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ロマンチックでノスタルジックで非ステレオタイプな飛騨高山

どうも、白湯です。
先日、岐阜県の飛騨高山へお邪魔してきました。

普段はあまり外に出ないのですが、岐阜県、とても良かったです。
自然や歴史的建造物、旅館、いい場所がたくさんありました。
その中でも、食べ物が別格に美味しかった、という印象が一番強いですね。

普段から旅行が好きなわけではないのですが、やはり行ってみると何かしらの刺激があるものですね。

私はこの旅行で、固定概念を持つことの愚かさを知りました。
それが、「漬物ステーキ」との出会いです。


2泊3日の初日、雪がずっと降っていました。
無人の夜の街と、街頭の光と雪の組み合わせ、とても美しいですね。
提灯の赤色が非常に良いアクセントです。
漬物ステーキと初めて出会ったのは、この「あじ平」というお店です。

「漬物ステーキ」を食べたこと、見たことのない皆さん、この単語を見て「美味しそう」と思いますか?

酸っぱい漬物と、ステーキ??
私の頭ではどうも想像が追い付かなかったようです。
酸っぱいものがそもそもあまり好きではない私は、最初は食欲がそそりません。
しかし、一緒に来た連れに「食べてみよう」と誘われ注文。そして出てきたのがこれ。


「なるほど、漬物と卵のステーキでしたか...」と虚を突かれる。
まだ酸っぱそうという感覚は消えていない。

しかし、一口食べて見るとむちゃくちゃ美味しかったのです。
白菜の漬物の酸っぱさが、出汁と卵の旨味によってコクに変わっていました。
このシンプルさと、このおいしさ。
初日にして、岐阜旅行で一番感動したシーンです。

漬物ステーキは岐阜県の郷土料理の様です。
ホテルの朝食にも、市内のどのお店に入っても必ずある漬物ステーキ。
県民にとっては、かなりなじみ深い食べ物かもしれない。

しかし見たことも聞いたこともない私は、いきなり「美味しくなさそう」と思ってしまった。
連れがいなければ、危うく私はこのおいしさに遭遇出来なかっただろうに。連れとあじ平に感謝である。

もちろん疑うことは大事。でも既成概念によって、初めから諦めたり、ネガティブに捉えることのもったいなさを、身に染みて感じた出来事。


また飛騨高山には、「古い町並み」という地域がありました。
名前がそのまんますぎですが、分かりやすさ重視で付けた名前なのでしょうか。


ここは高山市の古い町並みですね。
430年前の戦国時代にできた高山城を中心にできた城下町。

こっちは飛騨古川の古い町並みです。

そしてこちらが、飛騨高山の古い町並み内を流れる川です。

どこを歩いても、とても美しい町並みでした。
しかし、特段感動することもできませんでした。

旅行を楽しめていないわけではないのです。
そして、この気持ちが「感動」ではないなら何か、と考えていました。
それは「懐かしさ」でした。

その懐かしさの由来は、私の地元、三重県伊賀市です。

前の私の記事「田んぼと空とアイデアと私」という中でも言いましたが、私は三重県伊賀市の出身です。

「田んぼと空とアイデアと私」https://note.com/paradigmshift_00/n/n55cad1b8934a

生まれてから地元を出るまでの18年間、ずっと「伊賀街道」と共に育ちました。
伊賀街道も、高山市と同じく城下町で、木造の建物が所狭しとびっしりと並んでいます。
伊賀街道ができたのも、だいたい400年前頃です。
どうやら飛騨高山の城下町と似た時期かもしれない。

これは伊賀街道、高山の古い町並みを驚くほどそっくり

「城下町」というのは、日本の中世末期(鎌倉時代くらい?)からでき始めたらしいです。現在私は京都に住んでいますが、清水寺周辺なども同じ町並みになっていますよね。

どの城下町もとても町並みが似ているのはどうしてなんでしょうか。
「日本人」には、何か共通の感覚があって、400年前に同時多発的に似ている城下町が出現したのでしょうか。

それとも、どこかで作られた初めの城下町を、誰かが観察して真似をしだしたのでしょうか。

現代は、洋風の建築様式が普通になっているため、一軒家の見た目はまるで昔と異なりますね。
けれども、異なる地域も、同じ程度の田舎なら、俯瞰してみた時、どこも似たような家の並び、町の作りになっているような気がします。
やはり日本人には共通の好み、嗜好、感覚のようなものが備わっているのでしょうか。

これは我々日本人に備わるDNAに由来しているものならば、なおさらロマンを感じます。

世界各国の神話にも、洪水やドラゴン(竜/龍)、妻と夫の関係などの様々な共通点がありますよね。
そんな全人類にもDNAレベルで、共通の感覚が備わっているのなら、全日本人に本質的なものが備わっていてもおかしくないですよね。

まさに人類共通の記憶。
私の懐かしさは、誰かの記憶によるデジャブだったのでしょうか。

ところで、城下町の町並みが似ていても、そこから長い年月をかけて作り上げられた文化に違いが出てくるのはさらに面白いですね。
それぞれ異なる風土が、同じ箱の中身を少しずつ変えてゆくのですね。

だからこそ驚いた漬物ステーキ、まさに固定概念を壊してくれました。

どちらにせよ飛騨高山は懐かしさを覚えつつも、新鮮な感覚を与えてくれた場所でした。
次は暖かい飛騨高山にも会ってみたいものですね。



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