見出し画像

こっくりさんと安直教師

小学生のころ流行った「こっくりさん」。

ひらがな五十音と数字、「はい」、「いいえ」、それに狐の霊が出入りする鳥居(笑)を書いた紙の上で、3人が10円玉に人差し指を乗せ、その10円玉の動きで霊と交信する、というやつね。

どうやらこの流行りは私の小学校だけのものではなく全国的なもので、その発端は某週刊誌に連載された漫画にあるらしい

我がクラスにも一人のめり込んだ子がいて、ある時などは「錯乱」して飛び降りる勢いでベランダに走り出し、級友に止められていたことも(教室は4F)

こう書くとなにやら深刻な事態に陥ったようにもなるけど、実際にその時感じたのは「くせえ芝居だな」(笑)

「錯乱」している方は止められることを計算してベランダへ突進している感がアリアリ、「必死」で止めている方も、いかにも激情チックに演技している感じ見え見えで


まあしかし、全国的には本当に霊の仕業だとの思い込みから自己暗示にかかり、心身を患ってしまう事例が多発したのは事実


こっくりさんそのものも勿論問題

ですが、ここで問いたいのは学校教育のその後の対応


あろうことか問答無用の「こっくりさん禁止令」通達

こんな一方通行な措置は、場合によっちゃ「狐の霊は危険なんだ」という誤ったメッセージを伝えてしまいますよ

子供たちのオカルト傾向に拍車をかけてしまうのでは?というところまでなぜ想いを至らせないのだろう


自己暗示とはどういうものか、暗示や期待により筋肉が動くことがあるということ、そもそも3人が1個の10円玉に指を乗せた状態(大抵ひじは浮かせており不安定な姿勢)では動かさない方が難しいこと、こっくりさんの危険性はどこにありなぜ「やってはいけない」のか

ここは教師として、小学生にも分かり易くきちんと説明して欲しいところ


教育者としての役割と手間を放棄し、一律禁止という楽で安直な手段に訴えることは、私などにはどうしてもこれが学校現場の思考停止・責任放棄・手抜き根性と捉えられてしまいます


そして、微に入り細を穿つ校則にもそのような安直さがないだろうか、とも

山形一中(敢えて晒す)の当時の校則「男子の前髪は2.5㎝まで、脇は1.5㎝まで、後ろは刈上げ」

転校生の私は理由を問うたが答えはただひと言「みんなで決めた」

「みんな」って誰?少なくともオレは決めてねえぞ

生徒はどれだけ先生と対等な立場でその決定の場に参画していたんだ!

結局、髪を延ばすとリーゼントしたり油塗ったり染めたりと、「良からぬこと」をするから、それができないように短く刈っちゃえ、と


なぜリーゼントが悪いのか(それが本当に悪なら)、リーゼントの子と腹を割って話すべきではないですか?

それができないなら、もう教育者としての資質が果たしてどうなのか、という話ですよ

○Kindle本
「再会 -最新物理学説で読み解く『あの世』の科学」
https://www.amazon.co.jp/dp/B0973XR53P

○ホームページ
「『不思議』を科学する<見えない世界の物理学>」

ブログでは書けない不思議の科学の真髄とは?
メルマガ登録もこちら
https://parasitefermion.com/

この記事が参加している募集

探究学習がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?