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日本のスピリチュアルと差別化する理由〜現代魔女と民俗学とリベラルアーツと〜

「個人主義の究極の形は「利他」の精神だ。究極のエゴイストは、そんなに馬鹿じゃない。」昨日こんな事をポストしました。

これからの時代は個だとか、もう使い古された古い言葉に感じるけど自分軸とか、皆がこぞって同じ事を言うようになったのは、それが王道になり始めたからなのだろう。ようやくマスの傾きが変わった。長かった。

でも、自分の欲望が暴発してるだけの「個」は、やっぱり未熟な危うさがある。
世界が変わる大きな時代の節目に、私たちはそんな簡単な宿題を出されているのだろうか?

個人主義の究極の形は「利他」の精神だ。
究極のエゴイストは、そんなに馬鹿じゃない。

https://www.instagram.com/p/C2dATfGSqN6/

民俗学やリベラルアーツから現代魔女の在り方を知って頂こうと、現代魔女としてその生き様を体現していますが、

わざわざニッチな民俗学やリベラルアーツに見せ方を振っているのは、「日本のスピリチュアル」と差別化するため。現代魔女「パラレル宇宙子」という存在自体が、流される世間や大衆への「疑問定義」だからです。

季節のサバト毎の意味に沿った魔女術ワークショップで「体験」を共有したり、日々のRitualや自然の循環の中で共生を体現する泥臭い姿をYoutubeで発信しているのは、

なんだか綺麗に包装されたリトリートやセッションの、フワッとしたスピ体験が飽和し、自分で考える事を辞めた流されてるだけの「日本のスピリチュアル」を量産し続けていると疑問視しているからです。

どこか自分に都合よく解釈したり、楽な方へ楽な方へと流されたり、目に見えない世界を「逃げ場」にしている方達に、一番大切なコアの部分は、打っても響かない。更には

サイキック(力)に溺れた未熟者ほど、神を謳い、神を冒涜してる。例えば、全てを知った気になり、自分を神格化してしまったり、ego inflation(自我の膨張)を起こした未熟な指導者のセッションやリトリートは、巷に溢れ返っている。(魔族の使いっパシリとかなの?←詳細は本編で)

今と言う時代は、多くの人の意識が「個」に向かい、自分が楽に生きれる様にばかり目にしますが、個人主義の究極の形は「利他」の精神です。究極のエゴイストは、そんなに馬鹿じゃない。と、私は思うのです。

今日のブログは、以下目次。宇宙子の頭の中について綴りました。
とにかく日本のスピリチュアルと差別化する必要がある。そう強く感じた理由について、真面目に綴っています。


日本のスピリチュアルと差別化する理由

とにかく日本のスピリチュアルと差別化する必要がある。そう強く感じた理由は、

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魔女の部屋

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現代魔女パラレル宇宙子の頭の中が分かるブログ的なアレ。宇宙子が日々見ている景色や独自の思考、魔術や呪文などを綴っています。(不定期更新)

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