大事??
まぁ、そんなところに意識がいくくらい、大した話じゃないし、逆に言うと反対する要素もなかったってことかな?
一瞬で話は終了。
まるで「うちの家の猫はちくわが好物なのよ〜」くらいどうでも良い話題かのように、その話は終わった(マジで)
妹や義理の弟も、私の絵が欲しかったらしく、すぐにもらわれてしまったことを残念に思っていた。
そんな妹は「姉ちゃん、命名書かいてよ。字もうまいじゃん」という話になり、後日渡したのが、こんな命名書。「書」というより「画」かな。
名前と、生まれ年をかいてみました。
っという訳で、開かないと思っていた扉が、開けようなんて思ってもいないタイミングでバカバカ開いていく。ほんと、こんなイメージ。
で、ここまでツラツラと話してきましたが、当の私はすっごく私は不思議な感覚なんです。
「画家になる」
っていう選択って、割と自分から「なりたい!」って思ってなるもんだと思うんですが、自分の意志とは裏腹にことはなめらかに進み、もはや目の前にある事実たちから「そうなのね、私はこの道なのね」ということを選択させてもらっている、そんな感じ。
今年のテーマとして「降参する」という(なんともおかしな)ものを掲げていた訳ですが、本件、まさに「降参」。
大きな力の前に我が身を差し出そうと考えていて、それは理念づくりの方で力をつかってもらうという意味でした。
しかし降参したら、絵を描くという道が目の前に開けました。
もちろんこれは私の選択だし、とってもわくわくドキドキしています。
だけど、これはこれで、今までの選択と決定的に性質が違う感覚があり、「自分の人生の本丸に足を踏み入れた」、そんな感覚が私の中に起こっている今日この頃なのです。
これからどうするの?
っといことで、なんだか壮大な文章量になってきました(話口調で書くから、ついつい文字数が多くなっちゃうんだよね、でも読みやすいよね?)
な〜んて謎の圧力をかけつつ、進みます。笑
ほんと、「絵を描く」って決めてから
・Twitterがきっかけでお会いした社労士さんの奥様が画家だったり(そんな偶然ある?そしてすごく大事な情報をいただきました)
・人に誘われてたまたま行った仙台の神社が、60日に一度の芸術の神様の日だったり
・メンターをお願いした方のおうちが、たまたま家から近かったり
と、いわゆる引き寄せは枚挙にいとまがないけれど、
よくいただく質問がこれ
「画家って、絵を売るの?」
「どうやって売っていくの??」
安心してください、私もみなさんと同じ知識しかありません 笑
この質問と同じくらい
「個展いつ?開催されたら行くね!」
という話もあるので、個展は決めました!
5月のGW明け(5/8-5/10)に一回と、
8月の下旬(8/21-23)に一回です。
(ギャラリーのレンタル料だけで、20万超え。頑張れ私!!個展の詳細はまた後述)
※コロナによって延期し、上記をまとめて7/10-12の3日間で開催することにいたしました
けど、他にどうしていくかだよね?
分かりません。
知りません。
ただ、走りながら考えます。
今まで、まがりなりとも5年以上会社をやってきたし、そこらへんの知識も総動員しながら、面白いビジネスモデルできたりしないかなー?なんて、そんなことも楽しみに進んでいます(けど、本当にど素人に近いので、何か良いアイディアがあったら、ぜひ大野まで♡)
今何より大事なのは実際「描く」ことだと思っていて、ついつい周辺のことが気になって、画家のサイトつくったり、個展のフライヤーデザインしたり、こうやってnote書いちゃったりしてるけど、メンターのしゅんちゃんの元で、こつこつと描いていきます!(だってそれしかないよね、まだ絵を描いたの数枚なんだもの)
ちなみに最初のお題は「色と仲良くなる」をテーマにやっていて、今は「黄色」と「赤」が終わったところ。(この絵にまつわるエピソードはまた今度!)
言葉はどうするの?
これもね、ありがたいことにいろいろと気にかけていただいています。元々すごく意味のある仕事だし、惜しんでくださる方も多い。
辞める気はないですよ^^
頼まれたら、喜んでやります^^
けど100%だった頃からは比率は変わる、そんな感じです
その変化をするからこそ、先日、自分の理念づくりの知見を全て詰め込んだ3万4千文字の記事を公開しました。文字通り「遺言」だと思って描いた記事です。一切の損得なしに、伝えられるものは全てフルオープンにしております。
何か理念づくりや軸づくりで困ったことがあった際は、ぜひ参照ください。個別相談も受け付けておりますので、お気軽に〜
そしてそして、すごく大事なライフワークとして、挑戦者の想いを凝縮したインタビューサイト「挑戦者のココロイキ」も、宝物のように続けていきます!ので、ぜひ更新を楽しみにしていてくださいね♡
言葉はなんだったの?
そうそう、これが私にとっては、「絵を描く」って決めてから3週間くらい、自分の中でぐるぐるしていたこと。今までやってきたことは、一体なんだたんろう?ってね。
でも、結論としては「おんなじもの」で、表現手法が違うだけ。というところに落ち着きました。
私はもともと自分の理念づくりを「言葉で描いた肖像画」なんて話をしていました。その人の雰囲気や人生、想いの美しさを掴み、それを表現する。それが私にとっての理念づくりでした。
いつも中心にあるのは、その人の人生や、人間が生きることへの感動。もちろん理念づくりには戦略も必須だし、そんな感情的なものばかりでやってはいません。
だけど、やっぱり私の中にあったのは、「世の中の美しさを表現し尽くしたい」というのがあり、中でも美しいもの、それが人が人生をかけてまで何かを為したいという、その想いや人生のあやでした。
メンターのしゅんちゃんと話していた際、
という話を、絵をつかって解説しながら説明してくれました。
私はそのとき、気がついたら瞳から涙がこぼれていました。
どうして涙が出たのか分かりません。すごく「不意打ち」な涙でした。私ではないものが泣いている、そんな感覚。魂みたいな存在はその意味を理解しているようで、きっと「やっとそこに足を踏み入れることになったんだねぇ」なんて、感激しているかのようでした。
私にはそれが「魂から涙が出た」ように感じられ、その感覚は間違いなく本物だったという実感があります。意外と絵を描くということを決定づけてくれたり支えてくれているのはそんな感覚で、ある意味自分しか信じていない状態が今の感覚です。
言葉だろうが、絵だろうが、たぶんそれもまた手段で、きっとその結果渡せるものが自分の使命なんだと思います。本当はそこらへんも最近明らかになって腹落ちしているのですが、さすがにお腹いっぱいだと思うので、今回はこの辺で!(っと、なぜか今回は唐突に終わってしまった!)
以下、もろもろのご案内です💡
サイトをつくったーーーーーー!!
1日でつくったーーーーー!!
頑張ったーーーーー!!
ので、よかったらのぞいてみてください^^
個展や今後の展示(5月に、東京都美術館で展示予定)については、こちらのページからご覧いただけます。
あと、こうやって言われて興味があっても、忘れちゃうのよねーっていう方いらっしゃると思います。私は絶対そのタイプ。
ので、必要な人はLINE公式を登録いただけると、近くなったらご案内します。
& Facebookのイベントページもつくったので、もしよろしければ「参加する」か「興味あり」ボタンを押していただくのがおすすめです。
っという訳で、ここまで大野の新しい決断のお伝えとその背景をお読みくださり、本当にありがとうございました!
私の周りでも、最近大きな決断や路線変更をする方が少なくありません。これもまた、一つの大きな流れなのでしょうか。
私は、私らしく、自然体で、自分の信じた道を進んでいこうと思います!
また何か面白いことがあったら、サークルなりなんなりでお伝えしていきたいきます^^
ではまた!
【 続編 】
この記事から少し経って、自分が描く意味を考えてみました
「言葉の美しさは、見ている世界の美しさ」 少しでも新しくて、美しい視点をお届けできるよう、好奇心全開で生きています。いただいたサポートは、全力好奇心の軍資金として、大切に使わせていただきます♡