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夢を掴む私のはなし。

自己紹介になるかと思います。

ポチっていただき大変恐縮です。
よく、「どうして、そんな考え方に繋がるようになったの?その若さで」
と先輩から言われることがあります。

自慢ではありませんが、
私も、70代ぐらいの年齢の方々とお話すると
安心して話せることが不思議だったんです。

私のお話ですが、興味ありましたら、ぜひw

カミングアウトもございますので
お楽しみにw

沖縄で生まれて
沖縄で育ちました。

私の記憶が鮮明に残ってるのは3歳。

幼稚園での記憶があります。
初恋も3歳。
かつてから、恋愛体質だったかと思います。


5歳の時に
容姿について同じ園の子から
虐められた記憶があります。

あのぐらいから、自分のボディイメージ(ぽっちゃりは悪?)が
環境という中で作られ始めました。

小学校1年生の時に
世の中には
いろんな子どもがいることを知りました。

友達のものを盗む子
面白おかしくネタにして人のことで
笑いをとる子
優しい子
恥ずかしがり屋な子
頑張り屋さんな子
友達の概念を覆す子


周りに信頼して、安心できる子がいなかったことは
なんとなく感じていて
私が変なのかなぁ?と思ってすごすことが多かったです。


小学2年生の時に
私を無条件に愛してくれた曾祖父(オジー)が他界。


両親が看護師であったため看取りを自宅で行いました。
親族中が泣いていて
なんで、悲しいんだろう?と最初は疑問を抱いた私でした。

「ほら、最後だから手を握って」「会っておきなさい」

促されて、触れたオジーの手は暖かかったかな?
でも、すすり泣く親族に促されて最後に触れたオジーの皮膚は
氷のように冷たかった。

私にいつもアイスを買ってくれ
ニコニコ見つめる優しい眼差しが大好きで
私のことをどれだけ大切に思っていたかを母がよく話していました。

けれど、オジーに二度と会うことができない

それを知って、大きな悲しみを経験したんです。

なんども、会いたくなって
一人留守番する時に不安になると
オジーって呼びかけては泣いていました。
でも、あの時はなんでこんなに寂しくなるんだろうか
理由がわからなかったんです。

あの出来事をきっかけに
私は「いのち」がどこからきて
どこへ行くのか
大切なものだけど、形に見えなくて
そこには終わりがあるということを
ずっと意識するようになりました。

のちにグリーフケアを学ぶんですが
このグリーフケアとは悲嘆の作業といって
死別や、喪失に対しての心理を理解し
その悲しむ作業からの回復を助けることになるんですよね

今、その過去を分析すると
私は8才という幼さで、大切な人との死別を
一人で乗り越えようとしていたんだなと思います。

いまだにオジーを想うと涙が出てきます。

オジーともっと話したかったし
大好きな三線も弾けるようになったんだよって伝えたいし
何も恩返しできなかった

そんな無力感が、私自身をここまで導いてくれたという事実に
気がつけた喜びをシェアした人です。

会いたいと想う気持ちはこの先もずっと変わらないですね

いつかまた会える日が楽しみです。

そして、中学でまた転機を迎えました。
14才の時。

私、人の笑いを取るのが好きで
別に芸人になるっていう意味じゃなくて
感覚?イメージ?

共感できると面白い!ってことにその時から
才能があったのかもしれませんが
ある一人の友達の顰蹙を買ってしまったようで
直接、クレームをつけてくれたらよかったのに

悪い噂を作り上げ、それが伝搬され
昨日まで仲良くしていた学校の子に
急に無視されるという事態になったんです。

いじめ・・・

ですよね。

私はきっと彼女に対して名誉毀損に当たるようなことを
口走ってしまったのかもしれません。
ですが、その周りの人に対しても
そうだったのか?
中二病だったので、いつもイライラしていました。
そこを笑うことで昇華していたけど
何やら、笑いどころか怒りを買ってしまったんでしょうね

周りと話す雰囲気さえ殺されて
あー、生きてない方がいい私なのかもしれないな
とまで考えました。
別の地域に暮らしていた、友達から手紙がたまたま届いて
「私は、味方だからね!」と一文が
私を救ってくれたんです。あの時のあの手紙がなかったら
今の私はいなかったと思います。


2週間ほど家で休んでた時期があって
冷静に慣れたんですよね

相手は、のほほんと学校生活が変わらなくて
私はこんな風に不利益が生じてることが
悔しくてたまらなくなってきたんです。

あの時にネットが我が家に導入されてたこともあって
ネットの中に友達ができ始めました。
ほとんど男性だったけど、熱心に話を聞いてくれる人が多かった
それも一つの救いでした。
あれから20年立ってこんなに世の中が変わってるんだから
すごいですよね

ネットで相手が私にしたことをやり返したんですよw

あること、ないことを言いふらされた
目には目を、歯には歯を

今のご時世だと
個人情報保護法や、誹謗中傷に対しても罰則ができて守られる法がありますが、当時はまだそういった問題も政治には届かない時期でした。

彼女の家の電話番号にあること、ないことを添えて投稿。

結果。効果てきめん。

ずーっと無視されていたのに
ある朝、教室でみんなが見てる前で彼女から罵倒されたんです。

彼女:「ネットに書き込んだだろ!夜中に電話かけてきた人が教えてくれたんだよ!ふざけるな!」

教室中が凍りついてましたが、相手のご家族も巻き込んでいたので、そこは申し訳ない気持ちは持ちつつ

私:「お前とおんなじことしてやったんだよ」と言い返しました。
やっと反論できる機会ができたので、まぁスッキリしましたね

その後、担任から親呼び出しで
母も状況に気がつきましたが
あの大勢が存在する中で無視される空気感は
一生理解できないと思います。
不安でしたね、怖かった。

母も一緒に謝罪をしてくれました。

感謝です。
でも、未だに悪かったとは思ってないww
正義と正義の戦いが戦争だから
わかる気がします。でも、あの時にたくさん学べたことがありました。

人を不快にさせる言葉を使わないようにしよう
必ず希望は見つかる
努力は自分を裏切らない

辛くて苦しい時だからこそ
内省して気持ちを確かられた。
そして、自分の進む方向を決める決断ができたと
今では思っています。

こんな面白い発見も。当時知らなかったのに
ちゃーんとわかってたんだな

https://precious.jp/articles/-/11837


まだまだ
続きます。今日はここまで
また続編を書いて生きますね
長文お読みいただきありがとうございます。

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