![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/24496501/rectangle_large_type_2_eca529b575cc96793051f005fb09d0ef.jpeg?width=800)
ホントにホントに凄い企業「ツァイス」
こんにちは、ぱりかんです。
いつも読んでいただきありがとうございます。
突然ですが、「カール・ツァイス社」って知ってますか??
恥ずかしながら私は全然知りませんでした笑
経営学の父ドラッカーは「ツァイス社」をベタ褒めしています。前回記事を書いた日本企業以上に褒めてるからびっくりです。
(日本企業大絶賛の記事はコチラ)
このnoteでは、ドラッカーが「なぜカール・ツァイス社を絶賛するのか!?」について、考えてみました。
考えていくうちにその凄さというか、“本質を見る力”に驚きました。
▼そもそもカールツァイス社ってどんな企業?
…そうそう、ここから説明します。
始まりは1846年、ドイツ東部の大学町イエナでした。
顕微鏡職人のカール・ツァイスはイエナで工房を設立しました。彼は職人が持つ「腕と勘」を使って顕微鏡を製造していたそうです。まぁ、普通の工房ですね。その後、物理学者エルンスト・アッベと出会い、パートナーシップを結びました。
ツァイスは1888年に亡くなってしまい、アッベはツァイスの後を継ぎます。
このアッベこそ、「ツァイス社」を世界有数の大企業にした偉大な人物です。
アッべは科学者出身の発明家だったんですが、経営者として素晴らしい素養があり、生産的な人間でした。その結果、高品質の製品を量産できるようになったんですね。彼は発明や企業経営に優れていたのです。いわゆる天才ですね。
でも、何よりドラッカーが彼を絶賛するのは、
アッベが「働くことと働く人のマネジメント」に秀でていたからです。
▼ツァイス社のマネジメント
19世紀末、アッベはこの時既に「世界最高峰のマネジメント」を実践していました。ここから詳しく話しますが、現代でもこれほど素晴らしいマネジメントをできている会社って珍しいんじゃないかなと思うほどです。それが19世紀末っていうから驚きです。
アッベが行ったことは合計7つあります。
一見難しそうですが、結構面白いのでちゃんと読んで頂けますと幸いです。
①仕事の分析と統合
アッべは光学ガラスを製造して、精密レンズに加工する上で必要なプロセスを分析しました。そして、これら二つのプロセスを統合しました。
ん、いきなり何!と思うかもしれませんが、要するに…
一言で言えば、仕事の全体像を把握したのです。
これがいかに凄いことか…
この凄さをちゃんと説明しますね。
こちらをご覧ください。
以下の図は光学ガラス材から写真レンズに加工する工程です。これでもかなーりはしょっていると思いますが、マクロに見るとこのイメージです。
(流用元はコチラ)
この果てしなく長いプロセスをアッべはまとめたんです。
当時から(多分今でも少しは)、ドイツと言えば職人と徒弟の関係です。職人のもとで何年も何年もかけて修行して、やっと一人前の知識を身につけられる。日本でもありますよね、古き職人みたいなものです。アッベはその「伝承される工程」を体系化して分析したんです。
当時では異例中の異例です。恐らくバッシングも凄かったでしょう。
数年前、堀江貴文さんが「寿司職人に修行はいらない」とツイートして大炎上しましたけど、アッベはそれと同じようなことを今から200年以上前に行っていたんですから…。
でもね、これがかなり効果的でした。
全体像を把握すれば、どの工程にどれくらいの時間がかかっていて、どこに無駄が発生しているか確認できる。
原因がわかれば対策を打てる!!
ツァイス社はより生産的に仕事のプロセスを統合しました。
この結果、ツァイス社の生産性は向上しました。
②職務編成とその責任の移譲
アッベは、職務を厳格に規定しませんでした。職務編成の責任を実際に仕事する人々に任せたのです。
職務を規定しないと、従業員は仕事をさぼりがちになるんじゃない?だって自分の仕事の範囲を自分で決めれたらみんな楽したがるじゃん、何やってるんだ…
と思いきや、その真逆です。
従業員は自ら主体的に職務を考えようとしたのです。つまり一人一人がじぶんのするべき仕事はなんだろうと考え行動したのです。
当然、アッベはただ任せたわけではありません。
理論と技能を丁寧に説明しました。その上で、従業員自身の自主性に任せたんです。
ちなみに、フォード車で有名な「フォード」はここから20年後、職務をガチガチに縛った経営を行いました。アッベと真逆のやり方です。従業員を完全に機械の部品として扱ったのですね。フォード社は一時的に成功しました。しかし、その後のフォード社は時代の変化についていけず凋落しました。
これは私の完全な想像ですが、当時からツァイス社とフォード社の社員の顔つきも多分違っていたと思います。「生き生きと働くツァイス社」と「機械のように働くフォード社」、従業員の顔つきも変わってくるでしょう。
ドラマ「半沢直樹」で半沢が会社に訪れた時に従業員が挨拶をする姿勢や顔つきをチェックしていましたが、働く人の顔つきで企業の未来というのはある程度分かるものかもしれないと思ったりします。
③生産性向上のための機器導入
ツァイス社では顕微鏡、カメラ、メガネなどを作っています。そのため、質が高い光学ガラスが大量に必要でした。
アッべはさらなる生産性向上のため、新しい機械と工具を導入しました。
(当時少数だった)大学を卒業した科学者や技術者に助けを求めました。彼らとツァイス社の技能者と一緒にして、新しい機械と工具の開発に取り組ませましたんです。オリジナルの製品を作ろうとしたのですね。
これ、技術者と技能者を一緒に研究させたことがすごい。
当時、開発部門と製造部門はまるっきし別です。
だから、開発がいいと思って作ったものが、技術者にとっては「なんじゃこりゃ、使いもんになんねーよ」となることが多かった。でもアッべは彼らを繋げて、一緒に研究させました。そうすることでどちらにもメリットのある、より生産性の高い機械を作ったんですね。
この辺りはアッべが開発畑出身の経営者ということもあるでしょう。どちらの立場も理解できるからこそ、どちらにも利益のある発想が生まれるんですね。
④継続訓練の導入
当時のドイツでは、既に徒弟訓練を体系化していました。つまり、親方の元で教育することと学校で訓練することを組み合わせていたのです。
アッベはこれに加えて、体系的な訓練講座を開きました。
そして従業員が在職している間はずっと参加させていました。今の社内の研修制度のようなものですね。従業員一人一人に対して継続的に成長し続けることを望んだのです。
⑤研究集会の開催
より幅広く企業全体を見る能力を養うために、研究集会を開きました。
技能者は、技術者、科学者、設計者とともに、「どうすればより効率的に作業することができるのか」「どんな新製品を開発するのか」など様々な検討を行うようにしました。より全体を見る視点、経営するものの視点を全従業員に求めたということです。
今でいう部門の垣根を超えた全体会議みたいなものですかね。
これほんと19世紀末の企業なのか笑
これも③機器導入と同じく、アッべが開発畑の経営者だからこその発想でしょう。
⑥従業員自身による仕事管理
アッべは働く者一人一人に自分で仕事管理することを求めました。
人間誰しも自分で決めた目標は達成しないといけない!と思うものですよね。思えば我々日本人は小学生の頃から自分で目標を立てることを求められた気がします…。(あれ、ほんと意味ないなーとか思ってました。すんません。)
当時はそんな考え方を持っている経営者はアッべただ一人でした。
彼は従業員自身も製品や仕事について、情報のフィードバックを必要としていると考えたんです。経営者になると、権力を持つと、どうしても弱いものの感情がわからなくなるもの…、でもアッべは違ったんですね。
上司が決定するのではなく、従業員自身に仕事を管理するように促しました。
⑦能動的な雇用保障
流石のアッベも他の技術者達も雇用に関しては慎重でした。成果をあげずにやる気のないものの面倒は見れないという点では他の企業と同じでしょう。
でもね、アッベは従業員の働く姿勢を評価していました。
たとえ成果が少なくても、彼が業績を上げることに対して意欲的であり、努力していれば、彼の雇用を保障していたのです。
こうした風土があるからこそ、従業員は生き生きと働くことができる。
アッベは景気が悪くなろうと、決して従業員を見捨てることはなかったと言います。こんな経営者、惚れてまうやろ〜。
▼まとめます
①仕事の分析と統合によって生産性を上げた。
②職務編成とその責任を移譲することで、部下の視野を広げた。
③生産性向上のための機器導入した。
④継続訓練の導入で、自己研鑽を促した。
⑤研究集会の開催で、経営者の視点を持たせた。
⑥従業員自身による仕事管理でモチベを上げた。
⑦能動的な雇用保障で従業員に安心を与えた。
いかがでしょうか、ツァイス社すごいですよね。
何よりこれを全部自分の頭を使って実行したのですから。
19世紀末ですよ。
当時、マネジメントの考えも他企業の成功事例もほとんどなかったと思います。
企業の目的と個人の目的の紐付けは今でも実現困難です。
多くの企業が四苦八苦しています。それは従業員の転職率の多さからも分かるでしょう。でもね、19世紀後半にここまで実現させていた企業があったことに驚きです。
最後にもう一つだけ、アッベの話をさせてください。
1905年、アッベは亡くなりました。
彼は遺言で、経営権と所有権をツァイス社に働く者全員に行き渡るように考えました。そこで、とある財団に譲りました。
エルンスト・アッベ財団と名付けられたその財団は、マネジメントとその任命による理事によって運営されました。財団は働く者の福利厚生のために資金を出しました。その福利厚生に含まれるものは、子弟の奨学金、医療補助、住宅手当など従業員のニーズに応じて実施されたそうです。
ドラッカーのマネジメントは1ページ、1行、1文字、非常に濃厚です。読み解くのに本当に時間がかかります。本質だけを書いてあるからそれも仕方ないのだと思います。そんな濃密な300ページある「マネジメント」の中で、「ツァイス社」については2ページも割いて解説しています。
それはこの企業を知ってもらいたいというドラッカーの想いのように感じます。
マネジメントを行うものは決して自分の利益のために行ってはいけない。本当にあるべき姿を「ツァイス社」から知ることができるような気がします。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
サポート頂いた方にはコメントを返させていただきます。サポート頂けますと幸いです✌️