リア王〜強くイメージを持つ〜
これまで観劇してきた舞台とか映像芸術と比較したりなんかして
評論家ぶって、ちょっと格好つけたいところですが、
とんでもなくダサくなって怪我しそうなので、我慢します。
そういう取って付けたような感想ではなくて。
もっとツルっとゼロの状態で、自分がどう感じたのかを、
まだ興奮冷めやらぬうちに書きますね。
嗚呼……、でも、不安。
だって、あの衝撃をどう言葉で表現すればいいんだろう。
好きな場面・台詞が、こんなに本をはみ出しちゃってて、真っすぐにこちらに飛んでくるイメージ。
斬新でどこまでも自由になれるんだな、演劇は。
と感じながらも、古典にしかない品格と奥深さにうっとり。
すみません。
取り乱しました。
これまで気付かなかったケント伯爵の魅力
お気に入りのシーンや登場人物はいくつかありますけれど。
前回紹介した荒野のシーンもそのひとつ。
あとは、道化とリアとエドガーの「狂人トリオ」の掛け合いも。
でも、今回初めて、
「ケント、めっちゃいいな」
って思いました。
第一幕一場。
末娘、コーディリアの言葉に激高し狂い始めるリアに対して、ケントが取った行動に不覚にも泣きそうになりました。
じゅわっ。染みた。
全権を握る王に、口から出まかせで褒めちぎり
その権威と地位、財産をむしり取ろうとする人たちの中で、
ケントは、あくまでもリアのためを思い、リアが聞きたくない言葉を放ち続けます。処刑されることも厭わず。
高橋克実さん演じるこのケント伯爵。
今までこんなに、目も耳も釘付けになったことはなかったです。
俳優や演出家によって、いろんな表現法があるでしょうけれど、
ここの
「リア!」
の一言で、心がぎゅいん!と、ギアを変えたような気がします。
耳を塞ぎたくなるような、目を背けたくなるような苦い真実に、
あなたに見えないなら、私が見えたものを見ろ。
と言うケントの、リアに対する愛情がこんなにも深く、こんなにも真っすぐであったことを知ったのは、昨日が初めてではないでしょうか。
震えました。
空間の密度
あとなんかねぇ、
生意気なこと言うようですが、劇場全体の空気がとろっとしてたように感じました。
「何言っとんねん」
そうね、そうなるよね。
でも、シーンが進むにつれて、そう感じちゃったんだもん。
グロスターの言う通り、人間(humanbeingと言いたい)は所詮神にとって、面白半分になぶり殺されるハエみたいなもので、そう思うともう虚無に陥りそうになるんだけれど、
要所要所で”血”が流れることで、あ、ちゃんと生きてたんだ。って思い出したり。
愛おしいんだか憎いんだか、生きたいのか死にたいのか、
もう分かんなくなっちゃって、でも結局はぜんぶ同じことで、目には見えない濃密な”何か”で、みんな繋がっているから、
不用意に動いたら、隣の席に座っている人の空気をも曲げてしまいそうで、
だから、
だからリアの叫びは私の叫びでもあって、エドマンドの叫びでもあって、
すみません。
取り乱しました。
乱れるのよ
どうしても乱されるのです。
私にも専属の道化がいたらなぁと思うのは、私自身が自分の中の狂気を認めたからなのか、全くの逆で、全然認めようとしないからなのか。
分かりません。
分かりません。
こんだけ語っておいてなんなのですが。
結局まだ、私はきっと何も分かっていません。
気付いたらリーガンが、スニーカーに履き替えてたのには笑いました。
痛かったんだ。靴擦れしたんだね。
もう、繕うの疲れちゃうもんね。
私は誰かの親であったことはないから、どうしても子の立場から物事を捉えようとしがちですが、
「心に一人のケントを!」
そう思いました。
誰かのことを慕い、敬い、愛し、そうすることで得るものは、たぶん目には見えなくて、そのことに気付けば目なんかもはや要らなくて、
視力を失って初めて気付く、本物の愛もあるんですね。
あるんですかね。
きっとあるね。
余韻から抜け出せない
あーもう一度観たい。
もう一度、あの世界に浸したい。
忘れかけていたけれど、うちら、無力で愚かな人間なのよね。
なんで着飾っちゃうんだろう。
違うものに見せようと、違うものを見ようとしちゃうんだろう。
シンプルに、愚かで未熟だからかね。
程度の差こそあれ、みんな裸の王様よね。
そりゃ孤独だわなぁ。
その中で、無に帰することに成功した人たちは、
「神」と呼ばれて崇められるのかしらん。
もっと、もっと話していたいのですが、
どんどん迷宮に迷い込んで、心が疲弊しそうで危険な気がするので、
今日はこのへんで終わっておきます。
また書くかも。
リア王、素晴らしかったです。
本日大阪千秋楽。
おめでとうございます。
公演の成功を心よりお祈りいたします。
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