誕生日という概念。
『年に1回、自分が主役になって祝ってもらえる日』
子どもの頃から嬉しかった誕生日。
『おめでとう』を言ってもらえる。
ケーキを食べられる。
プレゼントをもらえる。
喜ぶ理由が十分過ぎるほど詰まっていた。
『○月○日があなたの誕生日よ』
この言葉を聞いた時から、毎年『○月○日』は自分が主役になる日だと心を踊らせていた。
『○月○日は、自分が生まれたからお祝いの日』
そう思い込むのが当然だった。
それが少し成長し、思春期を過ぎた頃くらいか。
親に対して素直な気持ちを持てる様になった頃、考え方は大きく変わった。
『○月○日は、自分を産んでくれた親に感謝する日』
今までは『おめでとう』と言ってもらう側だったが、本当は『ありがとう』と言う側ではないのかと、自分の中のスイッチが切り替わった。
成長させてもらい、今の自分がいることに対しての感謝の日。
子どもの立場なりに、その頃からはそう思い込むようにもなった。
それが親になった今。
あの頃のワタシが思っていた通り、子どもたちの誕生日に子どもたちから『ありがとう』と言われたいか?と自分に問うと
もちろんそれも嬉しいけど
やっぱりそれ以上に心の底から『おめでとう』と言ってあげたい。
『生まれてきてくれてありがとう』と言ってあげたい。
親って、子どもの頃のワタシが思っていた以上にもっとシンプルだった。
またひとつ年を重ねた姿を見られる喜びさえあれば、それで十分なんだな。
ワタシの中の誕生日という概念。
『自分が主役』から『親への感謝』に寄り道し、結局『あなたが主役』へ気持ちが1周して戻ってきた。
親になると、誕生日ひとつでもいろんな気付きがあるもんだ。
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