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【長編小説】暮れなずむ秋と孤独な狛犬の歌 #22

10月5日(土)――(7)

「ワタシは、アキに嘘をついていた」
 やや間があってから、少女はそう話を切り出す。
「たくさん嘘をついていたのだ。まずはそれを謝りたい」
 すっと居住まいを正すと、少女は僕に頭を下げた。
「おい、コマ――」
「ごめんなさい」
 それは、あまりに綺麗過ぎる謝罪だった。
 どうしたら他人に許してもらえるかを完全に把握している、大人のような謝りかただ。それだけに『ごめんなさい』という言葉が稚拙になって浮いているようにさえ思えてしまう。
「……コマ。顔、上げて。ずっとそうされるのは、嫌だ」
 僕がそう言うと、少女は静かに頭を上げた。
 その口は真一文字に結ばれていて、天真爛漫な少女の面影はどこにもない。全くの別人が目の前にいるような錯覚を覚える。
「言い訳がましく聞こえるかもしれないが、聞いてほしい」
 慎重に口を開いたかと思うと、少女は普段の何倍も低い声で言う。
「まずひとつめ。この神社はワタシの家ではない。本当の家には、もう何日も帰っていない」
「……そうなんだ」
 僕は、そんな言葉しか返せなかった。
 少女が今、どんな思いで僕に話をしてくれているのか。
 それが、彼女の手の震えを見て、わかってしまったのだ。
 できれば隠したままでいたかったであろうことを、自らの意思で、勇気を振り絞って伝えてくれている。そんな少女に、一体僕がどんな言葉をかけられたというのか。僕にできることと言えば、真摯に少女の言葉を受け止めることだけだ。
「そして、ふたつめなのだが……。アキ、心して聞いてくれ」
 罪悪感に押しつぶされそうな声で、少女は続ける。
 何度か口を開いては閉じ、躊躇って、それでも最後には生唾を飲み込み、言葉を紡ぐ。
「――実は、ワタシは狛犬などではないのだ」
「……」
「ワタシは、ただの人間だ」
「……」
「始めは身元を隠すためについた方便だったのだが、思った以上にアキが信じてくれたものだから、言い出せなくなってしまって……。アキがワタシを狛犬として慕ってくれる度、心苦しくて仕方がなかった」
「……」
「がっかりしただろう? 本当にすまない。騙すつもりはなかった、なんて言っても、アキは許してくれないだろうけれど……」
「……」
「アキ? ショックが大き過ぎたのか……?」
「……あ、いや、ごめん。人間なのは知ってた」
 ショックだったのではなく、絶句していたのだ。
 あれだけ前置きするものだから、なにかもっと恐ろしい事実を告げられるのではないかと身構えていただけに、盛大な肩透かしを食らってしまった。
「ええ?! なんでっ?!」
 しかし少女は、信じられないと言った様子で、素っ頓狂な声を上げたのである。
「なんでって……」
 むしろ、どうして今まで完璧に狛犬を演じられていると思うのか。こういうとなんだが、結構ゆるゆるな設定だったぞ?
「だ、だってアキ、ワタシの言うこと、否定しなかったじゃないか。てっきり、ワタシのことを狛犬だと信じて疑っていないものだとばかり……」
 思い返せば、確かに僕は訝しみこそすれ、真っ向から少女の言動を否定したことはなかったように思う。
「別に、嘘でも良かったんだ」
 小さく息を吐いて、僕は言う。
「コマと一緒に居る時間が楽しかったから、それが壊れさえしなければ、お前が狛犬だろうと人間だろうと、些細なことでしかないって思ってた」
 大切なものを捨てられる辛さを、僕は知っているから。
 僕なりの方法で、それを守っていたかった。
「だけど、こうして本当のことを話してくれたことも、嬉しいと思う。すごく勇気が要ったんじゃないか? 話してくれてありがとうな、コマ」
 少女の肩を、左手でとんとんと軽く叩いた。僕よりも背の高い少女の肩は、しかし見た目以上にほっそりとしていた。
「――ダンケ」
「え?」
「……フィーレンダンケ」
「お、おい、コマ?」
 突然知らない言語を放った少女に、僕はどうにか呼びかける。
 肩に置いていた僕の左手を掴み、震えながら声を押し殺して泣く少女に、僕はわかりやすく動揺していた。
「だ、大丈夫。大丈夫だから――」
 気がつけば僕は、空いているほうの右手で少女をそっと抱きしめていた。
「泣きたいときは、我慢なんてするな。泣きたいだけ泣けば良い」
 少女と初めて会ったあの日。
 少女が僕にそうしてくれたように、言う。
「ここで全部、吐き出しちまえ」
 傷はどれだけ時間がかかろうと、いつかは治る。傷跡の残るようなものだって、傷口自体は勝手に塞がっていく。けれど言えないままの傷は、癒えないまま心に巣食うことになるのだ。
「ここには、僕とお前しかない。な?」
「……うう、うわああああん……」
 せき止めていた感情が放出されるように、少女は声を上げて泣いた。
 きっと、ずっと我慢していたのだろう。
 全部ぜんぶ、吐き出してしまえ。
 少女の内から苦しい感情が一片残らず吐き出されることを願いながら、僕は震える少女の背を宥め続けた。それら全てを隠すように、木々は風に揺れる。

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