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言霊よもやま話 Vol.1 六大伝説 〈桃太郎〉 ─桃太郎は天照大御神の仮の姿の名前だった

原典:『世界維新への進発』(小笠原孝次 著)
編集:新谷 喜輪子 / 監修:杉山 彰


昔々、お爺さんとお婆さんがあった。お爺さんは山へ柴刈りに、お婆さんは河へ洗濯に行った。先ず「桃太郎」から始める。お爺さんを伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、お婆さんを伊邪那美命(いざなみのみこと)と云ふ。お爺さんが山へ集めに行った柴とは言葉のことであり、人間の生命のロゴス即言葉であるところの五十音言霊である。お婆さんが洗濯をした河の名を筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(をど)の阿波岐原(あはぎはら)の瀬と云ふ。洗濯ではなくて禊祓(みそぎはらい)である。

この時、河上から大きな桃が流れて来た。その桃を持ち帰って二人で割ってみると、中から立派な男の子が生まれた。これに「桃太郎」と名をつけた。桃は百(もも)といふ数の咒示(じゅし)である。百は布斗麻邇(ふとまに)の究極数である。易経では「大桁(たいこう)の数五十、其の用四十有九(計九十九)」と云ふ。百数の言霊原理を「百敷(ももしき)の大宮」と云ひ、正月に飾る鏡餅(百道(ももみち))も同じ咒事である。此の百箇の言霊要素を基礎にして禊祓によって生まれて来るその原理の完成体を天照大御神と云ふ。これに月読命、須佐之男命(すさのをのみこと)を両脇立に配して三位一体の形にして「桃の子三つ」すなはち「三貴子(さんきし)」と云ふ。「意富加牟豆美命(おほかむづみのみこと)」とも云ふ。

桃太郎は健やかな若者に生長して「鬼ヶ島」に征伐に行くこととなった。オニとは言霊オ、すなわち生命の玉の緒、すなわち事物の相互関連性、経験値を学問として第二次的にまとめる事である。それはあらゆる意味での科学と云ふ事である。その科学者、産業人達、すなわち須佐之男命の長い間の歴史的経営によって、鬼の世界には人類の生活(ウ)に便宜を与へる素晴らしい宝物が豊饒に創り上げられた。それは物理学、生物学、テレビ、コンピューター、宇宙船に至った物質科学文明である。

だがこの折角の宝物も鬼達の手に委せて置いたのでは、何時までもそれを奪い合いしていて世界に争が絶えない。その鬼どもを言向(ことむ)け和(や)はしに行く事が鬼ヶ島征伐である。お爺さんとお婆さんは「 黍団子(きびだんご)」を作って桃太郎の門出を祝った。キビとは岐美(きみ)である。岐美二神が生命の全内容である百の要素を工合よく丸くまとめて整へあげた言霊の完成体が団子であって、仏教で云ふなら五智円満、三十二相、八十種好を具足した無上正覚の正体である。

桃太郎は鬼ヶ島への途中で犬猿雉(きじ)とそして熊を家来にした(現在は熊が省かれている)。犬は言霊イ、猿はウ、雉はオ、熊はアであり、そして桃太郎自身はエである。法華経従地湧出品(ほけきょうじゅうじゅじゅっぽん)にもこの事が説かれてゐる。末法の世の地の底から四菩薩が現はれて世界を救ふ。その名を上行(じょうぎょう)(オ)、浄行(じょうぎょう)(ア)、無辺行(むへんぎょう)(ウ)、安立行(あんりゅうぎょう)(イ)と云ふ。

斯(こ)うして桃太郎は犬猿雉熊の四菩薩を従へて鬼ヶ島に渡り、言霊布斗麻邇(げんれいふとまに)三種の神器の権威を以て鬼ヶ島の混乱を鎮め、鬼達の宝物である科学産業文明の所産を普(あまね)く人類に適切平等に分ち与へ、世界に不滅の平和を樹立した。めでたしめでたしと云ふわけである。この物語りの後半は予言であって、この予言通り高天原日本の神人が起ち上がって、黍団子(布斗麻邇)を奉戴して世界の舞台に実際の活動を開始したのが今日である。

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(つづく)


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【小笠原孝次(おがさわらこうじ)略歴】
1903年 東京都にて生誕。
1922年 東京商科大学(現在の一橋大学)にて、
吹田順助氏よりドイツ文学、ドイツ哲学を学ぶ。
1924年 一灯園の西田天香氏に師事し托鉢奉仕を学ぶ。
1932年 元海軍大佐、矢野祐太郎氏および矢野シン氏と共に
『神霊密書』(神霊正典)を編纂。
1933年 大本教の行者、西原敬昌氏の下、テレパシー、鎮魂の修業を行う。
1936年 陸軍少佐、山越明將氏が主催する秘密結社「明生会」の門下生となる。明治天皇、昭憲皇太后が宮中で研究していた「言霊学」について学ぶ。
1954年 「皇学研究所」を設立。
1961年 「日本開顕同盟」(発起人:葦津珍彦氏、岡本天明氏ほか)のメンバーとして活動。
1963年 「ヘブライ研究会」を設立。
1965年 「ヘブライ研究会」を「第三文明会」に発展。
1975年 「言霊学」の継承者となる七沢賢治(当時、大学院生)と出会う。
1981年 「布斗麻邇の法」を封印するため七沢賢治に「言霊神社」創設を命ずる。
七沢賢治との連盟で山梨県甲府市に「言霊神社」創設する。
1982年 79歳にて他界。

【著書】
『第三文明への通路』(第三文明会 1964年)
『無門関解義』(第三文明会 1967年)
『歎異抄講義』(第三文明会 1968年)
『言霊百神』(東洋館出版社 1969年)
『大祓祝詞講義』(第三文明会 1970年)
『世界維新への進発』(第三文明会 1975年)
『言霊精義』(第三文明会 1977年)
『言霊開眼』(第三文明会 1980年)

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