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今年もマイペースに。

新年早々、断捨離を行なった。
なんとなく大掃除にも近いが、年末にやることとは意味合いが少し違う。
大切なものを大切にするための時間になる。

不要なモノはその場でメルカリに出品していく。早速一つ売れたな。値段設定間違えたかななんて思うけどそもそも不要だったので、必要な人の手に渡るだけでも嬉しいことだ。そのモノも気持ち喜んでいるように見える。

そんな中、両親からのたくさんの手紙が出てきた。
誕生日、仕送りの時…たくさんの愛情が溢れていた。思わず涙していた。いうまでもなく大切なものなので今後も取っておこうと思っているのだが、涙が出るということはとても大切なものだ。ということを逆説的になぜか実感した。
親からもらったから大切という形式的なものではなく、僕自身が身をもって大切なものということを訴えていた。その場に立ち会ったということだった。
僕も両親のような深い愛情で生きていきたいと誓った。本当にありがとう。

好きなものと触れている時には涙が出る。でも嫌なものと触れている時も涙が出るな。つまり感情の揺さぶりがあった時は涙が出る。感情の揺さぶりを毎日毎日体験できているかというと平日は感情を無にして仕事をしていることもあるっけな。その仕事は本当に大切なものなのだろうか。もし嫌な仕事ばかりで泣きながらやる仕事は大切なんだろうか、この理論には穴がありそうだ。ただ、自己成長のためには必要で大切な時間だという風にも言える。とりあえずこの理論にはこの着地にしておこう。

さて、断捨離に話を戻して。
中学生くらいの時に親に買ってもらったエレキギター。黒いボディのかっこいいものだ。あれから月日は経ち、大人になった僕は自分のお金でギターを買った。ここ最近は新しいギターの方を弾いていたな。押し入れから出てきたギターは少し寂しそうに見える。
今日仕事から帰ったらこの子と遊ぶことにした。これを手放すかは、もう一度弾いてみてから考えたい。多分考えなくても感情の揺さぶりで答えが出る。

こう考えると、モノを減らそうと始めた断捨離だけど、モノがあることで思い出させてくれることもたくさんある。ただただ減らすことが重要ではない。
大切にしたいものを大切にすることが本質。モノと対峙した時の自身の直感に身を任せて、それを持った人生とそうでない人生を見極めていく。

この直感というものを研ぎ澄ますことが日々必要になってくるな。
研ぎ澄ますってことは、毎日大切なものに対して、大切に丁寧に触れて自分の反応をきちんと見守ることなのかもな。ものを大切にすることは自分を大切にすることなのかもしれない。


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