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ぱぱぱぱーん!まずは店主の自己紹介【中編】

さてさて、前回からの続きです。

オイスターバーでは、銀座という土地柄もあり、客単価1万円程度のしっかりしたレストランだったので、デザートにも力を入れていました。いままでのお菓子屋さんやレストランでの経験を活かして、月替わりでコースメニューのデザートを考えたり、結婚式の二次会のケーキを作っていました。

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自分のデザートのためにお店に来てくれるお客さんがいたり、当時の店長が積極的にお客さんの元に連れて行ってくれて、お話しする機会もあって、自信に繋がりました。

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オイスターバーで計3年程働き、次はパン屋で働こうと決意しました。当時パン業界でトレンドだった、「低温長時間発酵」という製法で、パン作りをしているお店に絞って何箇所か面接にいきましたが、武蔵小杉のブーランジェリーで働くことに決めました。そのお店のシェフは、メゾンカイザーが北海道洞爺湖のウィンザーホテルに初出店したときのシェフで、当時クロワッサンを北海道の大丸の催事で100万円売り上げたとか、過去最高売り上げを更新したとか、自慢気によく話していました。(この時はこのあと僕自身も、クロワッサンの名店メゾンランドュメンヌに入ってクロワッサンを1日1500個以上作ったり、西武池袋の催事で120万売ったりすることとは知らずにスゲーと感心してました)

そのお店でもクロワッサンが一番売れる商品で、そこで本格的にはじめてクロワッサンに触れました。そこで当時付き合っていた彼女が、六本木にある有名パン教室”エコールルバンダンタン”で働きだして、日本初出店でその系列であるフランスのパン屋「メゾンランドゥメンヌ」が日本に進出するためにスタッフを募集している、という話を聞きました。その話を聞いて、彼女にアポを取ってもらって社長と面接。めちゃくちゃ話がうまくいって、「とりあえずフランス研修いっちゃう?」みたいな感じでその一ヶ月後にはフランスに渡っていました。

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そのときはパティシエの二番手(スーシェフ)として働く予定でしたが、僕がパンの研修もしたいと伝えたこともあって、三ヶ月の研修の中で、パン(ブーランジェ)、ケーキ(パティシエ)、クロワッサンやキッシュなど(トリエ)のセクションを一ヶ月ずつ回れることになりました。

まずフランスに行くというだけで、飛行機に乗っているときから、心臓バクバク。研修先が部屋を用意してくれていましたが、なぜか住む場所が一ヶ月分しか決まっていなくて、二ヶ月目以降は自分で探さないといけなかったので、どうしようどうしようという感じで。部屋も屋根裏部屋のようなせっまい部屋で、共同のトイレに便座がないことが衝撃的で。どうやるのかすごく悩みました。みんなマイ便座持ってるのかな。そもそもどっち向きで座るの?みたいな感じで結局みんながどうやっていたのかはわかりません。

職場はランドゥメンヌの二号店で、マルティーヌ通りというとても有名な通りにあって、小さいお店ながらバケットが一日400本?とか出るお店に配属されました。勤務初日に12時頃にお店にいって一日の流れを教えてもらい(フランス語だから全然わからない)、もう翌日には遅番のスタッフはほぼ一人にされて、訳もわからずがむしゃらにやっていました。特に夕方はお客さんの量を見極めてバゲットを調節して焼かなくてはいけないので、初日は全然足りなくて怒られたり、逆に次の日はすごく余らせてしまったり、大変な毎日でした。

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ただバゲットを小麦粉30キロとか、時には50キロとか、日本では考えられない量をまわすので、その辺は楽しかったです。研修の割に使えると思われたのか、研修でゆるゆるできると思ってたのに、歯車の一つとして働いていました。特にバゲットは上手だったのか、なぜか”バゲットスター”との異名も頂きました!


次はパティシエの研修。パティシエはクリッシー本店の地下に工房があって、ネズミが対策で厨房に猫ちゃんを飼ってたのが衝撃でした!そこでもとんでもない数のタルトやらフランやら日本とは桁違いの仕込み量とフランス人の雑さに驚かされました。

その頃、部屋が結局見つからず、日本人の経営するドミトリー(一泊20ユーロ)にお世話になることになり、そこでもパリコレに出る美容師さんやデザイナーさん、映画監督を目指す方や、ショコラティエに会うことになり、色々刺激的な日々でとても楽しかったです。

なにより宿の店主が1番刺激的というかもはやスパイシーな程にやばくて、顔以外はほぼ全ての肌が刺青だらけだしフランスの軍隊に所属してたらしく身体もバッキバキ。ある日バーで喧嘩になったらしくスタンガンで打たれてボロボロになって帰ってきたり、コカインやってたらしく幻覚や幻聴があるのか夜中に怒鳴り声が聞こえたりとテンションの上がり下がりが激しくて大変でした。ある日夜中に助手というか使用人みたいな人がボコボコにされていたり、泣き叫ぶ声が聞こえてきて全く寝れませんでした。やばすぎて早く出たかったんですが、他に家も見つからず、あまり関わらないようにして最後までお世話になりました。(どうかあの宿は摘発されて、店主には制裁が下され、使用人のアンドレアは解放されて幸せになってますように。)


研修は最後のトリエ。クロワッサンやブリオッシュ、キッシュやタルトを製造しました。そこでは当時のランドゥメンヌ全8店舗分?のクロワッサン等を仕込んでいたので、朝番と夜番でローテーションしてフル稼働していて、一日5,000〜6,000個(もっとかも…)を作っていました。少ない人数でかなりの量のクロワッサンを作るので、そのスピードについていこうと毎日必死でした。

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僕がフランスに居た時期はちょうどガレッドデロアの仕込みが始まる時期でもあったので、毎週日曜日にはほとんどガレッドデロアだけを鬼のように作っていました。当時恐らく1万だか2万台を仕込んで冷凍しておくと言っていたと思います。とんでもない量だった…

これもフランスならではの体験なので、今思えばすごい貴重な体験だったと思います。

そんなこんなで日本に帰国。その二ヶ月後にメゾンランドゥメンヌジャポンが日本初出店することになります。

神戸のものがたりもう少しだけお付き合い下さいね♡


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