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プロダクトづくりという名の採掘活動

 デジタルプロダクト(ソフトウェア)として何があれば役に立ったり、意味があったりするのだろう。分かりきっている場合もあれば、全然検討もつかない場合もある。だから、現実世界とそこで行われる営みに対して、仮説というシャベルを当てて「情報」を得る。

 探索していると、なるほど、例えば仕事探しをする状況に在る人が何を使って探したり、どう考えて、どんな判断を下すのか、おおよそ分かった気になってくる。情報が、具体的な「行動」、行動に伴う「感情」「思考」、その結果として「課題」に落とし込まれていく。

 この状況下にあるこの課題を解決すると、価値があると感じてもらえるかもしれない。課題を解決する具体的な手段として「機能」を見出す。機能を使ってもらうためには、インターフェース「形態」が必要だ。

 こうして何も無かったところから(あったのは現実というリソース)、具体的なデジタルプロダクトのイメージが出来ていた。最初あった情報から、行動や課題という理解ができて、必要な機能と形態を導き出すことができた。どれもこれも「価値」との繋がりがある。

 生の「情報」は価値の原石だ、どれかは価値に繋がっている。「行動」や「課題」は、利便性を上げたり解決することで価値になる可能性がある。「機能」があるから価値を得られて、「形態」があるから価値に触れられる、かもしれない。価値は実際には個々人に芽生えて、主観的に感じ取るものだ。価値が芽生えるかどうかは、使ってみるまでは分からない。

 課題は解決に値する課題ではないかもしれない。機能は課題に対して的はずれでしかないかもしれない。形態は意味不明で使えないかもしれない。一つ一つ反応を捉えて、価値が芽生えるまで調整を続けていく。そうしているうちに価値は確かに感じてもらえるが、その提供に対する「対価」が見合うものではないと分かり、ビジネスにはならないかもしれない。

 めたらやったらに原石(情報)を掘り当てて、いきなり機能と形態を作り込んで、それが石ころなのか、宝石なのかと、人に聞いて回るのは、運任せに近い。いくら、たくさんの機能とすてきな形態が備わっていても、価値との繋がりが無ければ全く用をなさない。

 だからこそ、現実世界にあてる最初の仮説の立て方、得られた情報の解釈の質が問われることになる。筋の良い仮説や解釈を得る手段の一つは、自分自身が対象であること。検証が早いし、目がくらんでなければ解釈の正確性も高められる。仮説をあてる先が自分から離れていく状況ほど、何らか別の補完が必要になってくる。対象の環境に身を置いてみて、自分の五感で感じ取って認識できる情報を増やすなど。そうして、また原石(情報)を磨いて、あたりを探しにいく。

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