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【panpanya漫画考察】『比較鳩学入門』

前回は、作中に出て来る看板や標識、地名などを調べることで、
panpanya作品の「現実と空想の境界」について分析しました。

▽過去記事 『キオクだけが町』▽

今回は単行本「グヤバノ・ホリデー」に収録されている、『比較鳩学入門』について語ります!
前回までとは見方を変えて、panpanya作品の漫画的表現技法について考えてみました。

考察なので、漫画に関するネタバレ注意です。
漫画を先に読むことを強くお勧めします。


比較鳩学入門

・冒頭 車窓から鳩を眺める

向かいの駅ビルにいる鳩がやけにでかい…というところから、その鳩の実寸を知るために調査する話。
主人公が友人と電車の車窓から景色を眺めていると、ビルの看板の上に鳩がとまっているのが見えた。
「あの鳩でかくない?」確かに、3コマ目は建物群の中に小さく鳩が描かれているだけなので見逃しそうになるが、次のコマで看板と一緒に写っている鳩は大きく見える。
前コマの看板の大きさと比較すると明らかだ。アニメの作画ミスみたいで笑ってしまう。

・「錯視」と「遠近感」

主人公たちは鳩の大きさを確かめるため、駅をおりて看板の下へ向かう。と、看板に他の鳩も集まってきた。
「でかい鳩いっぱいいるのかよ!」
「なんだ 他の鳩と同じ大きさじゃん。」
友人は鳩の大きさを、他の鳩と比較して捉えたのだ。
ここで、錯視の説明が始まる。
周りのものの大きさや距離によってものの大きさは違って見えるのさ
地面へおりた鳩。すぐ隣にはカラーコーンがある。
「鳩が逃げてもコーン測ればおよそ見当つけられるだろ」
ここからでは鳩とコーンが(私たちがいる地点から)同じ距離にあるかわからないではないか
錯視に続いて、遠近感の話である。

ハトとコーン。
主人公たちから遠すぎるため真横に並列しているように見える。

主人公達はあの手この手で鳩の大きさを知ろうとするが、なかなかうまくいかない。
決定的なのは、鳩は直ぐに逃げるため、手に取って計測できないことだ。
主人公は錯視や遠近法によって鳩が実際より大きく見えたり小さく見えたりする可能性を疑いながら鳩を観察する。
看板との対比による錯視も遠近法による錯覚も現実に起こる現象であるので、私たちにも納得感がある。

・ラーメン屋台に乗って「裏道」の世界へ

鳩の計測を諦めかけている2人。
「お腹すいてきちゃった」・・・と、唐突にラーメン屋台が通り掛かる。麺を切らしたという大将は、屋台に2人を乗せて製麺所をめざし裏道へ入ってゆく。
この裏道の光景は、異様としか言いようがない。

屋台一台がやっと通れる幅の裏道にはトタン屋根の家々が所狭しと並んでいる。電線や屋根の上には大量の鳩達。看板にいた鳩は横並びだったがこの鳩の群れは裏道の手前から奥へランダムに配置されていて、いよいよ大きさが分からない。まさに遠近感が狂ってしまう

また、このコマは視点が高い。1番大きく見える鳩のすぐ後ろから、裏道を見下ろすような風景が描かれている。
俯瞰のアングルからものを見ると高さに歪みが生じる。
そのため裏道の家々は二階建てのようだが、実際より高く、覆いかぶさるように広がって見える。

 「なんだかまるで私たちが小さくなったような気分だよ」「言い得て妙」と言い合う2人。その通りである。
鳩が大きいことだけでなく、家並みに隠れて空も見えないような裏道の圧迫感、アングルによる遠近感の歪みといった絵的な説得力もこの奇妙な世界を効果的に演出している。

128ページ1コマ目では鳩が室外機の上に乗っている。ちなみに、一般的な室外機の大きさは高さ約60cm×幅80cmだ。となると、やはりここにいる鳩は全て大きい。

・鳩のキャラ化

餌を食べている鳩を主人公が持ち上げるシーンで、またしても異変が起こる。
それまで写実的に描かれていた鳩が、突如デフォルメされて簡素なタッチになり、キャラ化するのだ。

この鳩も、前画像の鳩の群れも、同じ裏道の鳩。

作中の鳩は、このシーン以降ずっとキャラ化したままである。
これは何を意味しているのか。
私は、鳩というものの定義・概念自体が曖昧化したことを表現していると捉えた。
 
捕まえた鳩を計測すると大きさが「五十五センチくらい」と判明するが、これが「普通の鳩」と比べて大きいのかが分からないのだ。
「鳩捕まえたの初めてだから自信なくなってきたよ」
確かに鳩は近づくと逃げてしまうため間近で観察することが難しい(作中でも何度か逃げられて計測に失敗している)。
なにより普通の人は捕まえて観察しようなんて考えないだろう。
主人公(と私たち読者)は、身近なよく知るはずの存在である鳩について、実はそもそもよく知らなかったことに気付かされる
 
ラーメン屋を出た2人は道端で「普通の鳩」を見かけるが、この鳩もキャラ化している。
これは一般的な鳩の認識が曖昧になってしまったことの表れだろう。
「『普通の鳩』ってのも人や場所によってそれぞれ曖昧なものなのかもしれない」主人公はそう独白する。

・現実と2次元世界の「メタ」的表現

「錯視や遠近感は、現実に起こりうる視覚性の錯覚である」これは正しい。
一方で、「錯視や遠近法は説得力のある絵を描くための空間表現である」ともいうことができる。
「比較鳩学入門」では、この現実世界と2次元世界という異なる次元の観点が物語上で同時に提示されている。いわゆる「メタ」である。
 

・まとめ


「比較鳩学入門」は視覚的錯覚という物理現象と作画の表現技法をひとつの物語に詰め込むことで、私たちを空想と現実がごちゃまぜになった世界へ導いてゆく。
読者は遠近法や錯視を知ることで鳩の実寸を認知できなくなり、
曖昧な鳩のキャラ絵を「(漫画的には)これも鳩だよな」と受け入れて読んでいくうち、現実にいる「普通の鳩」が分からなくなるのだ。

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