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SNSに一喜一憂 ⇐ ムダ

最近ちょっと話題の「SNS恐怖症」(呼び名はいろいろある)について。

認知活動に根付く太古の生活史

人類の歴史全体を俯瞰すると、そのほとんどは狩猟と採集の生活であり、文明生活はごく最近のわずかな期間でしかありません。

進化論的に、私たちの認知活動のベースには狩猟・採集時代に培われた様々な「認知のクセ」が根付いています。

例えばその時代、人々は100人程度の集団で協力し合いながら、共同生活をしていました。

その中では子育てをする人、獲物を追いかける人、わなを仕掛ける人、武器を作る人、食事を準備する人など、分業体制も整えられていたようです。

互いに素性のよく分かった者どうしで、集団は成り立っていました。

心理学で明らかにされたことによると、一人の人が本当に仲良くなれるのは150人くらいまで、だそうです。

この上限値も狩猟・採集時代の名残と言われています。

確かにフェイスブックなどで友達の数が何千人といても、ほとんどはそれほど親しくなかったり、ヘタすると会ったことも会話したこともなくただ申請が来たからOKしただけ、なんてのもありますよね。

現代社会では会社や学校、あるいは所属組織などで150人を越える人とつながりがあることは珍しくありません。

SNSを通じてつながる人数も、100人程度ではない人がほとんどでしょう。

数千年程度では生物進化は顕在化しない

でも生物学的な進化は数百年や数千年程度ではほとんど変わらないので、近年の社会の変化やインターネットの普及に、私たちの認知活動の進化は全く追いついていません。

その中でいやおうなしに関りを持つ多くの人に対し私たちの認知活動は、相手の信頼性をなんとか評価しようとします。

SNSでつながった相手を評価する手段は、圧倒的にその人の投稿が主体になりますよね。

それは致し方ないとしてもここで問題になるのは、一般的に人はありのままの姿をSNS上にさらさない、ということ。

脚色された姿だけを表示しようとします。

誰だって恥はさらしたくない、当然。

恥をさらさないどころか、フェイスブックをざっと眺めてください、結構な数が陰に陽に「自慢話」だったりしません?(笑)

虚像におびえないで

私たちの「直感」は狩猟・採集時代に培われた認知活動がベースになっているので、表面的なSNS投稿で相手の信頼度を推し測ろうとしますが、そこにあるのは虚飾された「虚像」だったりします。

虚像におびえ、虚像をうらやましがり、「なんて自分はダメな人間だ」などと思うことがあれば、それは全く無駄な思考。

そのように思う必要は全くありません。

ここは冷静に、理性的・論理的思考で、「それは虚像なんだ」とやり過ごし、自分のスタイルに自信を持っても良いのではないでしょうか?

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