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自分の人生を『ある一生』として「客観視」すること・・記憶力について

1. 自己を「永遠」の下に客観視する
2. 「常の気付きと、常の省察」『思い返す』
3. 経年変化自体は、いいとか悪いとか無関係

自分の人生を『ある一生』として「客観視」すること・・記憶力について
“Ein ganzes Leben”(「ある一生」日本語タイトル/2024年 ドイツ映画)で、ひとりの人生が『詩』になりうることを知りました。

1. 自己を「永遠」の下に客観視する

と同時に、そのことは、自己を「永遠」の下に客観視するrDzogs-chen Vipassana Meditation/瞑想の窮極なのかもしれません。つまり、(自分の人生) / (宇宙的時間) = (有限)/∞ = 0 の視点から有限な自分自身の人生を観るということであり、これは、年齢はまったく関係なくなります。つまり、若者の人生(有限)も老人の人生(有限)も(宇宙的時間)に比したら同等になってしまうからです。

・・と、言葉で言うのは簡単ですが、自分自身を省みて、このことを若い頃からしっかり実践していたら、もっと自分の人生は遙かに豊かになっていたことでしょう。
よく「若い頃に戻りたい。青春時代に戻りたい。」と言うひとがいますが、私自身は、絶対に戻りたくないです。今でも未熟なのに、もっと遙かに未熟な若い頃の自分に戻るなんてあり得ないです。
・・とは言うものの、それは相対的なことで、いまから数十年後(生きていたとして)の自分が今の自分を見返したら、さぞや赤面ものかと想像しますが。

まぁ、いずれにせよ、自分の人生を「永遠」の下に客観視することを徹底すれば、現在の自分がどうであれ、そのひとの人生にとって有意義なことであるのは間違いなさそうですが。
つまり、プラグマティックにも有意義かと思います。

2. 「常の気付きと、常の省察」『思い返す』

最近、経年変化のせいもあり、「記憶力」に関心を持ってますが、私の瞑想の師SatoSiが生前に実践していた「常の気付きと、常の省察」は、彼の「記憶力」の秘密だったのかも、と最近思い至りました。SatoSiは、某最高学府の文学部フランス文学科 & 理学部数学科 & 大学院数学科出身で、フランス留学を経験し、フランス語のみならず、ドイツ語もプロの実務を熟せるレベルでした。ドイツ語翻訳の仕事を一緒にしたのですが、ここ数十年の最先端科学技術のパラダイムシフトにも柔軟に対応し、むしろ、好んで超最先端科学技術を「遊んで」ました。つまり、私ととても気が合ってました。
その彼が、「常の気付きと、常の省察」を実践してました。つまり、日常的に、例えば、出勤時に、歩行瞑想するのですが、自分の歩行に常に「気付く」と同時に、今歩いてきたこと、その間の風景・見たこと・感じたこと・ものなどを常に思い返すということをやってました。これを学習・勉強に当て嵌めてみると、学習・勉強を常に客観視して気付くと同時に常に『思い返す』という学習・勉強方法は、記憶力にとても関係しているかと思います。この瞑想方法が、彼の人一倍優れた記憶力の秘密だったのではないかと思います。
・・と、言うように、わたし自身の人生に「気付き」、そして、「思い至る」と、記憶力と経年変化の問題にもなんらかの有意義な提案が湧き出てきそうです。

3. 経年変化自体は、いいとか悪いとか無関係

経年変化自体は、いいとか悪いとか無関係で、それにどう対応していくかが重要なのだと思います。10代は、10代の記憶力であり、70代は70代の記憶力であるのは至極当然のことなのでしょうから。事実を事実として認め、それに柔軟に対応していくだけです。
13.Sep.24


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