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優等生の成れの果て

中学のころやんちゃして問題児だった人が、大人になってまるくなって、心入れ替えたように働いて結婚して子どもまでいて、幸せにしている。

そういう人、わりと褒められる。見直したとか、偉いねとか。なんだか人当たりも良くて、いい人って思われる。


私はそういう人を見るとふざけんなって思う。心狭いけどそう思う。

さんざん人に迷惑かけといて、いま更生したからって昔のことチャラにする気かよって。ふざけんなって。

そういう人間のおかげでこっちは中学時代大人の期待も生徒の期待も全部背負いこまされたんだぞ。学校で四六時中やんちゃしてたお前たちに怯え、ヒエラルキーの下っぱで肩身の狭い思いしながら、学級委員とか役員とか、そういうお前らがやりたくなくて放棄してたこと全部したんだぞ。

先生たちもお前たちに手を焼いてたからこっちのことなんて見てない。真面目に頑張ってて偉いなあいい子だなぁって思いながら、決めなきゃいけない役員ややらなきゃいけない行事をしてくれる都合のいい子でしかなかったんだよ私たちは。「あなたならしてくれる」という暗黙のメッセージがあったんだよ大人から。それを招いたのはお前たちだ。

あの時やりたくないことから逃げまくってなんなら何も悪くない私たちに恐怖心まで植え付けて、挙句の果てには真面目にしてる人間を見下してまでいたお前たちが、なんで今幸せに暮らしてんだよ。

私はな、中学3年間で全部消耗させられたんだよ。お前らが先生や生徒を困らせるから、それを助けたい一心でできることをやってた。そしたら先生たちや生徒はどんどん「君ならできるやってくれる」に変わっていって、私が期待を一身に背負う羽目になったんだよ。部活もできて成績も良くて真面目でいい子な優等生。そういう生徒が一人でもほしかったんだよ学校は。そういう生徒がいれば自分達は間違ってないって先生たち大人が安心できるからだよ。いつもありがとうとか言いながらやってほしい仕事はどんどん私に流れてきたよ。私はへとへとだった。

案の定中学卒業と同時に燃え尽きたよ。何も頑張れなくなった。少しでも辛いと感じることは続かなくなった。心が一度壊れると治すのは大変なんだよ。わかんねえだろうけど。
もういい大人なのに仕事も頑張れないほぼプー太郎の落ちこぼれだよ。いつまで親の脛かじってる優等生なんだよって毎日自分のこと責めてるよ。それでも頑張れないんだよ?馬鹿みたいだろ。

それなのになんで好き勝手したお前たちがいま幸せにしてんだよふざけんなよ。先生だって、手を焼いた生徒のことのほうが覚えてるんだ。あんなに反抗して大変だったあの子が今やパパママかぁなんて懐かしみながら。君たち先生をあのころ死ぬほど助けた優等生の記憶はどこですか?忘れたんですか?

優等生なんてもの存在しないと、全ての教育者には思ってほしい。


中学3年間は私にとってただの自己犠牲だった。あんなに優等生だった私が「いまは何も頑張れる気がしなくてプー太郎です」なんて言っても、誰も助けてくれない。養ってくれるわけでもない。これがいまの教育だと思う。責任も取れない記憶にも残さないのにすりへらしやがって。許せない。許せないよ。

なんでこんな惨めな思いしながらずっと生きなきゃいけないんだよ。あの頃どれだけ先生に褒められても、お前たちに怯えてひるんでいるかぎり惨めだったよ。今は生活が対比されて惨めだ。いったいいつまで苦しめる気だよ。ふざけんなよ。

わたしの3年間ないし人生なんだったんだよ。なんなんだよ。


ぱんなこった

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