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行き過ぎた自然主義

2017年ころだったと思います。

都内某所で「スピリチュアル科学セミナー」というのがあり、顔出してみました。

跋扈するエセ量子力学

今だったら絶対行かないでしょう(笑)。

当時はまだスピリチュアルという言葉にも今ほどのアレルギーはなく、「怪しさ」は感じつつも参加してみることに。

まあそしたら案の定ですわ、中身はデタラメのてんこ盛り。

どうやったら願いがかなう幸せな人生をゲットできるかを「量子力学」に紐づけて、数式すら駆使して説明するわけですが、その内容は全くのナンセンス。

その数式とやらも、10次元の話をしているはずなのになぜか4次元。

4次元の式であることにすら気付いてない。

積分変数のこの部分が神社でこの部分がお寺、とかいやはや何とも‥。

当人が自分はブルーバックス(講談社)で勉強したと言いますが、ブルーバックスは各分野の専門家が分かりやすく書いた一般向けの啓蒙書。

専門知識を必要とせず読み進められるという方針上、ある程度以上の厳密さを犠牲にした分読みやすくはある。

ただ、端折られた厳密性の分、どうしても読み下しに任意性が生じる。

物理学にとっては言語として使いこなされている数式もなるべく使わず通常言語(日本語)で表現されるから、なおさらこの任意性が大きくなる。

そこに、金儲けしたいエセ科学者どもは付け入るわけですなぁ。

我田引水、都合の良い解釈で持論を展開。

ブルーバックスで得た知識をツギハギし科学の権威で武装する、と。

私は曲がりなりにも物理学の専門教育を受けている身。

彼らのテキトーさにはすぐに気づくけど、やはりターゲットとされている一般の人にはそれはなかなか難しい。

事実辺りを見渡すと、私以外の参加者7人は目をランランと輝かせて「講義」に聞き入り必死にメモを取っている有様。

かくして彼らは、その後に続く3時間40万円の講座に引き入られてしまうのでした。

私が大学生の時の国立大学の年間授業料が40万円。

それと同額をたった3時間の、しかも内容が全くデタラメの講座に「喜んで」支払わされる人たち。

今私が、科学非専門の一般の人でもエセ科学を見分けるハウツーについて追究している原点はこの実体験にあります。

自然主義的誤謬とは?

ちまたに出回る上述のようなエセ量子力学のそのデタラメさ加減の具体例については例えば、本ブログ「『波動医療』に気を付けて!」「イメージ先行?『波動生命体』論」などで述べた通り。

そしてここでは、このようなエセ量子力学のもう一つの問題点について指摘したいと思います。

それは20世紀初頭、哲学者G. Mooreが提唱した自然主義的誤謬という概念からの視点。

私はバイクが好きで、たまにツーリングで全国を周ったりするのですが、立ち寄った場所にお寺があれば参拝もします。

では神様仏様がいると思っているかと言えば、それはおそらくいないだろう、と。

いないと言うより、それは神や仏の定義しだいかなと思います。

私の提唱するPF理論で言うところの、肉体死滅後の世界(俗に言う「あの世」)が仮にあったとして、そこでの序列というのは確かにあるだろう。

序列と言っても厳しい上下関係といったものではなく、その世界にどれだけ長くいたか(時間の概念があればの話ですが)といった程度のもの。

長くいたほうが色々な事情にも詳しいので、より経験の少ない者に指導的なことは言えるわけです。

これは私たちが今住んでいるこの世でも同じことですよね。

一般的には年上の人が年下の面倒を見る機会が多い。

その程度の意味として、あちらの世界での年長者を「神」と定義するならそれは存在する、と。

価値と事実を峻別する

でもそんな神・仏の定義どうこうよりも、私が参拝するのはただ単に、お寺のような雰囲気のところで手を合わせると気分が落ち着くから。

一旦心を落ち着けて、目先のことに捉われていたなと思ったらリフレッシュして、今自分が本来やりたかったことに向き合っているか、目標実現の為に当面何をすべきかとかをもう一度考えるスタート地点にする、などですね。

そういう良い機会を与えてくれると思うんですよ、お寺は。

お世話になった、あるいは直接交流はなかったけれどもつながりのあるご先祖様たちと心の交流をする、という意味もあります。

理由は人それぞれで良いのだし、参拝するという行為に他人が是非を問うことでもないでしょう。

でも自然主義(=科学至上主義)で言うと、参拝という行為は「過ち」となりかねません。

そこには神も仏もいないのですから。

行き過ぎた自然主義に警鐘を鳴らすムーアの論点はココにあるのです。

「価値」(ものごとの良し悪し)と「事実」(科学的真実)は異なるよ、と。

科学的に明らかになったことは、善悪や良し悪し、価値判断の一つの基準になることは間違いない。

しかしそれは判断材料の一つに過ぎないよ、ということ。

お寺に参拝するという行為の価値を、心のリフレッシュやご先祖との対話に求めるのもOK、ということです。

普遍的に成り立つ「科学的正義」と、時と場合によって成り立ったり成り立たなかったりする「人の価値観」とは峻別すべきことで、科学的事実だけで善悪を判断すべきではないのです。

ナチス政権下のドイツでは、ユダヤ人の人類学上の劣等性が学問的に正当化され、それをもとにユダヤ人排斥が遂行されました。

この「学問的に正当化」の部分がすでに誤りなのですが、仮に一万歩譲ってそれが正しかったとしても、そこから社会的な抹殺という政策に結びつけるのはやはり自然主義的誤謬と言えます。

未だに衰えを見せないエセ量子力学に基づく高額講座商売。

科学的な言説をエサに信者を獲得する様に、かくのごとき自然主義的誤謬の一形態を見ずにはおれません。

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(つむぎ書房、2023年)
心の源は脳にあらずとする心身二元論と唯物論を統合する新説、「PF理論」のやさしい解説。テレパシーやミクロ念力などの超心理現象も物理学の範疇に。実証性を重視し、科学思考とは何か、その重要性をトコトン追求しつつ超心理現象に挑む、未だかつてない試み。「波動を整えれば病気は治る。」こんな「量子力学」に納得しちゃう人、この本を読んだ方が良いかも!?あなたの時間・お金・命を奪うエセ科学の魔の手から自分を救うクリティカルシンキング七ヶ条。本書により科学力も鍛えられちゃう。(概要より)

○ Youtubeチャンネル「見えない世界の科学研究会」
身近な科学ネタを優しく紐解く‥
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