暇つぶしからの好転人生

夢と現実の狭間を泳いでいるときって、大昔のことを思い出してしまうことがある。

今朝、その狭間を泳いでいると、昔付き合ってた人に『みおちゃんと付き合ってるのは暇つぶしだよ』と言われたことを思い出した。思い出したらなんかめちゃくちゃ笑えてきてしまったので、今日はその話。

暇つぶしと宣言されたわたしはどうしたかと言うと、『暇つぶしでもなんでもいいわよ。わたしはあなたを好きよ。それでいいじゃないの』という思考になった。恐ろしい。不幸になる予感しかしない。仮に暇つぶしでも言っちゃうのすごくないか。言えないでしょ。すごい。ほんとすごい。もう10周まわって尊敬する。すごいよあんた。

そのときのことは、未だに全く後悔していない。でもあの頃『もっと自分を大事にしなさい』といろんな人に言われた。その意味が今はわかる気がする。どれだけ粗末にされても好きな人を好きでいるという点では自分を貫いたんだろうけど。自分を大事にしながら自分を貫くということは、とても難しい。今も全然できない。

わたしはだんなしに『みおちゃんは自分を大事にできないよ』と言ってある。だんなしはそんなわたしに『だんなしが大事にするからいいよ』と言ってくれる。『みおちゃんはすごく不幸か、すごく幸せか両極端だね』とも言われる。あの頃、人間ひとりの暇つぶしになったことをきっかけに、わたしの人生はだいぶ墜落した。自分のことを暇つぶしにする人間となんて、当然続くはずもなかった。暇つぶしにすらならなくなったわたしは堕ちるところまで堕ちた。でも今なんとか生きているのは、間違いなくだんなしがいるからだ。

だんなしは『生きているのがつらい』とわたしが言っても、否定も励ましもせず『なにが辛いのか一緒に考えようか』と言って、ほんとに一緒に、お互いが分かるまで考えてくれるので、わたしは死なずにいられる。一緒にいる相手は、いつも元気な人でも、一緒にいると元気をもらえるでもなく、自分が元気でいなくても大丈夫な人がいちばん良いんだと思う。もちろん暇つぶしでもなく。

人間を暇つぶしにしちゃいけない。合意だったらいいのかな。いやあんまよくないか。知らんが。でも別に、暇つぶしBOYが100%悪いわけでもなくて、わたしもだいぶやばかったよ。どう考えてもやばいでしょあの頃の思考。でもその時思ったとおりに表現して行動してたのはすごいなぁ。

余談だけど、こういう文章を書いたときは、だんなしに一回見てもらってから投稿するようにしているよ。だんなしは過去のことはほとんど知っているし、ダメって言わないけど、なんか自分の中のだんなしに対する礼儀みたいなもんかなぁ。これも見せたら、良い文章だと褒めてもらえたよ。