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【短編小説】葬式のときに稀に現れる『沙汰袈裟さん』に遭遇した「私」の話

『沙汰袈裟さん』


 十月某日、私は義母の葬儀に参列する為、妻と共に透目町すきめちょうを訪れていた。
 妻である詠未えいみの実家がある透目町は、普段私達が暮らしている場所からは、飛行機や新幹線を使わなければならないほど遠方にあり、盆と正月に帰省できれば良いほうだった。
 詠未の地元は、とても穏やかな空気が流れているように感じる。今回は、平時であれば帰省しない秋口ということもあって、余計にそう思うのかもしれない。
 まるで、全て赦されていくような。
 或いは、全て飲み込んでいくような。
 私の乏しい語彙力では言語化が難しいが、単に、生まれも育ちも都市部である私にとって、こういった田舎の空気が物珍しく感じるだけかもしれない。
 義母の死は突然だった。
 死因は脳出血だったと聞いている。
 義両親は既に定年退職しており、話に聞く限り、二人とものんびりと老後の生活を楽しんでいた。義母が亡くなったその日、義父は用事があって外出していたらしい。帰宅してすぐに倒れていた義母を発見し、即座に救急車を呼んで病院へ運ばれたが、間もなく死亡したという。
 突然死というものは、どうしたって気持ちが追いつかない。ついこの間まで詠未と楽しげに電話をしていた義母の声が、二度と聞けなくなっただなんて、私だって未だに現実味がわかない。
 しかし遺族の心情とはうらはらに、葬儀の準備は粛々と進められていく。
 詠未は三人兄妹の末っ子で、喪主は義父と長男一家が共同で務めることとなった。義母が亡くなってから葬式が行われるまでの数日間、私と詠未は家の掃除や、細かい買い出しなどを担当していた。
 透目町は、良い場所だ。
 だが同時に、私はどうにも苦手に思う場所でもある。
 それが顕著に現れた喫緊の例をひとつ挙げるなら、詠未と共に買い出しに出たときのことだろう。
 詠未の運転で、あれこれと買い回った帰り道。田んぼや畑の多い風景の中に、三メートル近くはありそうな女性が歩いている姿を見たことがあった。すわ八尺様か、と冷や汗をかきながら詠未に伝えると、「ああ、あれはスキメ様だね。良い人だよ、挨拶していく?」なんて気軽に言われてしまったのだ。肩透かしも甚だしい。
 あとから詳細を聞いてみれば、その『スキメ様』というのは、この町のカミサマのような存在であるらしい。大昔にこの土地の大元を造り、今も町を見守ってくれているのだそうだ。
 このように、本来であれば子どもの戯言とさえ思えてしまうような事象が、この町では当たり前のように起こる。
 思い起こせば、初めて詠未の実家に挨拶に来たときもそうだった。確かあのときは、散歩がてら近所の小川に行ったら、そこから魚が顔を出して「こんにちは」と挨拶してきたのだ。満面の笑みで挨拶をしてきたことから察するに、恐らく魚に悪意はなかったのだろうが、私にとっては、しばらく夢に出て魘されるくらい怖かった。
 義母はとても良い人だったし、生前は頭が上がらないくらい世話になった。しかし透目町に滞在するのは、どうにも落ち着かず、申し訳ないとは思いつつも、早く終わってくれと心の片隅で考えてばかりだった。
 時間というものは平等に流れる。
 準備やらなにやらで忙しくしているうちに通夜が始まり、翌日の葬式まで滞りなく行われた。今日のところは義実家に泊まって、明日には晴れて自宅に帰れる。そう思うと、僅かに心が軽くなった。
 葬式が終わってからは、親族揃って義実家に戻り、居間でお茶を飲みながら皆で一息ついていた。義母にまつわる思い出話に始まり、詠未とお義兄さんたちの幼少期のエピソードなど、なにかと話題は尽きない。どうしたってこういう場では外野となりがちな私ではあるが、しかし、そういった話を聞くのは嫌いじゃない。詠未本人が覚えていなかった話などは、とても興味深かった。
 と。
 和やかに談笑している声と声の間を縫うように、音がした。
 ぺた、ぺた、ぺた。
 裸足で廊下を歩いているような音だった。
 玄関の戸が開く音はしなかったはずだが、誰が来たのだろう。正直、妻側は親戚が多くて、全員は把握しきれていない。この場に誰が居て誰が居ないのかまでは、私にはわからない。
 ぺた、ぺた、ぺた。
 居間はテレビも点いているし、親族も和気あいあいとお喋りを続けていて、とてもじゃないが静かであるとは言えない。むしろ、葬式が終わって一区切りついたこともあり、この数日間の中でも特に賑やかだ。それなのに、足音はどの音よりも強調されて聞こえて来るようである。
 私は興味本位で、この音の正体をこの目で確かめよう、と立ち上がりかけたのだが。隣に座っていた詠未が、私の腕を掴んだかと思うと、強引に座り直させた。どうしたのか、と視線で訴えると、詠未も同様に視線で、頼むからじっとしていて、と訴えてきたではないか。
「なに、どうしたの」
 他の人の会話の邪魔にならないよう、私は小声で詠未に尋ねた。
「ここに居て。いつも通りにしてたら、大丈夫だから」
「大丈夫って、なにが?」
 訊き返すも、詠未は口を真一文字に結んでしまい、答えてくれない。それは私の考えなしの行動に怒っているというより、足音の正体に恐れ慄いているようだった。
 ぺた、ぺた、ぺた。
 足音は直接居間へは来ず、どうやら家の中を徘徊しているようだった。まるで、なにか探しものでもしているようにも聞こえる。
 この不可思議な状況に首を傾げつつ、ふと周囲を見回す。
 すると、なにも足音に気づいているのは私達二人だけではないようだった。皆、平静を装い会話を続けているが、その表情の薄皮を一枚めくってみれば、緊張感で強張っているであろうことは明らかだった。
 何故、誰も様子を見に行かないのか。
 何故、誰もこの足音について言及しないのか。
 何故、何故、何故。
 脳内では次々に疑問が生産されていく。しかし妙に張り詰めた空気の中では、愚鈍を装って訊くことも躊躇われた。
 ぺた、ぺた、ぺた。
 いやに目立つその音が聞こえ始めて、どれくらいが経った頃だろうか。体感時間では十五分を優に超えていたが、テレビ番組の進行状況を観るに、五分も経過していないのかもしれない。
 ともかく、終わりの見えないこの不可思議な状況に、動きがあったのだ。
 そうは言っても、居間からは誰も移動していない。誰も立ち上がろうともしていない。
 ずっと家の中を動き回っていた足音の主。
 それが、居間に近づいてきたのだ。
 ぺた、ぺた、ぺた。
 一度も歩調を崩すことなく、間もなくして、足音の主は姿を現した。
「……――っ」
 『それ』をひと目見て叫ばなかった自分を、褒めてあげたかった。
 なにも醜怪な容貌をしているわけではない。
 『それ』はお寺でよく見かける袈裟を身にまとっており、格好自体は至極一般的なものだ。
 私が絶句したのは、その体躯。
 ぬらりと姿を見せた『それ』は、あまりの背丈の高さに、腰より下しか見えなかったのだ。
 怪異。幽霊。化け物。
 そんな単語の羅列が脳裏を過る。ともかく『これ』は、この世ならざるものだ、と瞬時に理解する。なにせ、それは変わらずぺたぺたと歩を進めているが、ドアや天井にぶつかることなく、それどころか、すり抜けて移動していたのだ。だから私の目からは、天井から袈裟姿の巨体が生えてきているようにすら見える。日本家屋の一般的な天井の高さは、二メートル二〇センチから四〇センチほど。であれば『これ』の全長は、四メートル近くあるのではないか。
 ぺた、ぺた。
 ここに来て『それ』は歩調を落とした。それはまるで、動物園や水族館でお目当ての動物を探し回っていた子どもの足取りのようにも聞こえた――なんていうのは、私の考え過ぎだろうか。ともかく、『それ』の一番のお目当ては、この居間にあるように感じた。
 ぺた、ぺた。
 『それ』の顔は見えない。
 けれど、不思議と『それ』に見られている感覚に陥る。
 鑑定、吟味、品隲ひんしつ、精査。
 脳内には自然とそんな単語が羅列していくが、真偽のほどは定かではない。どういう意図があってここに来たのか。そもそも、『これ』になにかしらの意思は存在しているのか。
 ぺた、ぺた、ぺたり。
 居間に居る人間の周りをぐるりと回ったのち、『それ』は義父の近くで足を止めた。
 そうして、少し腰を屈めるような仕草を見せると、『それ』は――
「――」
 一瞬のできごとだった。
 私には『それ』の行動が、全く理解できなかった。
 全身の血の気が引いていく。
 なんだ、それは。
 どうして、そんなことをする?
 混乱を極める私を余所に、『それ』はまるで目的を果たしたかのように、くるりと踵を返すと、さっさと家から出ていった。永久に耳の奥に残りそうだった不気味な足音も、そのうち聞こえなくなる。玄関の戸が開く音は、やはりしなかった。
「――はあああ、やっと帰ってくれたか」
 堰を切ったように大きく息を吐いてそう言ったのは、一番上のお義兄さん――寿春すばるさんだった。
 それをきっかけに、ほかの皆もそれぞれ緊張の糸が切れたように脱力したり、息を吐いたりし始めた。
「な、なあ、さっきの『あれ』、一体なんだったんだ?」
 この緩んだ雰囲気の中でなら、訊いても良いはずだ。
 そう踏んで、私は改めて詠未に尋ねた。
 しかし、動揺のあまり声量が大き過ぎたのか、
「なんだ詠未、大翔ひろと君に教えてなかったのか、沙汰袈裟さたけささんのこと」
と、私の問いに真っ先に反応したのは、寿春さんだった。
「だって、なんて説明したら良いのかわからなかったし……そもそも、来るかもわからなかったじゃん……」
 詠未は居心地の悪そうに、もごもごとそう言った。
 スキメ様を目撃したときの私の驚きようと言ったらなかったから、詠未としては遠慮と配慮をした結果、敢えて事前に『あれ』について話さなかったのかもしれない。それは詠未なりの優しさだと思うし、『あれ』が家の中を徘徊している間、詠未は小刻みに震えながら私の腕を掴んで離さなかったのだ。口に出すのすら憚られるほど恐怖を感じているであろう彼女を、どうして責めることができようか。
「サタケサさん、というのは?」
 だから私は会話の流れを正し、その初めて聞いた名称について、寿春さんに尋ねることにした。
「追って沙汰するの『沙汰』に、お寺のお坊さんが身につけてる『袈裟』で、『沙汰袈裟さん』。まあ、ほとんど見たまんまの名前だね」
 お茶を一口飲んでから、寿春さんは説明を始める。
「あれは透目町の人間が亡くなったとき、稀に現れるものだ。詠未が『来るかもわからなかった』と言ったのは、その無作為さが理由だよ。来るかどうかは、誰にもわからない。実際、曾祖母ひいばあさんが亡くなったときには来なかったけど、親戚の叔父さんが亡くなったときは来てたんだ。男女でどうこうというわけでもないようだし、なにか理由があるのだとしても、沙汰袈裟さん本人にしかわからないんじゃないかな」
「……それが余計に不気味なんだよ」
 詠未が思い出すだけでも怖いと言わんばかりに肩を強張らせて、そう言った。
「あれは、その、スキメ様とやらと同列のものなんですか?」
 雲を掴むような思いで、私なりの解釈を口にしてみたが、寿春さんは首を横に振った。
「沙汰袈裟さんは、スキメ様と同類ではない。かといって、神様でもない。怪異のようなもの、という表現が一番それっぽいのかな」
「それは、誰が言ったことなんですか?」
「さあ? 大昔に、誰かがスキメ様から聞いたんじゃないか? 僕は、代々言い伝えられてきたことを、そのまま言っているだけに過ぎない。昔から沙汰袈裟さんは、透目町の人間が亡くなったときに時折現れては、ああして故人の家の中を見て回る。そういうものだし、それだけだから、誰もあれをどうにかしようなんて考えないんだ」
「え?」
 寿春さんの今の言葉に、引っ掛かりを感じた。
 しかし私の口からこぼれた声はあまりに小さく、寿春さんは気づかず話を続ける。
「沙汰袈裟さんが故人の家を訪れるのは、故人に遺された家族の様子を伝える為とも、故人の恨みを代わりに果たしに来ているとも言われている。まあ、あくまでこれは町民の憶測に過ぎないけどね。さっきも言った通り、本当はなにがしたくて来ているのかなんて、沙汰袈裟さん本人にしかわからない」
「だけど兄さん、叔父さんのお葬式のとき、私に『あんまり悪いことばっかりしてると、今度の誰かの葬式のときに、お前、沙汰袈裟さんに連れていかれるぞ』って言ってたじゃない。あれ、本当に怖かったんだからね」
「そんなあ。僕だって親父とお袋からおんなじこと言われたんだぞ。詠未が怖がり過ぎなだけだって。実際、なんにもされてないだろ?」
「そうだけど、やっぱりあれは怖いよ」
「そうかなあ。別に、そういうものって思えば平気にならないか?」
「ならない!」
 仲睦まじい兄妹の会話を聞きながら、詠未があれだけ怖がっていた理由の本質はそこにあるのだろうな、と思う。私だって子どもの頃にあんなものを目の当たりにし、あまつさえ兄からそんなことを言われたら、どれだけ歳を重ねようと、条件反射的に身体が震えてしまうだろう。
 しかし。
 しかし、それなら。
 沙汰袈裟さんが義父の近くで足を止めた、あのとき。
 義父の頭上から、なにかどろどろとした黒いものを吐き零して浴びせていたのは、なんだったというのだろう。
 夜の闇よりも深く、吐瀉物というよりかは粘度の高い泥水のような、黒いどろどろ。
 義父の全身に浴びせ、跡形もなく消えていった、わけのわからないもの。
 今ほどの詠未と寿春さんの会話から察するに、少なくとも二人には『それ』が見えていなかったことは確定だし、沙汰袈裟さんに関しての言い伝えに『あれ』が含まれていない以上、これまで『あれ』を視認できた人間は、この町には居ないのかもしれない。
 あのどろどろとしたものは、なんだったのか。
 私の目からは、到底良いものとは思えなかったが、存外、縁起の良いものであるかもわからない。いや、滅多なことは言えたものではない。事実、沙汰袈裟さんになにかされた張本人でる義父は、なんの影響もなかったかのように生活を続けている。
 あくまで私は、透目町の外の人間なのだ。
 不思議なことが当たり前のように存在するこの町で起こる事象について、言及する権利も勇気も、私は持ち得なかった。



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