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【長編小説】暮れなずむ秋と孤独な狛犬の歌 #33

10月7日(月)――(5)

「くっそ、やっぱりか……!」
 息を切らして、ようやく神社へと繋がる山道の入り口に到着した僕は、開口一番に悪態をついた。そこには、自転車が三台停められていたのである。自転車には三年生用の赤い校章ステッカーが貼られており、それが間違いなくあいつらの自転車だということを物語っていた。
 急げ、急げ、急げ。
 まだ神社に着いたと決まったわけではない。それなら、あいつらの注意を僕に向け、神社から遠ざけることくらいはできる。
 僕は自転車を乗り捨てて、山道へ入った。
 とっくに悲鳴を上げている脚に鞭打って、僕は山を登る。いつもであれば哀愁と共に見上げる秋の青空にも、片側の急斜面の下に覗く川にも目もくれず、ただまっすぐに前だけ向いて走った。
 一本道を登って行くと、あいつらの後ろ姿をすぐに捉えることができた。僕が追いつくまでに、まだもう少し時間がかかってしまう。けれど、それ以上先へ行かせたくなくて、僕は息を大きく吸い込み、
「――止まれ!!」
と、叫んだ。
 その声量たるや、自分が思っていた以上の大きさで、僕自身も驚いた。これが、発声練習の賜物なのだろうか。我ながら、この状況に似つかない感想に苦笑したくなる。
 あいつらも、まさか僕がそんな大声を出すとは思っていなかったのか、反射的に足を止め、後ろを振り返った。
 この好機を逃すわけにはいかない。僕は一気に距離を詰め、呆気に取られている緒形の胸倉を両手で掴んで、言う。
「その先には、なんにもない。だから、さっさと帰れ」
 力でこいつらに敵うとは思っていない。だから最悪の場合、ここで袋叩きに遭っても構わなかった。それでこいつらの注意が僕に移れば、神社のことなんてどうでも良くなるだろう。
 なんとしてでも、神社へは行かせない。
 少女にこれ以上嫌な思いをさせたくないんだ。
 僕なんて、どうなろうと構わない。
 だってそうだろう?
 あの少女に涙なんて似合わない。楽しそうに笑っている姿が、僕は一番好きなんだ。
 口元しか見たことのない癖に、馬鹿なことを言っているのかもしれない。だけど実際、あの笑顔がとても魅力的に見えたのだから仕方がないじゃないか。あの眩しいくらいの笑顔を護るためなら、僕はなんだってできる。そう思えたんだ。
「……ふうん?」
 果たして、緒形の口からは、これまでに聞いたこともないほど低い声が発せられた。
 不穏な雰囲気を感じ取ったのも束の間、緒形は僕の手首をがしりと掴み返し、口を開く。
「竹並、お前さぁ、自分が今なにしてんのか、わかってんの?」
「当然」
 掴まれた手首の骨が軋んで痛む。それでも僕は緒形から手を離さない。
「へぇ?」
 緒形は意外そうに首を傾げる。
「お前、ホントむかつく奴だな」
 刹那、掴まれていた手首をぐいっと横に引っ張られた。僕の重点が揺らいだ瞬間を見逃すことなく、尾形は力任せに僕の身体を地面に叩きつけた。
「――が、は」
 肺の空気が強制的に外に出るのがわかった。身体が慌てて新たな空気を求める。それが喉に詰まって、反射的に咽る。息が、できない。苦しい。
「先輩にはさぁ、礼儀正しくしなきゃいけないだろうが。敬語を使えって、いつも言ってるよなぁ? オイ聞いてんのかよ竹並ぃ!」
 畳み掛けるように、緒形は僕の胴体を狙って蹴りを入れてくる。
 痛みと息苦しさで、ろくに抵抗ができない。
 立ち上がれない。
 声さえ出ない。
「へへへ! ばーかばーかっ!」
「生意気な一年坊主めー!」
 ゲラゲラと下品な笑い声を上げながら、前田と小林も僕を蹴り始めた。頭と胴体を守ろうにも、腕一本ずつでは全く歯が立たない。
「ぐぅ、が、あ……っ!」
 微々たる抵抗をしているように見せながら、身体をゆっくりと転がしていく。少しずつ、神社から離れるように。
 皮肉なことだけれど、この程度の暴力にはすっかり慣れてしまっていた。もう少し下へ移動できたら、自転車まで一目散に走ろう。人目が付くところまで出られたらこいつらは僕に手出しはできない。そうして言ってやるのだ、「もううんざりだ、このことは先生たちに全部話す」と。そうすればあいつらは僕の言葉を信じると信じないとに関わらず、追いかけて来ざるを得ない。僕が学校に到着する前に、徹底的に潰しにかかってくるだろう。
 大丈夫。全部、上手くいっている。あと少しの我慢だ。
 そう、思っていたのに。
「――貴様ら!! なにをしているのだっ!!」
 僕とは比べ物にならないくらい大きな声が、山道に響き渡った。

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