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彼女の中に自分を見る。

気分が明るくなるような作品を読めばよいものを、なぜか自然と手が伸びてしまうのは、一歩踏み外すと心底気が滅入ってしまうような作品なのである。

角田光代さんの『紙の月』を読んでから数日間、わたしは重たい気持ちを引きずっていた。生活に支障が出るほどの落ち込みではなかったが、ことあるごとに梅澤梨花のことを考えてしまう。彼女は自身が働く銀行から一億円を横領した容疑者で、しかしどこにでもいる”普通の”女性だ。

彼女のことを考えずにいられなかったのは、横領した金額が一億円という巨額なものだったからではない。彼女がどこにでもいる、ありきたりな女性だったからだ。

彼女のことを考えれば考えるほど、わたしは梅澤梨花を突き放すことができない。恥ずかしさとともに、愛おしさすら感じてしまう。角田光代さんの作品を読むと、毎回のように思う。「本の中にいるのは、名前を変えたわたしではなかろうか」と。

年齢も生活環境も違う。結婚も夫婦生活も、したことがないわたしには想像することしかできない。彼女とわたしはまったく異なるのに、わたしは彼女の中に自分を見る。

わたしにも、彼女と同じ道をたどる素質がある。わたしだけではない。おそらく多くの人が、梅澤梨花と同じことをする可能性を十二分に秘めている。それは彼女があまりにも普通で、どこにでもいるありきたりな女性だからだ。

彼女について、知っているようで何も知らない。わたしもわたしについて、知っているようで知らないことばかり。彼女のようになることも、ならないこともできるだろう。しかし絶対にならないと言い切れるほどの自信はない。

どうやらわたしにも、”普通”という要素がちゃんと備わっているようだ。所詮わたしも人間なのだ。






最後までお読みいただき、ありがとうございます! 泣いたり笑ったりしながらゆっくりと進んでいたら、またどこかで会えるかも...。そのときを楽しみにしています。