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【エッセイ】休日の朝、銭湯でGメンに遭遇した話

6月某日、早朝。
瞼の裏が明るくなって目が覚めた。
遮光カーテンの向こうから、朝の陽ざしが差しこんでいる。
枕もとのスマホを手探りで引き寄せ・・・起動すると「AM5:30」だ。

休日にしては早起きが過ぎるなあ。昼過ぎまで寝てられると思って昨夜はビール1杯ハイボール3杯も空けてしまったが、目論見がはずれた。
なんとなくベランダを開けて外にでてみた。快晴である。

二度寝するのも勿体ない。

散歩にでも行くか。

散歩散歩、と着替えをしていたら、今日が燃えるゴミの日であることを思い出した。いかんいかんゴミをまとめなくてはとまとめていたら、ついでに「Nの湯」で朝風呂したら気持ちいいだろうなと思いついた。

手ぶらで出かけるつもりだったが、気づけば左手にゴミ袋、右手にバスタオルの入った鞄を持って家を出ていた。
私は気が多いので、休みの日の予定はたいていこのような流れで決まる。

家の前のゴミ置き場にゴミを出し、踏切を超えて南へ下るとまもなくNの湯が見えた。
Nの湯は家から近い。思い立ったらすぐ行ける気軽さが良い。
しかしどうやらNの湯界隈の殆どの住民が「思い立ったらすぐ行ける」と思っているようなので、常に混んでいる。
特に夕方以降の時間帯は子ども連れが増えるので、私は避けることにしている。私はよそんちの子どもが大好きだが、風呂場ではできる限り出くわしたくない。

いつもは開店直後の6時に着くのだが、今日は1時間出遅れた。1時間しか違わないのに、なんとなく人の多い気配がする。
入口の暖簾の前で、二十代くらいのリュックを背負った男の子二人が「どうする?入る?」といった様子ではにかみ合っている。
多分、近所に住んでる大学生だろう。
男同士でモジモジしているさまが寝不足の私の癇にさわったので、私はそのすぐ横を通り抜けて一目散に靴箱へ向かった。

靴箱のカギは必ず「一七一」を取るようにしている。特にこれといった理由も語呂合わせもないのだが、一番初めにここへ来たときに「一七一」を取って以来、ずっとそうしている。
しかし、今日は空いていなかった。ちょっと幸先が悪いな。

入浴料450円を支払って階段を上り、女湯の暖簾をくぐって脱衣所へ向かった。
Nの湯は1階が男湯、2階が女湯になっていて、男湯の更衣室は番台のすぐ奥にある。
番台から手を伸ばすと男湯の暖簾に触れるくらい近くにあるので、支払いを済ませた男性陣は吸い込まれるように奥へ消える。
私が財布から450円を選り分けて顔をあげるともういない。
なんなら1000円札1枚出すうちに消えている。
私は毎回そのことにギョッとする。

さて、脱衣所に着いたら第一に行うべきことは、ロッカーの見定めである。
着替えやタオルの出し入れがしやすい場所を獲得しなければならない。
一番右端の列のロッカーが縦3つ空いているのを私は素早く発見し、3つのうちの真ん中を使用することに決めた。
ワンピースと下着とマスクを脱いで髪をしばり、タオルをさげていざ浴場へ入る。

浴場は思ったより空いていた。
こりゃラッキー。私は意気揚々とかけ湯をすませ、ジェットバスがある一番奥の浴槽に入ろうとした。

手すりをもって湯船に足を差し入れた瞬間、左前方から声がした。

一瞬自分に話しかけられていることに気づけなかったが、ジェットバスの浴槽には私とその声の主しかいなかったので、私はキョトンとした顔でそちらに目をやった。
七十代くらいの女性が、厳しい顔で「体流したか?」と言ったようだった。
(すぐ隣にうたせ湯があるせいで女性の声は非常に聞き取りづらかったが、表情とジェスチャーでなんとなく察した。)

私は「流しました!」と、こちらも体を流すジェスチャーを交えて答えた。
女性は自分の股のあたりを指さして「ここも流したか?」と聞いてきた。
私は負けずに笑顔で「流しました!」と答えた。そこまで聞くか!?

私の下半身の状況まで聴き取りを終えて満足したのか、その女性、というかバアサンは「ウム」と頷くと再びリラックスした顔で入浴タイムを再開させた。
私はバアサンから一番遠いジェットバスで温まりながら、高い天井をぼんやり見あげて「なんだかなあ」と思った。

男湯の事情は知りようがないのだが、Nの湯のような小規模の銭湯の女湯には、たいがい1人はこのような人がいる。
銭湯のそこかしこに貼ってある入浴マナーを熟読し、遵守し、率先して風紀の乱れを指摘する人。
銭湯に忠誠を誓った人。

銭湯Gメンだ。

しかし銭湯Gメンことバアサンは、私の後に続けて入ってきたバアサンより年上とおぼしき女性には「かけ湯チェック」を怠っている。
また、別の浴槽でこのご時世に友達と喋り倒している婦人達に対しても無視を決め込んでいた。
※2023年現在、私の近所の銭湯では「黙浴」が推奨されている

なので、注意するかしないかはバアサンの気分次第なのだろう。

銭湯に限らず、私はなぜか、子どものころからこういう手合いによく遭遇している気がする。
おもちゃ屋のジイサンから「買わないなら商品に触るな」、部活帰りにバス停で通りすがりのオッサンから「こんなところで菓子パンなんか食うな」等々。
まあ、一理あると言えばあるご意見なのだが。

私は子どもの頃から1人で行動するのが好きだったし、自分で言うのもなんだがぽやっとした顔をしている。
なので、N温泉のバアサンのような「文句言い」(私の住んでいる地域ではこう言う)からしたら、言いやすい対象なのかもしれない…。
だってそうだろ?
もし私がドウェイン・ジョンソンみたいな見た目だったらバアサンだって何も言わんだろ?
まあドウェイン・ジョンソンは銭湯にもおもちゃ屋にも行かないかもしれんがな。
菓子パンは食べるだろうか。北海道チーズ蒸しケーキとかお好きでしょうか?

自己分析はともかく遭遇してしまうものは仕方がないので、そういう時の私なりの最善策は、とにかくハッキリと受け答えすることである。
「体流したか?」は「流しました!」たとえ「股も流したか?」と続けられようとも「流しました!!!」
Gメン相手に口ごもったりしてはいけない。こちらがオドオドしていたら、後ろめたいことをしたと認めたも同じである。
また、注意を理解していないと誤解される可能性もある。
そうなったら、向こうの気が済むまでエンドレスご忠告だ。それだけは避けたい。

とりあえず最善策で対応できたので、まあいいだろう。
平静を装って湯船に浸かり続けていると、私の額に汗が滲んだくらいの頃合いでバアサンは水風呂のほうへと去っていった。
私は内心ほっとして、その姿が完全に視界から消えたのを確認してから、バアサンが陣取っていた一番広々としたスペースにすかさず移動した。
バアサンは、意地悪ではあるが風呂場のベストポジションを探す能力に長けていた。

しかし、ものの5分程度でバアサンは水風呂から戻ってきた。あ、もう限界です。私、帰ります。お疲れさまでした。結局、最善策は打ててもその後居直る度胸のない私である。

浴槽から出て帰る間際、露天風呂へ逃げるという一案を思い付いたのだが、露天風呂には背中一面にそれはそれは鮮やかな刺青を施した金髪のお姉さんがうつぶせに寝ていたので、それも叶わなかった。
(刺青を間近で見たい好奇心にもかられたが、お姉さんのすぐ隣に力士のごとく恰幅のいいオバサンが寄り添っており、二人の関係性が全く分からないことが恐ろしかったので、やめた。
意地悪バアサン相手にあれだけ警戒したのに、刺青のお姉さんにホイホイ近づこうとする私。こういうところ、自分で自分がよくわからない。)

脱衣所で服を着ていたら、後ろから「おつかれさん!」という快活な声がした。Nの湯のスタッフ同士の会話かと思って振り向いたら、それは着衣を済ませて帰ろうとするオバチャンAと、たったいま脱衣所へ辿り着いたばかりのオバチャンBのすれ違いざまの挨拶だった。

ははあ、やはりNの湯のなかには小さな社会を感じる。
あの意地悪バアサンも、私の知らぬところでは銭湯GメンとしてN温泉の平和に一役買っているのかもしれない。

朝風呂からの帰り道、黒猫を見つけた。
私と同じく、ひとりぼっちで所在なさげにしているのに誰からも口出しされることなく、スンと澄ましてそこにいた。
8時を回ってだいぶ陽が強くなってきたので、日陰を探して昼寝でもするつもりなのかもしれない。

私も自由で孤独な黒猫になりたい。

なんて思いながら帰宅して、ホカホカの体で二度寝を満喫したのだった。

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