普賢菩薩勧請とこれからの道 〈後編〉
執筆:伊那市・洞泉寺住職 横山凌雲
【Parole編集部より】
こちらに出てくる普賢菩薩像とは、
七沢賢治先生の依頼により、今から約30年前に
釈迦族がカトマンズで製作したものです。
線香の煙が充満する部屋の中で
御本尊を入れるという開眼供養をおこなったそうです。
その時代の最高クラスの仏師と彫金師が
日本のために作ってくれたもの、
それがこの普賢菩薩像です。
洞泉寺イヤシロチ化計画
私は「寺院は聖地であるべき」であるべきであると考えています。
そのために平成30年に、洞泉寺の本格的なイヤシロチ化を行いました。
まず、9月には境内に「カグツチ」を埋設し、本堂の床下に「大黒柱」を設置致しました。
この際にも、netenの皆様には視察から実際の埋設作業まで大変なご助力をいただきましてありがたく存じます。
このイヤシロチ化計画の後、堂内の空気が変化したことを感じました。
スーッと意識が整ってゆく感覚も強まりました。
訪れる方からは「気持ちがいい」という感想も寄せられています。
境内を小さな子供の手を引いて散歩するお母さんの姿もよく見かけます。
これらはイヤシロチ化の成果と言えるでしょう。
12月には、事務所兼住居が竣工されました。こちらにもオールアース施工や「カグツチ」の埋設などのイヤシロチ化を行いました。
これからの道
このような流れの中で、イヤシロチ化がなされた洞泉寺に普賢菩薩様をお迎えすることができました。
甲府で拝見した時には、木像をイメージしていたこともあり本堂に置いた時にうまく調和するだろうか?という不安がありました。
しかしそれは全くの杞憂でした。
まるで昔からそこに座っておられたような感じがします。
本堂の空気感が変わりました。空気の密度が明らかに濃くなったように思います。
小笠原孝次師は著書の中で「普賢菩薩は法華経の結論であり、仏教の完成した真態である。普賢はすなわち世界の救世主、転輪聖王であり、すなわち神道的には天津日嗣天皇である」と書かれています。
あらためて、その意味するところを深く参究させていただく決意です。
仏教と神道、あるいは言霊という道を如何にとらえてゆくか?
「仏教、キリスト教、儒教を理解せず、若しくは実践理解し得る能力資格なくしては神道の門に入り得ない」という小笠原孝次師の言葉があります。
また、明治から昭和にかけてその名を知られた禅僧のS老師は晩年に至り言霊研究を志しておられたそうです。
これらの消息が、私に課せられたものを解くヒントになりそうです。
いずれにしても、歩むべき道がそこにあるということは幸せなことなのです。
そして、道があるのに留まることは、もはや不可能なのです。
「諦めること」は「明らめること」であり、求めずして今ここにあることです。
遠回りも一興、されど・・・です。