ぱぱぱぱーん!まずは店主の自己紹介
開業物語を紹介するにあたって、まず何から話したら伝わりやすいかな〜と考えたのですが、店主神戸の自己紹介からはじめたいと思います。
群馬県出身。33歳。小さい頃からフルーチェとかゼリーをつくるのが好きでした。ショートケーキは生クリームが嫌いだったので、誕生日は特大ゼリーにろうそくを立ててお祝いしてもらっていました。普通に高校に行って、普通に大学生になろうと思っていたら、センター試験をとんでもなくつまづいた勢いで、なんとなぁくパティシエの専門学校に入りました。パティシエの専門学校に入ったのも、美容学校にいくか、調理学校にいくか、少しだけ迷ったけど、一番女の子にモテそうで、華やかそうな製菓製パンの専門学校に気づいたら入っていました。
専門学校のころは、華やかな世界に憧れて、都内有名ホテルや有名レストランなどに就職しようとしましたが、どれも落っこちて、自宅から通える老舗洋菓子店に就職することになりました。
就職してからは一年目で仕込みと窯のポジションに配属され、焼き菓子やスポンジなど、50種類ほどのアイテムを製造していました。二年目もデコレーションケーキの仕上げや、ケーキプレートのイラストを描いたり、数多くの業務を任されるようになりました。その頃専門学校の同級生は、まだ販売員として働いている子が多かったので、調子に乗っていました。その勢いで、上京。都内の二つ星レストランに転職します。
二つ星では、一番下っ端の鍵当番からのスタート。一緒に上京した当時同棲していた彼女の勤務先に近いという理由で家を決めたため、自宅から職場までは1時間半かかりました。(ちなみに彼女は徒歩10分。泣)
朝6時半に鍵を開けるため、5時過ぎに家を出て、終電の25時過ぎに帰宅する毎日。さらさらヘアーがトレードマークだった神戸くんは、レストランの決まりで1cm以内の坊主に。仕事もできると思っていたけど、なかなかうまくいかず、レストランの先輩にはべんぞうさんに似ているといじられ、よく蹴られていました。(絶対許しません。)
そんな生活が続いて、会社の車をぶつけたり、精神的にも肉体的にもやられて、ある日6時半出勤のはずが、鍵開け当番の神戸が現れず、ケータイに何度かけてもつながらなかったため、緊急連絡先だった親に連絡がいきました。父親が鍵を持っていたので家の中に突撃すると、布団に倒れている息子が。なんと15時まで爆睡していたのでした。
そんなこともあり、1年足らずで退社。
そのあとは、リッツカールトンホテルの短期バイトに行ったり、mixi全盛期だったので、副業を模索し、怪しい投資話に引っかかったり、ネットワークビジネスに引っかかりそうになったり、貴重な経験をさせていただきました。
そのあとは、自分の力を試したくなって、レシピを作ってお客様に提供できる仕事ということで、オイスターバーのパティシエとして銀座のレストランで働き始めました。正社員になれるはずが、入社一週間後に3.11の震災が起きて、契約社員としてしばらく働きました。その頃、当時付き合っていた彼女がガールズバーで働きはじめて、ピンク色の衣装だったから”ももちゃん”という源氏名をつけられた、とよくわからないことを言い出して、別れました。
オイスターバーでは、「二つ星からパティシエが来たぞ!」とチヤホヤされて、また調子に乗りました。パティシエの業務以外にも、牡蠣を剥いたり、前菜やスープを作ったり。料理人の近くで働いていたので、料理にも興味が出てきました。その時の経験はいまでもすごく役に立っています。
そこでシェフに教えてもらい、全粒粉のパンを作って、なかなか思うようにいかなかったのがキッカケで、パンにも興味を持つようになりました。
昔から”お店を持つこと”は意識していましたが、その頃に「パンと焼き菓子の店」にしようと思いました。mixiでいろいろな人に会って、商売について考えたこともあり、ケーキ屋さん一本で商売するのはキツイと。ケーキ屋さんだと誕生日など特別な日にしか利用してもらえないけれど、パンであれば下手したら毎日でも足を運んでもらえるお店になる、そんな風に考えました。
長いですね。神戸ものがたりはもうちょっと続きます。
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