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2021年東京のゼッケン 連載第2回

 2021年8月30日。
 空は灰色の雲に覆われている。肌を焦がすような暑さはないが、気温は朝から30度を超えていた。
 東京・千駄ヶ谷にある国立競技場。私は、メディア用の控室で、大会事務局からフォトグラファー用として事前に配布された褐色のベストをTシャツの上に羽織った。ベストの右胸と背中には4桁の番号が記されており、それを身に着けている個人を特定できる。競技場内では、このベストを身に着けていることが写真撮影用のエリアへ入るための許可証替わりになっていた。

 私が初めてパラリンピックを取材したのは2004年にギリシャで開催されたアテネ大会だった。2008年の北京は行けなかったが、2012年のロンドン、2016年のリオデジャネイロにも取材に出かけた。2021年の東京は、私にとって4回目のパラリンピックだ。
どのパラリンピックも競技が始まる前には、それまで取材してきた選手たちの顔が脳裏に浮かぶ。
 学生の頃から取材している選手が徐々に頭角を表し、国内トップレベルまで成長することがある。そうした選手の多くは、卒業後、企業にアスリート雇用され、パラリンピックを目指す。実際にパラリンピックに出場できる選手はごく一握りだ。長年見てきた選手が日の丸のユニフォームを身に着け、パラリンピックの舞台に立つ時は、自分の親戚が出場するかのような気持ちになる。車いす陸上の鈴木朋樹は、私にとってそういう選手の一人だ。

 両手をアルコール消毒してエレベーターに乗り込み、撮影用のエリアがある2階のボタンを押した。電光掲示には上階へ向かっていることを示す印が点灯している。エレベーターは上へ向かって動いているはずだが、その動きを感じさせるような振動はなく、何の音も聞こえない。
 国立競技場の建物内は、やけに静かだった。
エレベーターのドアが開き、幅の広い廊下に出ると前方の視界が開けた。陸上競技用のトラックとフィールドを360度ぐるりと囲み、それらを見下ろすように、観客のための座席が並んでいるのが見えた。
 土や樹木を想起させる灰色、茶色、深緑の座席が、まだら模様になるように配列されている。自分が立っている地点に近いエリアの座席は、それが椅子であることがはっきりと認識できるが、向こう正面やさらに遠くの観客席は、そこにあるものが椅子なのかどうか、私の視力では確認できない。パソコンのキーボードのように、均一の大きさの四角い凹凸が並んで見えた。


 前回のパラリンピック、2016年にブラジルで開催されたリオ・パラリンピックの陸上競技場に足を踏み入れた時とは、空気が違う。前々回、2012年にロンドンの陸上競技場に入った時とも違う。
 これまでのパラリンピックで、陸上競技場の観客席を見渡した時、まず、目に入ったものは座席ではなかった。
 人、人、人だ。
 観客一人ひとりの姿や様子を細かく記憶してはいない。ただ、その場にいた何万もの人たちの存在が、大きな圧力のようなものを生み出していた。その圧力に、私の身体が揺さぶられた。観客席を見渡しただけで、私の心臓の動きは激しくなり、脈が速まり、全身を血が勢いよく巡っていくのを感じていた。
 今、私が立っている競技場には、それが存在しない。

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 2021年の東京。
国立競技場の掲揚台に掲げられている旗は止まっている。瞼と閉じてみたが、私の身体の周囲にある空気は微動もしない。深く息を吸い込んだが、鼻腔を通過したものは何の匂いもしなかった。
 パラリンピックの陸上競技場に来たという現実味を感じない。目指してきた場所に着いたはずなのに、そこにあるべきものがない。ゲーム機の中に存在する仮想空間の競技場に来てしまった気がした。
 最大6万8000人が収容できる国立競技場に、観客の姿はない。新型コロナウイルス感染対策のため、東京パラリンピックは原則、無観客で開催されることになったためだ。
 場内アナウンスの声が響き渡り、我に返った。女性の日本語と、男性の英語が交互に、これから始まるトラック種目と、障害の種類や程度を示す「クラス」を告げている。彼らの声を聞き取ろうとしたが、場内に流れる音楽と重なってかき消されてしまった。


 2階の観客席近くからフィールドに視線を向けると、上肢に障害のある男子選手が槍を手にして肩を上下に動かしている。身体の緊張を解きほぐしているようだ。
 選手が後方に反らした上体はしなった弓のように見えた。その弾力を生かしながら、槍を携えた腕を大きく背後に引いている。視線は、前方の斜め上方に向かった。空を射るように槍を放った瞬間、選手は「オゥッ」と声を挙げた。
 トラックでは、アイマスクを装着した全盲の女子選手とガイドランナーがスタートラインに並んでいる。ガイドランナーは右手に、選手は左手にロープを握り、それを介して互いの気配を感じ取っているようだ。2人は腰を下げ、両手を地面についた。
 号砲と共に、彼らは低い姿勢から前方に勢いよく飛び出した。男性のガイドランナーの身長は女子選手よりも高く、10センチ以上、20センチ近く差がありそうだ。身長差がある分、足の長さや普段の歩幅にも差があるはずだが、私が立っている位置からはその差を捉えることはできない。ただ、2人はズレのないテンポでゴールに向かって近づいている。女子選手の長いストレートの髪が、後ろになびいているのが見えた。


 トラックとフィールドに漂っている空気が、2階観客席近くに立っている私のところまで届いた。2012年のロンドン、2016年のリオと変わらない。世界最高峰のパラスポーツの競技大会、パラリンピックの空気だ。
その空気が両腕の肌に触れて、ざわざわした。じっとして居られなくなり、私は写真を撮影できるエリアを探し始めた。
 フォトグラファー用の撮影エリアは、トラックのスタート地点やゴール地点に近い場所や、走り幅跳びの砂場付近に用意されている。ゴール地点の延長線上に設けられた撮影エリアは鉄筋の骨組みで組んだ櫓で、4段ほどの雛壇になっていた。一番下の壇はテレビなど映像のカメラ用、それより上の壇は写真のカメラ用で、一つの壇には6~7人ほどが座ることができる。私は2階の観客席からフォトグラファー用の櫓のほうへ急いだ。そして、その櫓の2段目に自分の撮影場所を確保した。(つづく)

(文・写真:河原レイカ)

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