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究極の自己満足が人を感動させる。

悶々とする日もあるよね〜
生きていりゃ〜ずっと前向きですー!
とならない日もある。

いや、ならないといけないぐらい、
生きているだけで幸せなんだ。
と噛み締める日々を送らないといけない。

わかっていながらもできない時に無理をするのではなく、

「そんな日もあるよね。」

と自分に言い聞かせて、
心と身体を一致させる。

不一致が起きるとそれはストレスになり、
それが続くと病気や身体に現れる。

そう思っていながらも、
一分一秒、刻々と過去となり、
命は減っていく。

何をすべきなのか。

このような世の中になった今、

自分にできることは何なのか。

修理屋さんとしての顔。

ではなく、
もっともっと何かできることはないかと
自問自答するものの、
引き出しからは何も出てこない。

今を生きること。

この言葉は僕が死ぬまで言い続けて、
心にしまい、そして、行動する原動力となる言葉だ。

今を生きること。

夢中で生きること。

無我夢中。

寝食忘れるぐらい、
それだけやっていたいこと。

夢中。。。

前置きが長くなってしまったが、
標題の言葉は、
ある経験から生まれた自分の言葉だ。

究極の自己満足が人を感動させる。

修理屋さんに勤めていた頃、
バッグを染め直す修理をしていた。
性格上、こだわりが強いせいか、
原色に近い色を作り、
とにかく綺麗に仕上げた。

色作りが難しいのだが、
その時はぴったしカンカン。
元通りのように色を作りかつ、
綺麗に仕上げられたのだ。

究極の自己満足である。
その作業中、

「お客様を喜ばせるぞ!」

なんて微塵も思っていなかった。

今もそうだが、
これは綺麗に修理ができた!
なんてなると、

お客様も大喜びしてくださる。

自分が満足できたら、
お客様も満足される。

その時の話に戻す。

出来上がりをお渡しすると、
大変喜んでくださったのだ。

大喜びで帰られた後、
すぐにまた戻って来られた。

*お客様がすぐに戻って来られると、
何かやらかしたかな?という気持ちになり、
あまり心臓に良くない(笑)余談だが。。。

何かあったのかな?と伺うと、

「これ、食べてください!」

と高そうな(笑)お菓子をくださったのだ。

作業していた時、
お客様のことなんて一切考えていなく、
ただ、目の前のバッグを綺麗にするぞ!
自分が満足できるまで綺麗にする。

ただ、それだけだった。
その行為によって、
お客様が満足され、
感動して、御礼という行動になったのだから、

究極の自己満足が人を感動させる。

ことがあるのだな、と思えた経験だった。

究極の自己満足
こだわり

さて、

究極の自己満足とは何なのか


再考するのであった。


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