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1年かけて「成果がない組織」なんてないんだ。

 早いもので年度末を迎える。相も変わらず、この時期はさらに忙しくなる。こちらだけではない。クライアントも、関係者も、皆拍車がかかり、気もそぞろという様相だ。
 多くの企業が3月頭に人事の異動発表を行っている。それにめがけても落ち着かなかったが、今度はそれを終えてからまたちょっとした混乱が起きている。これから始める1年の方向感にもとてつもなく大きな影響が出る。ガチャにも似た不確実性が気を惑わせるとともに、何かチャンスへと変えようとする前向きさも加わった特有の状況になっている。

 本来は殊更の意識をせずとも、やるべきことをやり、やりたいことができているのがありたい姿かもしれない。8月31日に切迫した思いを持たずとも宿題は進捗され、1月1日ではなくても気を新たにできるほうが本質だろう。
 そういう理屈はありながら3月には、2月の次、4月の一つ前、という位置づけ以上の特別性がある。皆の認識に「ゆらぎ」が起こるこの時期の特殊性をいかさない手はない。

 月並みだが、少なくともこの1年の「ふりかえり」と「むきなおり」に取り組もう。当然だよな。この時期に行わずして、如何とする。忙しい? いやいや。はっきり言って、1年に1回組織のふりかえりができなくて、大いなる仕事ができるはずもない。DXだとか、組織変革だとか空々しい。DX白書での言及よろしく、1年に1度の適応が組織に無いということだ。

 なによりも、1年の「成果」に向き合いたい。たとえ成果らしい成果があがっていないかなと思えてもだ。1年組織ぐるみで手抜いてサボり続けてましたということはないでしょう? 
 目覚ましい結果が短期記憶の中にはなかったとしても。何をやったという行為は必ずある。その中に、必ずこの1年があったからこそ分かったこと、言えることがある。それがそのチームにとって、あるいはその組織にとっての成果なんだ。

 成果を捉えたら、組織の外と比べてはいけないよ。DX銘柄に並んでいる事例と比べたら…日経なにがしとか記事に書いてあったあれに比べたら…。そういう比べ方しなくても足りないことは分かっているじゃないか。比べるのは良いにしてもそれを自分たちの「評価」にしないほうがいいかな。

 あくまで、比べるのは自分たち自身とだ。つまり相対的にどれほどの歩みが得られたのか。1年前の組織と比べてどうか。1年前の自分たちが言っていたこと、やっていたことと、今を比べたらどうか。1年前の自分たちは今使っている言葉を使っていただろうか。意外と、差分があることに気づけるはずだ。それがそのチームにとって、あるいはその組織にとっての成果なんだ。

 それでもあんまり差分がなかった? じゃあ、この1年を繰り返している場合ではないことが分かったね。それも成果だ。


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