1986年の新聞広告。対話。2019年のサロン・デュ・ショコラ
30年前の宝石の広告が6才の少年に与えたもの
30年ほど前の新聞には、大量の広告が挟まれていました。
全国版の百貨店の広告や、量販店の広告。2色刷りの地方の広告や、はがき付きの厚い紙の広告。
その中には、必ずといっていいほど「宝石の広告」が入っていました。
ダイヤモンド、ルビー、サファイア。
指輪、ネックレスにピアス。
価格は10万円台から始まり、数百万円まで。
当時、小学生だったぼくは、宝石の広告を見るたびに「ダイヤモンドの指輪を母親に買ってあげたい」と思っていました。
なぜぼくはそう思ったのでしょう?
この問いかけから、自己対話が始まります。
以下は、対話の工程を記録したものです。
1. なぜ「ダイヤモンドの指輪を母親に買ってあげたい」と思ったのか?
それは、両親の会社経営がいつも苦しかったからです。
当時6才の少年にとって、透明に輝く石を所有することは、高水準の経済力維持と同等に感じられました。
それによって、最終的に母に喜んでほしかったのです。
明らかに、働きすぎの母に。
彼女は、6才のぼくにとって大切な人。
2. ぼくは何を求めている人間なのでしょう?
それは、大切な人たちを、大切と判断し、大切にできること。
そうなるためには、いくつか段階があります。
そうして最終的に、
大切な人たちを、大切と判断し、大切にできる自分にたどり着きます。
3. 大切な人、そうでない人とは?
ぼくの半生のストーリーは、「利用される役」にフィットして、「支えること」で進行していました。
このようなストーリーを、場所を変えて繰り返してきました。
結果、だれも得をしなかったし、喜ばなかった。
「大変な人を支える自分」以外に、自分の居場所を見つけられずに生きてきたのですから。
これはぼくにとって、今でも高度な判断を求められる工程です。
4. 大切な人を判別する方法
だからぼくにとって「大切な人」を判別する方法が必要不可欠です。
内部的には「自分が乖離しない」ために、以下のことを慣習化
対外的には「大切な人たち」を判別するために、以下のことを慣習化
そして、大切な人とは
5. 大切な人に「それ」を公言する
それとは「大切にする方法」のこと。
6. どうして彼らはあなたにとって大切なのか?
妻:ともに新しい生活を作る人。ぼくの「存在意義」を気づかせてくれる
娘:世界の新しい1人目の人。結局あなたは何を求めているの?と問う存在
息子:世界の新しい2人目の人。ともに生きる価値を気づかせてくれる
7. 行動のための計画を
ここまでが「編集済みの、事実を含んだストーリー」
だからこそ、ここまでの「自分自身との対話」の工程を大切に。
できないときは、しなくてよい。
そのようにしてぼくは、自分と、記憶と、未来に接してきました。
そして、ここからが「未来に属するストーリー」
記憶を「編集済みの、事実を含んだストーリー」だとした場合、
計画は「未編集の、希望を含むことができるストーリー」と仮定します。
8. さて、具体的計画は?
妻と娘と息子に、チョコをプレゼントすること。
どのように?
→想像力を使って
このようにしてぼくは2019年2月上旬、多くの女性で加熱するサロン・デュ・ショコラ(京都駅伊勢丹10階)にたどり着くことになるのです。
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