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型にはめられずに生きよう

19世紀のヨーロッパ、大多数の人がキリスト教徒だった時代にあって哲学者ニーチェはずばり「反キリスト者」というタイトルの本を出版しました。
 
さすがにこれは批判が大きかったようです。

今で言えば、「大炎上」という奴でしょうか。 

しかしニーチェが批判したのは、聖書の中身でもキリストさん本人でもありません。

彼が批判の対象としたのは、当時の教会を支配していた聖職者や神学者の流布するタテマエの倫理観なのでした。

彼らは、新約聖書をその正当化のダシにしつつ、キリスト教の教えとは乖離した独自倫理観を社会に押し付けたのでした。

例えば彼らは、人間の性愛を「必要悪」と規定しました。
 
それは子孫を残すためだけに存在し、本来好ましいのは生涯にわたる貞潔とされました。

例えばセックスは夫婦以外ではありえず、その夫婦の間でも、セックスで快感を得ることは好ましくない、セックスができるのは教会の祝日に当たっていない火曜と水曜だけ、そしてそれは今で言う「正常位」に限り、他の体位は獣や悪魔の好む呪われた体位である、などと細かく規定されていました。

「人の生に最も有害なものがこの倫理道徳では『真理』と呼ばれている」とし、「神学から生まれた倫理道徳はことごとく反人間的で反自然的だ」と喝破したニーチェ。

彼にとってこの倫理観は、今すぐにでも食料や金銭などの手当てが必要とされる現実の生をないがしろにするもので、人間が生きるための本能と欲望の多くを罪と断じて神からの恵みを待ち、現実世界の生活の向上よりも天国を目指せと説得するもので、余りにも空想的で現実的ではないものとなります。

20世紀のフランスの哲学者フーコーは、当座の権力者や政府が人々にあらゆる意味での規律や規制を上から人々に与え、その枠内でのみ生活をしなければならない状態をつくる力となる、と言います。

つまり権力体制は法体制のみならず、生き方や考え方、倫理観まで手を伸ばし、その内面生活までもコントロール下に置く、ということです。

今でこそLGBTQ+が話題に上りますが、性によって生き方が規定される世が長く続きました(人類の歴史数百万年に比べれば短いと言えるのかもしれませんが)。

例えば藩主や地方豪族、名主などの名家ではとにかく跡取りとなる男子が生まれることが重要で、とついで来た嫁には男子を生む使命が課されたものです。

生まれてきた男子、特に長兄も後を継ぐ生き方に自分を合わせることを求められました。

個々人が自分の生き方をどうこうすること自体がナンセンス、というかあり得ないことだったのです。
 
ニーチェの新機軸は「それぞれが自分なりの価値を創造せよ」と主張したこと。
 
もしあらゆる物事の価値が先天的に決まったものだとするならば、既に決まったその価値の鋳型に自分を当てはめる人生を送るようになります。

ニーチェはそこに激しく抵抗を呼びかけるのでした。


近年よく人口に膾炙する「勝ち組・負け組」の単純化された二者択一論。
 
いい学校を出ていい会社や官庁に入り出世する、か否か。
 
前者が善で後者が悪、という生き方、こういうものにニーチェは明確に”NO”を突き付けます。
 
「もっと危険な人生を、もっと自分の個性で赤く染まった人生を、もっと自分がいきいきとするような生き方を送れ。」


若者の自殺率が先進国中トップクラスの日本。
 
ニーチェの論法に学ぶところは多いのではないでしょうか。

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