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人生で選べなかった選択肢たち

小学生のころから、お菓子作りや料理が好きだった。

どこでみたものなのか覚えていないのだが、ある文言が頭に残っていて「液体の生クリームが、時間をかけて泡だてていると、いつのまにか、ちゃんとふわふわのクリームになっている」検索しても調べられないくらい曖昧な記憶なのだが、大筋はこのような意味だったとおもう。料理というのは、こうなるように、という力を加えれば、ちゃんとその通りの結果がでるものなのだ。ということを感じた言葉だった。料理は科学なのだ。

お菓子作りが好きなのは、母が家でよくお菓子を作ってくれていて、手伝っていたのが影響として大きいと思う。バレンタインも気合をいれて何種類も作っていた。クラブ活動は料理クラブに入っていて、他の子よりも少し得意だったので、先生のいうことを聞かずに勝手にやって怒られたりしていた。

料理に関しても、夏休みは週に1回ずつ子供がそれぞれご飯を作る日があった。姉がわかめスープを作ろうとして、乾燥わかめの分量を間違え、大量のみどりのスープができたのを覚えている。そうやって、姉と自分を比べてみて、自分は得意だと思っていたところもある。

小学校から運動部に入っていて、中高も同じ部活を続けた。本当は高校の時は家庭科部に入りたかったのだが、先輩たちが怖かったので入るのをやめた。時々、家庭科部の同級生が作ったお菓子をもらいに行く専門だった。

高校2年生の時、学校である食材について研究する活動があり、参加者を募集していた。興味はあったが、わたしは文系で参加予定の子たちは理系の子ばかりだったことと、部活動の時間を使ってしまうことから、参加することをやめた。結果その活動はなにかで賞をとって、評価をされていた。

大学進学を決める時、①家庭科の先生を目指すか②英語の先生を目指すか③自分が行ける1番上の大学を受けるか悩んでいた。②と③は共存できるのだが、①は受ける大学が変わってくる。まずランクが下がる。ある程度成績が良かったので、もったいないなと思う気持ちがあった。担任が家庭科の先生に話をしてくれて、向いてると思う、というようなことを言ってくれた。ただ、家庭科の先生は、免許が取れても採用が少ないとも言われた。結局、つぶしが効く方がいいと思って②も可能な③の大学に進んだ。

大学に入ってからのアルバイトは飲食のキッチンを選んだ。カフェのキッチンと、ビストロ風居酒屋のキッチン(こちらで書いたところ)だ。実際カフェで、本当のプロと並んで作業をすると、自分の能力はど素人の趣味の範囲内でしかないことがよくわかった。フルーツタルトひとつを飾るにもセンスがないことを痛感するし、オムレットを作るときもやっぱりわたしが作ったものはプロが作ったものとは異なるのだ。

ちゃんと学んでみようかな、と思って製菓学校の資料を問い合わせた。大学を休学することも視野に入れて悩んだが、勇気も出ず、そのまま卒業した。

いまは大学で学んだこととは全く関係のない、普通の会社で正社員として働いている。お菓子をつくる仕事にはいまでも興味がある。そもそも視野が狭くて、目に見える仕事のことしか考えられなかったのがもったいなかった。栄養士とか料理研究家とか、もっと広く可能性があったはずだった。

人生であった様々な岐路で選んだ結果でいまがある。不満はない。

高校は進学校だったので、ほとんどみんな大学に進学した。ひとり、美容の専門学校に進んだ子がいて、その子はいまでも美容師を続けている。周りに流されず、自分がやりたいことを見つめて考えて、選択をし、いまでもしっかりやり続けていてすごいと思う。

わたしは、いままで覚悟のいらない選択ばかりをしてきた。人生は点と点を結んで、振り返ると線になっているというけれど、わたしは一度も危ない細道に入ることなく、大通りだけを通ってきている。細道をちょっと覗いては、大通りに戻ってきた。社会人になってからは、分かれ道にすら立っていない。

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