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【長編小説】暮れなずむ秋と孤独な狛犬の歌 #34

10月7日(月)――(6)

「誰だ?」
 突然の乱入者に、僕を蹴る足もぴたりと止まった。
「な、なんだ? あいつ」
「なんか変なお面被ってるぞ?」
「あれ、一年の制服じゃないか?」
 三者三様の反応を示しながら、声のした方向に視線を送る。
 僕はといえば、できれば信じたくないと強く願いつつ、そちらを見た。
「アキから離れろ、愚か者共が!」
 その黒く真っ直ぐな髪を風になびかせ。 
 季節外れな夏用の制服の上から、小豆色のカーディガンを身にまとい。
 その顔の上半分は狐面で覆い隠しつつ。
 唯一表情の読み取れる口元は、敵意むき出しに歯を食いしばって。
 僕の友達は、神社を飛び出し、そこに立っていた。
「な、んで……、はや、く……」
 なんで神社から出て来たんだ。早くここから逃げろ。
 そう言いたいのに、身体中が痛くて声がまともに出ない。
 せっかく頬の痣が薄くなってきたというのに。この状況では、少女が巻き添えを喰らってしまう。お前だって、本当は怖くて仕方がなくて、手が震えている癖に。
「なんだよお前、こいつの知り合い?」
「ぐっ……」
 小林が僕の腹に一蹴り入れながら、少女に問い掛けた。
「アキを足蹴にするな!」
「へえ、『アキ』だって。仲良いじゃん」
 前田は激昂する少女を横目に笑いながら、僕の前髪を乱暴に掴む。
「誰あいつ。なんて名前?」
「……教えるわけ、ないだろ……」
「つまんねぇの」
 興醒めとばかりに、前田は僕の前髪からぱっと手を離す。僕の頭は、重力に従い地面に落下した。
「アキ!」
 悲鳴にも似た声で、少女が僕を呼ぶ。
「やめろ貴様ら、アキに乱暴するな!」
 少女が、ほとんど衝動的に距離を詰めてくる。
 やめろ、こっちに来るな。こいつらは、女子を相手取ることになんの躊躇いもないんだぞ。
 そう言って少女を止めたいのに、僕の口と来たら全くの役立たずで、音にも満たない息しか吐き出せない。
 自分の無力さに嘆く暇もなく、少女は遂にこいつらの間合いに入った。
 少女が震える手を固く握り締め、前田の肩を掴んで思いきり振りかぶった、そのとき。
「俺、お前のこと知ってるぞ」
 と、緒形がおもむろに口を開いた。
「……でたらめを言うな」
 少女はぴたりと動きを止めたかと思うと、僅かに顔を緒形のほうに向け、端的にそう言った。狐面で隠れていても、少女が緒形をぎろりと睨みつけたのがわかる。それは場の空気ががらりと変わるほど、強烈なものだった。
「でたらめじゃあないさ」
 緒形は、飄々と言う。
「お前、行方不明になってる中学生だろ?」
「違う」
「その中学生の家、俺の近所でさぁ」
 少女の否定をものともせず、緒形は続ける。
「昨日、俺の家におっさんが来たんだ。なにか知ってることはないかってな。あのおっさん、お前の父親か? 違うよなぁ?」
「……うるさい」
「だってお前んち、親が離婚して、それでここに越してきたんだもんなぁ?」
「……」
「おい、なんか言えよ。ふざけた面で顔隠してたって、俺にはわかってんだぞ。お前の名前は、古賀こが――」
「うるさいうるさいうるさい!」
 緒形の言葉を遮り、両手で耳を覆いながらに少女は叫んだ。
 刹那。
 風が低く唸りを上げて、山に吹き込んできた。木々がざわめき、枯れ葉は渦を巻いて地面を這う。その風は、十月にしてはいやに冷たくて。僕にはそれが、少女を宥めているように思えた。
「……ワタシのことはどうだって良いだろう。放っておいてくれ」
 小さく息を吐いてから、少女はそれだけ言った。
 それは直前の叫声が嘘のように今にも消え入りそうなほど、か細い声で。
 僕は自分でも気づかないうちに、コマ、と少女を呼んでいた。
「早くここから立ち去れ」
 こいつらを見ようともせずにそう言う少女の心境が、なんとなくわかった気がした。
 恐らく少女は、自分の内側から湧いた怒りに怯えているのだ。
 激昂し、拳を握り、躊躇いもなく人を殴ろうとした。母親に暴力を振るわれ、それでも悪者にしたくないと言い、自分を責めた少女にとって、きっとそれは、とても恐ろしいものに思えたのだろう。
「……あー、うっざ」
 緒形が、心底嫌そうな声で言う。
「シラけた。おい、もう帰るぞ」
「え、おい、尾形」
 戸惑う小林と前田を他所に、おいお前、と緒形は少女に向かって口を開く。
「お前がここに居るってことは大人に言ってやるからな」
「好きにしろ」
「……ふん」
 面白くないとでも言いたげに表情を一瞬だけ歪ませたあと、緒形はさっさと来た道を戻って行った。
 戸惑う様子を見せたていた小林は、しかしすぐに緒形のあとを追いかけて行く。
「……ちっ」
 少しの間、少女を睨みつけていた前田も、それに続く。
 終わった。
 暴力の嵐が。
 そして、神社で過ごす楽しい日々が。
 そう思った直後だった。
 前田の両手が、思いきり少女を突き飛ばしたのだ。
「え」
 それは少女の声だったのか。
 或いは、僕の声だったのか。
 わからない。
 そのときの僕にわかったことと言えば、ただひとつ。
 前田の不意打ちを受けた少女の身体が、そのまま急斜面に落ちていったことだけだった。

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