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【長編小説】暮れなずむ秋と孤独な狛犬の歌 #11

10月4日(金)――(1)

 かつて賑わっていたらしい商店街は、高齢化の煽りを受けて、ずっと前からシャッター街。
 買い物をしようと思ったら、車を三十分ほど走らせ、隣町のスーパーへ行くしかない。
 バス停は見かけるが、バスが通っているのを見たことがない。予約制の乗り合いタクシーのほうが、まだ現実味があるくらいだ。
 カラオケやゲームセンターなんていう娯楽施設の類など、村内にあるはずもなく。
 閉塞的なこの村において、噂話は中毒性の高い娯楽として存在していた。
 たとえば、出没した熊や猪によって怪我をした、誰かさんの話。
 たとえば、どこぞの家の子は甲子園に出た選手の遠い親戚という話。
 たとえば、誰それの奥さんが、どこのスーパーで働いているという話。
 そして、たとえば。
 とある家族の次男の小学校の卒業式に向かう途中、両親と兄が交通事故で死んだという話。
 一家の車に衝突したのは、居眠り運転をしていたダンプカーだったという話。
 竹並家一家交通事故死。
 事故直後はそんな仰々しい名称を付けられ、居眠り運転の悪辣さについて、メディアに取り上げられたりもした。
 人の噂も七十五日。そうは言うが、未だにこの話で盛り上がる村民は多い。なにせ、加害者である運転手は事故で死亡しているが、被害者遺族になった次男と祖母は、まだ村内で暮らしているのだ。特に、三人が外出するきっかけを作った次男は、話題に上がる頻度も高いようである。
 ――ほらあの子。交通事故で亡くなった家族の、遺されちゃった子でしょ。
 ――お兄さんの夏樹なつき君、まだ高校生だったんだっけ。弟の美秋君と、とても仲が良かったんでしょう?
 ――たまたま高校が休みだったからって、卒業式についていったんだって。
 ――ご両親だってまだお若いのに、ねえ……。
 可哀想。かわいそう。カワイソウ。
 取って付けたような同情を寄せ、心配だと口にする自分に酔い痴れる。
 大人たちの迷惑な感情は、もちろん子供にも伝播した。
 ――美秋君のところは今、大変なんだから。気を遣ってあげなさいね。
 上辺だけの同情が、上辺だけの心配を強要させ。
 よく遊んでいた友達は急によそよそしくなり、徐々に距離を置かれ始め。
 中学の入学式を迎える頃には、僕には友達がいなくなっていた。
 ある日突然に家族を亡くした同級生への接しかたなど、たかだか十年と少しを生きただけの子どもにわかるはずもない。そこに親から『気を遣ってあげなさい』などと言われたら、こうなってしまうのも仕方がないと言えよう。誰が悪いということはないのだと、頭ではわかっている。
 漫画やアニメなら、ここで理解のある親友キャラが登場したり、はたまた、異世界へ飛ばされて、こちらの事情を一切知らない仲間と楽しくやっていけたりするのだろう。或いは、異能力に目覚める展開だってあるのかもしれない。
 しかし残念なことに、ここはどうしようもなく現実の世界だ。
 都合の良い親友も、異世界も、異能力も存在しない。
 目の前の現実を受け入れ、飲み込むことを強要され続ける、残酷なまでのこの世界にしか、僕の居場所は、許されていないのだ。
 別に、友達がいなければ死んでしまうというわけでもない。集団の中で孤立していようと、僕は僕だ。
 それでも。
 周りから半端に気を遣われ、距離を置かれ続けていることに、僕は納得しきれていなかったのだろう。
 僕が上級生たちから呼び出しを受けたのは、そんな状況にあるときだった。
 こんな閉鎖的な村にある唯一の中学校だ、上下関係は異常なまでに厳しい。上級生からの呼び出しは、つまり私的制裁を意味する。
 原因は、僕の目つきが悪いことにあった。
 生意気だから直せと、そう言われた。
 けれどそのとき、過去最高に虫の居所が悪かった僕は、真っ向からそれに食ってかかった。それが見事あいつらの逆鱗に触れた結果、毎日のように追いかけ回され、暴力を振るわれるようになったのである。
 その場凌ぎでも、あいつらに対して従順な態度を取っていれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。少なくとも、暴力に怯えることなく学校生活を送れただろうし、ばあちゃんに余計な心配をかけることもなかっただろう。
 春からずっと、後悔と自責の繰り返しだ。
 よく晴れた三月の卒業式。
 卒業証書を手にしたまま、僕は冷たくなった三人と対面した。
 僕はあのときから、なにひとつ受け止めることもできず、立ち尽くしたままだ。
 葬式のとき、ばあちゃんはひどく気落ちしていた。けれど半年が経った今では、少しずつではあるが以前の生活を取り戻しつつあるように見える。
 それなのにどうして僕だけが、取り残されたままなのだろう。
 いや、そもそもの話。
 僕の卒業式に向かう途中に、三人はダンプカーに轢かれて死んでしまったのだ。
 僕がこうして生きているのは、なにかの間違いではないだろうか。
 あのとき、一緒に死ねていたら良かったのではなく。
 僕だけが死んでいれば、或いは。
 そんなことを、毎日のように考える。

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