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絶対的な都会と、絶対的な田舎

今日は久しぶりに車を1時間半も走らせて美波町から徳島市内に出たのですが、美波との景色の違いに少々驚いてしまった私。一つの県の中にも、「都会」と「田舎」ってあるよなって改めて思いました。

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鳴門市で撮影の仕事があるカメラマンの友人に同乗して、何となく私も鳴門や徳島市内を散策してみることにしました。(ついでにガタが来ている身体を癒すため整体も予約しました)

美波町を朝8時頃に出て、高規格道路(無料の高速みたいな道路です)を通って山を越え、国道55号線をひたすら北上していきます。

前方の空には少し雨雲が見えたけど、隙間から見える青空と夏の終わりの少しひやりと透き通る空気が、海沿いの町を心地よく覆っていました。

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ノンストップで車を走らせ、10時前に鳴門市にある友人の今日の仕事場へ到着。カメラ機材と共に彼女を下ろした後に、徳島市内へ向かいました。

田園風景に伸びる道路や、遠くに眉山を含む徳島県北の山や丘は、私からしたら「都会やなぁ」と思う景色でした。少し前まで、大都会東京の中心、新宿にも住んでいた私なのに。

徳島県南部と比べて県庁所在地である徳島市内は、家がたくさんあるし、三階建以上のマンションなんかもある。コンビニをGoogle マップで探さなくてもいたる所に見つけられるし、何よりも歩いている人がたくさんいる。

大阪や東京から来た人が見れば「長閑で良いねー」という景色が、美波町に住む私にとっては「人もビル(でもないけど)もたくさんで大変やな」って思う景色になってしまっている。そんなことに、美波町で過ごしてきた私の2年という歳月を、なんというか改めて、実感させられたような気がしました。

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よく、というか、当たり前のことですが、「都会」と「田舎」は区別されます。大阪や東京は「都会」。徳島は「田舎」。

でも、「都会」の中にも相対的な「田舎」はあるし、「田舎」の中にも相対的な「都会」はあるんだなって実感する今日みたいな日は、1とか0では割り切れな世界の扉をちょっとだけ開けてしまったような気になる。

徳島県は田舎か。東京は都会か。大阪は都会か。福岡は、都会か?千葉は?

こういう「割り切れないこと」ってどんなことにもあると思っていて、いろんな一つの個体や人や対象物に内包されていると思うんです。

私は可愛いか可愛くないかとか、アウトドアかインドアかとか、あの子はやさしのか意地悪なのかとか、戦争は良いのか悪いのかとか。とか。

ちょっと話がややこしくなってきちゃったから元に戻すけど、徳島県か都会か田舎かどうか私にはわからないし、きっとそれってどうでも良いことなんだなって、今日、車の窓の外、移り変わる景色を見ながら思ったのでした。

私にとって美波町は徳島市内と比べたら田舎に感じるけど、美波町の中でも、私が住んでる日和佐地区は他の集落と比べるとかなり都会だし、きっとまた別の人にとっては別の区切りがあるんでしょう。

絶対的な都会とか絶対的な田舎って存在しない。だからそれで良いんだし、何でも良いんだろうし、だからこそ自分で決めちゃえば良い。

村上春樹じゃないけど、今日はそんなことを思いました。



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