組織の内外という「境界」で繰り広げられる茶番と、希望の物語。
昔、といっても5、6年前といった距離感だが、以前よりも挑んでいる問題が難しくなっていると感じる。
うまくいっていないということははっきり分かるが、その原因が明確に言語化できないでいるプロダクト開発の現場であったり。ビジネスモデルの限界を抱えながらそれでいて変われる芽が、見出だせない組織であったり。組織が抱える構造的な「負債」が、積もり積もって数十年ということもある。
どれも手強く、容易にはたどり着けない。もとより確かな勝ち筋を見出すことも難しい。出来ることは「仮説」を立ててみること。そして、それを漸次的に進めていくこと。
そういう環境、状況で、一般的に流布するソリューションをそのまま持ち込んだところで歯が立つはずもない。売り物、伝わりやすいように洗練化され、パッケージ化されたものをあてたところで、だ。
これも一昔前なら、「役に立たないソリューションを引いてきてはものにならず」ということを、ひたすら繰り返すだけだったのではないか。今は少し違ってきているように思う。
私も外から組織に関わる身ではあるが、単純にソリューションに飛びついてどうにかしようという話はあまり耳にしない。さすがに何某かのツールを導入してどうにかなる、という認識は薄くなってきているということか。
扱う問題が組織に根ざしたものである以上、問題の背景を探っていく際も、解決に向けて実行する際も、変数が多い。
過去からのしがらみ、今できること、体制の不足、組織間の溝、ビジョンの不在、短期的な成果の要求、反対意見・抵抗勢力、誰それと誰かが仲悪い、領域侵犯になるならない、マネージャーの理解、経営との認識合わせ…。
物事の側面が多すぎて、立体をイメージしようとするなら、超多角体、あるいは球体のようになってしまうだろう。そこに経時的な観点も加わると、もはや展開を読み切ることは不可能だ(だからこそ、アジャイルに臨む必要があるのだが、それは別の機会に取っておく)。
こうした組織課題をもちろんどうにかする必要はあるから、組織の外部から「提案」をもらおう、という運びになる。あるいは、外部からどうにかして「提案」を通そうという力が高まっていく。
しかし、外からは組織内の変数などほとんど見えない。過去の経緯まで含めるとほとんどが闇だ。そんなしがらみ、かえって分からないほうが良いのではないかと思うかもしれないが、そこを黙殺して結果が出せるならまだ簡単な問題を相手にしているということだ。
この事実を組織の中の人間も、外部も、認識が足りない、あるいは甘く見ていると痛い目にあう。痛い目にあうというか、ただの時間(とお金)の浪費になる。
組織内の変数がほぼ見えていない中でソリューションを組み立てようとするとどうなるか? 当然的外れになる。あまりにも的外れだと提案が通ることはないから、作戦はだいたい2つになる。
一つは、解決対象を局所的にすること。例えば、ソフトウェア開発(だけ)やります、あるワークショップ(だけ)やります、整理してこれこれのドキュメント(だけ)をつくります。この提案は意図的な場合も、意図せずの場合も、両方ありえる。どちらの場合でも、結局期待があっていなければ残念な結果にしかならない。
これらは局所的なアプローチなので局所課題はむしろ解決できるかもしれない。ただし、本質には迫れない。
しかし、後でも述べるようにそもそも組織内変数を捉えることは容易なことではないから、外部のちからを局所範囲に留めるというのはかえってクレバーな選択、運用といえるかもしれない。
もう一つは、おなじみの作戦。事例や実績でソリューションが有効であると見せること。結局のところ、ソリューションが良いかどうか組織側も判断できないから、判断基準として実績を求める。
一方、外部側ももちろんそのことを分かっているから、いかに事例や実績で塗り固めるかが勝負になる。国内外問わず、場合によっては自社の実績ではなく、世の中に転がっているケーススタディも借りてきて提案を補強する。
これが極まると、会社としての実績はあるかもしれないが、いざはじまったプロジェクトには必要なケイパビリティを備えたメンバーがいない、という不思議な状況がありえる。こういうのを茶番と言う。
茶番を防ぐための一例。
となると、何が状況を突破する手がかりとなるのだろう?
つまりは、組織の中の人のように組織内変数(状況や条件)を把握し、中の人として問題解決の実行にあたる、そんなスタイルが望ましいということになる。私が手掛ける仕事も今となってはこのスタイルがほとんどになっている。
中の人のように、も度合いが伴う。"よそよそしい中の人" で通じることもあれば、それでは上滑りする場合もある。どこまで、中の人らしさを得られるのか。それは仲間になるということであり、仲間として認めてもらうことだ。
これはハードルが高い。もとより異なるコミュニティに外部から入っていって関係を築き、結果を残していく事自体が難しいことであるし、従来の基準からすると「割にあわない」問題もある。
それだけの意思、思いを込めたところで、分かりやすくビジネスが大きくなったり、広がったりするわけではない。むしろ苦労を背負い込みに行き、結果として何にもならないことのほうが十分にある。
それでも、やれるか? ということだ。たいていの場合、従来のビジネスモデル、従来のビジネス感覚では、割にあわない。たとえ、火中の栗を拾う本人が火傷を辞さずと心意気をもっても、組織的な判断は難しい(ここでいう組織はソリューションを提供する外部側の組織のことだ)。
さらに、一方でと思う。人材流動性の高まったいまや、組織の中の人も、外部も、やはり見分けがつかなくなってきているではないか、と。
2〜3年で中の人が組織を諦めて出ていってしまう環境と、外から関わっているが2〜3年がかりでも組織を何とかしようとする状況と。そこに、雇用契約なのか、業務委託契約なのか、その言葉の表現以上の違いが果たしてあるのか。
状況を突破しようと駆使する手段も、何を目指して取り組んでいくのかという目的、ビジョンも、その場所をどうにかしたいと思う人の気持ちも。組織の内外という分けによる「認識」をむしろ逆転させなければならない現実も実在する(そういう技量と、当事者意識と、心意気を持っている人を外から見つけられたら大事にしてよね!)。
最初から局所最適化でいくか、外部を中の人として巻き込むか。また外部側からすれば、火中に手を入れる覚悟が持てるか、双方が問われる。
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