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バンドマンパパのドタバタ起床戦記 episode3 完結編

そんなこんなの日々をやりくりしながら、去年は長女が小学校に、次女が保育園に入った。まあ、普通に考えて、これは激変だったよな、、、と、ほぼ一年経ったいまは思う。

夏頃までは、勢いと義務感で、親子ともども、どうにかやっていた。本を出したり、ライブに出たり。会社の仕事量も右肩上がりだった。仕事量の増加に伴って、周囲との衝突が増えていた。こんなはずじゃない。自分は何をやってるんだろう。そして、夏休みが明けたあたりから、生活に変調が発生した。

長女が、学校に行きたがらない。朝、家を出られない。その表情には真剣な苦しさがあった。

そして自分自身も調子をくずしていった。自分がなんとかしなければ、自分がしっかりしなければ、、、そう考えれば考えるほど、歯車が狂っていく。

苦しみがピークに差し掛かった頃、とにかく本を読んだ。現実的な仕事上の成果とか、色々あるよしなしごとは、一旦、脇に置いた。とにかくその苦しみが一体なんなのか、考え続けずにはいられなかった。

精神的な遍歴のなかで、少しずつわかってきたのは、ねばならない、という思考が悪さをしているらしい、ということだった。

学校には、行かねばならない。部下は、守らなければならない。顧客との約束は、破ってはならない。サボってはならない。善良でなければならない。無能であってはならない。電気を無駄にしてはいけない。ご飯を残してはいけない。

や、それはたしかにそうなんだ。けれども問題は、それができない自分や身の回りの人がいたときに、その存在を否定してしまう心の働きだ。

自己嫌悪は、不安を暴走させる。ねばならない、は、もし達成できたとしても、次々と次の、ねばならない、を繰り出してくる。試練を課してくる。自己嫌悪こそ、永遠に囚われ、解放されない煉獄の入り口なのだ。お腹が空いて、身体が冷えること。身の回りが片付かないこと。そんなときに、自己嫌悪は静かに心に染み込んでくる。

そこに対して人はどうしたらいいのか。

ただ「笑顔でいること」、そこにこそ答はあるし、そこにしか答はない、そんなことを教えてくれたのが、ひさとしメンバーが書いてくれた歌詞だった。や、もちろん勝手に彼の言葉に私が意味を感じただけで、いささかそれが過剰だったんだけど。

でも本当に「いつも笑顔で  それだけで」という言葉に目から鱗が剥がれ落ちた。

油断すると立ち上がってくる、ねばならない、に流されないこと。思い通りにならない現実に対する執著を手放すこと。苦しみとは、そこから発生する。そんな心の問題を解決するためには、頭の中でぐるぐる考えても、仕方ない。無理矢理でもいいから、笑顔を作る。うまくできなくても、不恰好でも。掃除して、洗い物して、洗濯を干して畳んで。バランスよく食べて、風呂に入って、温かくして眠る。そのほかのことは、あるがままを受け入れる。理想と違う現実を否定しない。先を急がずに、静かに、ゆっくりと話す。

円相の掛け軸を買った。見つめ続けてそんな風に考えた。

すぐには現実は変わらないけど、少しずつ変化は訪れた。おかげでいまは、随分と状況は良くなった。

自分の都合でこうしよう、ああしよう、こうさせよう、ああさせよう、とは考えないように努める。そうすると、不思議なことに「こうだったらいいな」に、結果的に、近づく。

仕事のうえでも、本気で、人の苦しみを取り除くコンサルティングをしたい、と、いま、思っている。やりたいことの見つからなすぎる人生でここまできてしまったんだけど、なんか、これが、自分の人生を賭すテーマなんじゃないかなぁ、と。

できるだろうか。人の苦しみを除くことに、幸福を感じられるだろうか。苦しみが多すぎて、みんなはみれなくなったらどうしようか。この人の苦しみは除きたくないな、と、思ってしまったら、どうしようか。

それはまだ、わからない。お釈迦様やキリスト様は、そんなことには悩まなかったのだろうか。わからないけれど、まあ、それはそれとして。

一時的かもしれないけれど、そういうふうに思える自分が、いまここにいることに、安心も感謝もしている。怒り狂ったあれやこれやも、恨みに思ったそんなこんなも、いまならありがとうと言いたい気持ち、なくもない。不義理をした友人知人の皆さんにお詫びしたい気持ちも、ないこともない。

しかしなんで、除くと覗く、同じ音なんだろう。

まあいいや。しかし我ながら、朝の早起きの話がよくもまあここまで脱線したものだ。重い話ですみません。ほんとは、もっと軽くて為になる、ライトなノウハウ記事を書こうと思ってたんです。ハッシュタグもいっぱいつけて、いいねとか、フォローとか、増えたら良いなって。

ほんとだって。

でも長々と連載してきて、ここにきて、自分は何かを語りたかったんだな、ということに気付いた。そして、それと同時に、語りたかったことの大半は、これで一旦、吐き出せたような感じもしている。

やー、しかしまあ、ほんと、振り返ってみれば、なかなかシビアな状態で音楽を作っていたものだ。それが明るくて毒っ気のない作品に仕上がった不思議。ひさとしメンバーの歌詞の力に導かれたのかなと思う。

さて、本当に、重い話はこれでおしまい。この先は、単純に、楽しいことや面白いことがアウトプット出来れば、と。

(ようへい)


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