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中途半端・・・わるいこと?

TED TALKを何年も毎日のように見てます。みんな、主張がはっきりしてて、完成された「作品」を提示するひとばかりで、みんな凄いなぁ、自分にはできないなぁ、と思い続けてきました。

April 2018, Kate Raworth “A healthy economy should be designed to thrive, not grow” を感心しながら見ている時、ふと、思いついたことがあります。

Kate Raworthの主張は、とても素晴らしいし、全面的に賛同しますが、それとはちょっと違った視点で、はっと気付いたことがあったのです!

最近のITやAI、ChatGPTなどの「大騒ぎ」と、ウクライナ-ロシア戦争、ハマス-イスラエル戦争、台湾緊張などと、能登地震、世界的な火山噴火、自然災害は、唯々驚くばかりで、自分の意見・主張なんていうレベルにはないです。
それらと並んで、プライベートな自問自答なのですが、
写真ってなに?
科学ってなに?
学問ってなに?
社会ってなに?
人間ってなに?
人生ってなに?
・・・???・・・
存在ってなに?
といった、自分の主張をはっきり示すことができない「問い」(実は、最後に書いた『問い』がわたしのいちばん押しの「問い」です)に対する自分のスタンスの取り方について、ひとつの「主張」を思いついたのです!

・・・中途半端で、なにがわるい!・・・

という『主張』です!
「主張」に「肩書き」が結び着いているのが「近現代社会」の「普通」なのでしょうが、敢えて、「肩書き」が必要というのであれば、
・・・詩人・・・
でいかがでしょうか?

プロフェッショナル詩人の方は怒り心頭に発するかも知れませんが、わたしが大好きなソクラテス以前の自然哲学者たちは「詩人」と呼ばれることがあるかと思います。

「哲学」についての一般のイメージが「ソクラテス・プラトン・アリストテレス」に癒着しているからというネガティブな側面もあるのかもしれませんが、わたしは、ソクラテス以前こそ、真の「哲学者」だと思っていますので、「詩人パルメニデス」といった言い方が嫌いではありません。

『完成された「作品」』に拘ると、ああしちゃいけない、こうしちゃいけない、論理が一貫してない、表現が拙い、こういう書き方じゃないといけない、ひいては、漢字を書くな、ということまで、最近は言われそうですが、そんな批判すべてに対して、

・・・詩人としての感性の表現・・・

というひとことで一蹴することができます!

実は、最近のITやAI、ChatGPTなどの「大騒ぎ」に対して自分は大多数の意見と違った考えを持っていることに気づかされることが何度かあり、それが、ある特定の方、方々にハレーションを起こしてしまった感があることもあり、悩んでいたのです。

結果、結論、主張、現状よりも、思考・感性の過程こそが、わたしにとっては大事なのです。
それを「未完成」ながら、パブリックに「表現」してもいいのではないでしょうか?

・・・中途半端で、なにがわるい!・・・

というポジティブな『主張』です!

Kate Raworthさんの主張のように、「成長」というコトは、近現代社会にこびりついた独断・偏見にすぎないのではないでしょうか(彼女の主張から、すこしずれているかもしれませんが)。自分の中の「調和」「バランス」こそ、いちばん大事なのだと思います。

近現代の超専門化・超多分化社会のプロフェッショナルから見るから、「中途半端」なのであって、それは、もっと違った、なにかのための「過程」なのかもしれません。

この立場を認めなかったら、ソクラテス以前の哲学者たちそのものを否定することになり、それは、ひいては、「近現代の超専門化・超多分化社会」、つまり、今の世界の知の秩序自体を否定することになります。

(写真は、エルサレム、イエスが歩いた道   撮影:大塚櫻 2023)


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