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Webライター歴15年が考える「ライターで生計を立てる」ということ

 関東圏は天候が良く、「さぁ〜原稿もしてお洗濯もするぞ〜!」となっていた午前中。ドトールで席につくタイミングで急にフラっとしてトレイを盛大にひっくり返してしまった。思っていたほど体調良くなかったと悟り、「やっぱ無理はやめよう…」と改めて決心した次第。ドトールのスタッフの皆さん、ご迷惑をおかけしました。いつもありがとうございます!

 さて。前回に「紙とかネットとか関係なくメディアで稼ぐのはむっちゃ大変」というエントリーを出したのだけど、思いのほか反応があった。

 それで、改めて『note』のライター・編集さんたちのエントリーを暇を見つけてざざっと読んでいたのだけど、「大人のなりたい職業」で「ライター(Webライター)」が一位という記事を見つけて「うへぇ」となってしまった。

 この記事では、大手出版系メディアに勤める現役編集者が「正直、名が売れている方を除き、Webライターだけで生計を立てている人は聞いたことがありません」と語っているのだけど、いるんだな。ここに!!

 自分の周囲には、Webメディアのライターを専業でやっている人は少なからずいるし、超稼いでいるとは言えなくとも、生活に困らない程度には報酬を得ている。
 とはいえ、多くの人にはWeb一本でライターで生計を立てるイメージが湧きにくいと思われるので、ここでは自分の経験をつらつらと記しておく。ただ、あらかじめ断っておくと、特殊例だという自覚があるので、マネをしようというのはオススメしません(暗黒微笑)。

 就職氷河期世代で、しかも社会に出るのが遅かった自分は、当然ながら新卒採用に失敗。しばらく在学中からお世話になっていたカフェでのバイトを続けつつ、派遣社員の仕事にありつき、2004年に某AV大手傘下の出版社に営業事務の正社員として採用された。同時期にブログ『Parsleyの「添え物は添え物らしく」』を始めて、適当に思いついたことをエントリーにしていた。
 当時はブログ黎明期で、例えば山本一郎さんが「切込隊長」として暴れまわっていたし、今やデジタル庁統括官としてご活躍の楠正憲さんや、『小鳥ピヨピヨ』のいちるさんのようなIT企業の中の人、『ガ島通信』の藤代裕之さんのような現役新聞記者の皆さん方などなど、綺羅星のような人たちが集っていた。今は『note』のプロデューサーの徳力基彦さんと知遇を得たのもその頃で、毎日が喧々諤々、コメントやトラックバック、はてなブックマーク上などで議論みたいな喧嘩みたいな言葉が飛び交っていた。
 そんな中、これといって何者でもない自分の書いたエントリーも時に注目される機会が何回かあって、オフ会にお呼ばれしたり、メルマガの寄稿依頼を頂いたりするチャンスに恵まれた。ここで、「あ、もしかして物書きとして食べていけるかも?」と勘違いした面もあったんですよね(苦笑)。

 それで、2007年に某大手AVグループ企業を退職になったタイミングで、副業としてIT系企業のニュースサイトでライターをはじめることになった。当時は「1文字1円」で、毎月数万円程度の報酬だったように記憶しているけれど、本業にする気はまだなかったし、好きなこと(コラムニストっぽいテキスト)はブログのエントリーにしていたので、当時の自分としては十分だった。
 その後、家具ベンチャーから広告関連会社に転職を重ねたのだけど、2010年に会社都合で辞めることになって、転職活動をせざるを得ないことになった。が、世はリーマンショック後の不況下で、まったく働き先が見つからない。だいたい1年半で250社くらい応募して、40社くらい面接までこぎつけたけれど、それでも採用に至らなかった。

 2010年の解雇になった時点で、前述のニュースサイトのほかに別のメディアや単発の案件などで、ライター仕事だと月に8〜10万円程度の収入を得ていた。また、2009年に開始した『BLOGOS』に自分のエントリーが転載されることになり、「物書き」としての多少の自信もついたこともあって、「もうライターを本業にするしかないかも」と思うようになった。

 『ガジェット通信』から「ブログの記事の転載をお願いできませんか?」というメールを貰ったのがちょうどその頃だった。何度かやり取りをするうちに、『Aニュース』という自由投稿型のメディアで「自由に書いてください」と言われた。『Aニュース』は無報酬だったけれど、ブログ感覚で書くことができたし、投稿した記事のほとんどが『ガジェ通』でも配信されるようになった。そして、2011年に姉妹サイト『オタ女』を立ち上げることになったタイミングで、編集部にコミットする形になり、原稿料も発生するようになった。

 その後もブログは継続して書いていて、それを見て頂いた他のニュースサイトやポータルサイト、カルチャーメディア、オウンドメディアから執筆依頼を頂く機会に恵まれた。おそらく自分が一番稼いでいたのは、2015〜2016年くらいで、だいたい月に100本ほどの記事を書いていて、月に50〜70万程度稼げていたように記憶している。
 その後、激務と心労がたたって体調不良になり、以前ほどのペースで書けなくはなっているけれど、それでも今でも月に60本ほどは出している。これは、とにかくジャンルのより好みをせずに、数だけはこなしてきたということが大きいように思う。

 なんだかんだで自分もライター歴が15年ほどになろうとしているし、その間に紙媒体の案件や広告案件を手掛けたり、編集の側にまわるようにもなった。とはいえ「何故それができるのか」と問われたならば、学生の頃に図書館で本を読みまくって、毎月10本くらい映画館に通い詰めたことの「おつり」でやっていけているという側面があるようにも感じている。
 基本的に自分は人見知りだけど、取材やインタビューで相手に話す「取っ掛かり」を掴めるのは、あの頃に吸収した事が生きている。ちゃんと数えたことはないのだけど、インタビュー記事だけで300本ほどもこなせているのは、コミュニケーション能力に長けていたからでは決してなく、広く浅くでもいいから、いろいろなジャンルの物事について好奇心が働いて、人と話したことを「そのまま」で受け取ってくることができたからだと思う。

 よく勘違いされることが多いなと思うのは、ライター/記者にしろ、編集にしろ「専門家」ではないということ。大学で研究職に就くなり、会社を経営するなり、一つのプロダクトに注力した職人的企業人になったりし方々に比べれば、どんなにメディアで「専門的」な事を追っていたとしても敵わない。
 では、メディアで働く人間はいったい何の「専門家」かといえば、「伝える」ことに長けている、ということになる(べき)だろう。そのための手段として「書く」あるいは「記事を作る」こと、あるいは「記録する」「批評する」技術を磨いていく必要がある。

 話が逸れた。「Webライター1本で生計を立てるのは困難」というのは事実だし、これは紙媒体でも同じことが言える。仮に新書の原稿料が100万円だとして、年に500万稼ぐためには5冊出さなければならない計算になるけれど、それだけ刊行してもらえる人など一握りに過ぎない。なので、本来は「紙かWebか」みたいな議論は不毛で、「案件をより好みせずに受けろよ」という話になっちゃうのだけど、もし「ライターとして食べていきたい」と考えているのならば、とりあえずブログなり『note』なりで毎日30分何かを書いて公開することを1年続けてみることをやってみると良いかもしれない。自分では思わぬ内容のエントリーが注目されるかもしれないし、何より数字が見えるといろいろとおもしろい。ある意味では「メディア」を運営していることにつながるので、編集としての視点も得られるはず。

 まぁ、それでも「1000万円プレイヤー」になれるかといえば、限りなく難しいと言わざるを得ないし、自分のように途中で身体を壊してつまずく場合もあるから、「書く/伝えるのが心底から好き」という人でないと続かないだろうとは思う。逆に言えば、「月数万円でもいいから収入を増やしたい」といった副業としてのライター職には魅力があるので、もっと挑戦する人が増えるといいな〜。

 そういえば。2年ほど前に『ガジェット通信』で記事が3000本を突破した時に記事を書いたのだけど、そろそろ4000本が視野に入ってきた。確かなことは言えないけれど、ブログなども含めれば5000本以上は確実に書いているのではないかしら? 
 それだけ書いても「書ききった」とはならないし、道のりはまだまだ遠いなぁと思わなくもないけれど、日々発見に満ちていることを考えれば、大して稼げはしないけれど楽しいお仕事であるとは断言できますね。

 そんなこんなで。原稿書きに戻るので本日はこの辺で!


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