それは『心配』か、はたまた『不信用』か。
やってみなければできるかどうかも分からないことを
『まだ1度もやったことがない』
という理由だけでワタシは子どもの挑戦を止めそうになった。
保育園の園庭。
少し難しそうな遊具の前、ムスメは興味津々な表情で他の園児の後ろに並んでいた。
高さもある鉄の遊具。
その様子を見てワタシが真っ先に思ったのが
『危ない!まだ早い!』
そんな心配が先走しってしまった。
だが、その遊具を監視していた先生は違った。
『できる!できる!』
そう信じて、ムスメを最後までその遊具で遊ばせた。
最後までやり切ったムスメの表情は自信に満ち溢れていた。
それを見て、物凄い虚しさと恥ずかしさを感じたことを、今でもはっきりと覚えている。
まだ早いんじゃないか。
まだ危ないんじゃないか。
ケガを負ってしまうんではないか。
ワタシはそうやってムスメを心配をしたつもりだった。
その心配したつもりのどこかで
『この子にはまだできない』
そう勝手に決めつけていた。
ムスメを信用していなかった。
ワタシは我が子がカワイイという気持ちばかりを優先させて、そのカワイイ我が子の可能性を奪うところだった。
きっとこの先も、何かに興味を持った我が子の背中を押す時には期待と心配が一緒についてまわるだろう。
この時に『心配』を優先して止めてしまうのか、はたまた『信用』を優先して最後までやらせてあげるのか。
この違いは大きい。
親も強くならなければ。
やる気に満ちて輝いている子どもたちの目を曇らせないように
心配しつつも信用してあげられるように
親も強くならなければ。
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