黄金だったあの日々。
期末テスト、これにて。
どうも、コーシです。
最近、街で制服を着た高校生を見かけると、「かっこいいな」と思ってしまう。
あの、”無敵”感。
この世界全体を直接、自分なりに、全力で感じまくって生活を回転させている彼ら彼女はとんでもなくカッコ良い。
そして、一方で大学2年生の前半までを終えた私。
もちろん大学生だって全力で生きているが、高校生ほど体全体で世界を吸収することはできなくなってしまった気がする。
高校生の時、全てが自分ごとだった。
あまりに無関係で、遠い場所での出来事でも、真隣で起こった出来事のような気がして、たくさんのことに喜び、悲しみ、怒り、悩んだ。
その生活はカラフルなんてものじゃなかった。
それ以上彩ることの出来ない、金ピカに光る黄金だった。
とまぁ、高校生という肩書きが一人称として使えなくなった今、あえて高校生をバカにするようなことは一切書かないが、高校生だった自分を思い出して高校生を表現するならバカだ。
黄金で、バカで、多分カッコよかった。
そのバカさが黄金の輝きをもたらしたのかもかもしれないし、黄金の輝きが私たちをバカにさせたのかもしれない。
正直、高校生の自分たちというのは理解の範疇を超えている。
なんでそんなことができていたのか、真相は黄金に葬られている。
月曜日から土曜日まで朝6時半くらいに起きて、酷暑の中でも極寒の中でも自転車を漕いで学校に向かう。
そして6教科を全力で受ける。
毎週のようにプレゼンもあった。
合間に体育で命がかかっているくらい真剣にクラス対抗でスポーツをやる。
休み時間にはなんか爆笑している。
学校が終わってもなかなか帰らない日がほとんどで18時くらいまで遊んだり勉強したり。
そんな1週間を終えた土日も電車でどこかに出かけたり、部活に行ったり。
色々と特筆すべきところがあるが、最も特筆したいのは”体育”だ。
今の状態で、もしこの生活を再度送ったとして体育後の体臭が最も恐ろしい。
ハタチになっても特に変わったことなどなかったが、唯一変わったと感じるのは汗の質だ。
もう私はポカリスウェットのCMには絶対に出れないんだなと思い知らされた。
高校生の私たちは発汗なんかに縛られずにしにもおの狂いでボールを追いかけ、体育後の汗の滴る中、風の通る教室で優雅に授業を受けていた。
すごいと思う。
そんな生活を基本として、なにかのイベントに参加したり、高校の学校説明会を運営したり、クラスでミュージカルをやったり、文化祭のステージを演出したり、箱根にチャリで行ったり、自転車に乗る友人にボールを当てたり。
毎日が全く違う日だった。
大学からの帰り道、そんなことを考えていたら最寄駅に着いてしまった。
最寄駅から家に着くまで、高校時代の仲間たちのことを思い出す。
今もみんな活動している。
バイトや勉強に勤しんだり、住む土地を変えたり、一つのことを極めていたり。
自分だって、結局全力なのは高校生の時と変わらない。
変わったのは汗の質くらい。
でも黄金ではない。
高校生が黄金なのは、きっと光が差し込む角度と、光を反射する角度が多様だからなのだと思う。
多くの刺激を感受し、内省し、発散する。
その営みは輝きをまとっているかのように見える。
きっと大学生の僕らはもう黄金ではない。
あらゆる角度から差し込む光をある一つの方角にめけて反射し、自分が進む道、自分のまわりを”照らす”。
それは専門性を磨いたり、ある種の”極める”という行為なのだと思う。
そうやって、生きる術を学んでいく。
黄金を失った人生を、彩っていく。
黄金でいたことも、黄金を失ったことも、全てが通過点で、これから先も多くの色が加わって、色が混ざってグレーになって、それを磨けば銀色になったりするのだろうか。
もっと、色を塗らなければ。
そう思い、私は黄金の夕焼けに別れを告げて、銀色に光る満月を待つことにした。
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せっかくこんな内容なので活動している高校の仲間たちを紹介させてください。
がい
長野で古民家を開こうと奮闘中です。
最高な場所で最高なことをする予定です。
彼とは高校生で一番長く時間を過ごした親友の1人です。
ゆたか
大学で写真を学んでいます。
彼の撮る写真は世の中が元来もつ美や純粋が引き出されたようです。
彼はおそらく私のことを知り尽くしています。
えなちゃん
学年は一個下の後輩です。
とても面倒見が良くて、かっこいい方です。
現在、クラウドファンディングを実施中です。
内容がとてもカッコ良いのでぜひ読むだけでも、覗いてみてください。
フクダコーシ しそとツナ缶。
Instagram @f.kohhhhhshi_(アート投稿中!)
Twitter @FKohhhhhshi
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