感じ方は人それぞれ


 ふと思うことがある。
  「私は親に愛されているのか。」

たいていの人は「yes」だろう

世の中にはそうじゃない「NO」という人もいる。
親が子に「愛情」というものを与えている「つもり」なだけもある。
それとは逆に子が「愛情」をうまく感じ取れていない場合もある。

「愛情」というものは、とても難しいものだ。

「愛されているのに愛されたい」と言っているこの中には
「愛されている」という実感がなく、だけども周りと比べて
自分の中で「一般的」な「愛情」を決めつけて 
 「私は愛されているが愛されたい」とつぶやいている子もいるのだと思う
きっとそれは「愛情」じゃなく親が「役目」と思って動いているだけなのだと思う。

 「愛し方は人それぞれ」と同時に
「愛されていると感じる感じ方」は人それぞれなのだと思う。

私も「その一部」の「人間」だ。

他者から見たら、「普通に愛されているじゃないか。」
と思われるのであろう。

   「普通」とはいったいなんなのか。
「虐待」等:受けていなければ、「普通」なのか。

そう聞かれると大抵の人間は「yes」と答えるのであろう。
だが、しかし、他人には見えていない部分、すなわち家庭内でしかわからないこともあるだろう。

例えば、「精神的DV」などもその類いだ。

君たちにしか見えない 
「精神的に来るもの」「言葉」「態度」「空気感」等.…

これらも含めて「愛されている」のか「愛されていない」のかが決まるものだと思っている。

だからこそ、「私の教育は間違っていない」と感じ「ヒステリック」になる親が嫌いだ。

「愛情表現」を伝えるには、どうすればいいのか。

その答えは私にもわからないが、ただ一つ言えることは

「一言多めに付け加えること」

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