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荷物の重さを比べる前に。


目の前にいる人が、その姿からは想像もできないような過去や悩みを抱えていると知ったとき、何を思うだろうか。




「自分よりもこの人の方がつらい経験をしているから、この程度でつらいと言っている自分が情けない、この程度でつらいなんて言ってはいけない」


もしそう思った人がいたら、わたしはそんなことないよとその人に言いたい。そしてそう思ってしまいがちなわたし自身にも、同じように言って聞かせたい。



他人のつらさと自分のつらさを比べても、抱えているつらさは軽くならない。比べることで自分は前に進める、という人も中にはいるかもしれない。けれど比べることで、自分が抱えているつらさを無理矢理つらくないと言い聞かせて、つらい自分にさらに鞭を打つようなことをしてしまう人がいるとしたら、そっと背中を擦りたい。



その人にどんな過去があるのか、それは話を聞いて初めて分かる。〈そんな風には見えない過去〉を背負っている人は、街の中にたくさん溢れている。溢れているからといって、「だからあなたも頑張れ」は、励ましの言葉になることもあれば、相手を追い詰める言葉にもなりかねない。



比べ始めたら、きっと止まらない。誰かが見てきたものと全く同じものを見て、歳を重ねることはできないし、どんなに大切な人のつらさでも、悲しいけれど全部を知ることはできない。どんなに分かって欲しくても、半分も伝わらない。でもそれは、自分の抱えているつらさがつらいことではないからではなくて、自分と相手が違う個体だからだ。一体化しようとすればするほど、自分は自分でなくなるし、相手と混ざってもっと複雑になる。



比較したくなることもある。自分の方がまだましだと思ったり、優越感に浸りたくなるときもある。それは決していけないことではないと思う。比較するから、自分のモチベーションを維持することができる。



つらさの程度を決めるのは、基本的に他人ではない。まずは自分が「つらい」と感じているその感覚を、大事にしたい。そのあとに、何がつらくて、どうしたらつらくなくなるのかを、誰かと一緒に考えたい。一緒に考えられる人でありたいと思うのだ。

最後までお読みいただき、ありがとうございます! 泣いたり笑ったりしながらゆっくりと進んでいたら、またどこかで会えるかも...。そのときを楽しみにしています。