お仕事/働く
「憶えて慣れる」を作法としている仕事は、AIに敵わないでしょう。
彼らは24時間×365日、電気だけ食わせておけば、たまに必要になるメンテナンスの手間以外、昼夜を問わず働き続ける、有給休暇も取らず、もとよりヒューマン・エラーはない。
数値化できるものだけじゃなくて、言語情報だってディープ・ラーニングなAIは人間の能力をはるかに超えて情報を蓄積し、その情報を的確に組み合わせて、「秒」で答えを出す。チャットGPTが汎用されれば、並のフィナンシャル・プランナーは失業だといわれている。
チャットGPTってカスタマイズが効くそうで、弁護士さんなどは、彼らをアシスタントに、今はさばききれない案件にメドをつけて、市井の僕らは、もっと気軽に弁護士さんお近づきになれるかも、と。そういう面もあるようだけど、いざ「就業」となるとね。やっぱり多くの場合、商売敵なんだろうな。たていの就業者は「労働」を販売して食ってるわけだから。
TVコマーシャルでよく目にする「らくらく清算」や「人事を通さず現場でビズリーチ」。広末さんが司令塔を演じている「テキパキと脳内会議で契約書」。楽になるというより、働く場がなくなってしまうのではと考えた方がよさそうだと思っている。
オックスフォード大学のマイケル・オズボーン准教授と、同大学の研究員カール・ベネディクト・フレイ氏の共同研究が「今後20年以内には、アメリカの総雇用者の約47%の仕事がコンピューターに取って代わられ消滅する」としたのは2014年。すでに「20年以内」の半分の時間が経過している。
駅の改札から人が消えたのは、アラ還の僕が中学生くらいだったか。あれからホームドアまでしばらくあって、でも、実際にホームから駅員さんが消え、電車から車掌さんが消え、今は運転手さんさえ消えようとしている。この間は加速度的だった。
法整備も「無人化」を後押ししているよう。
2013年。すでに協働ロボットの規制は緩和されている。改正前は80W以上のロボットは柵で囲い、人間の作業スペースから隔離することと定められていたけれど、改正後はユーザー(この場合、工場の持ち主)が、リスクアセスメントに基づく措置を実施し、労働者に危険の生ずる恐れが無くなったと評価できるときは、柵で囲うことなく人間と協調作業をしてよいと変更。このことによって、工場の容積からロボットの導入が難しかった工場が3,000人分の労働を3台のロボットに置き換えてしまったという事例がある。
長距離のトラック・ドライバーさんも法規制によって4時間以上の連続走行ができなくなった。このことによって昼間の走行は、ほとんどできなくなった。だって、あんなに図体がでかいトラックを停車させて休める場所なんて昼間の街にはないから。
深夜走行デフォルトになって、求人は一気に難かしくなったという。そりゃそうだ。そうでなくとも連続走行に限界が出てくるようになって距離を稼げず、ほとんど家に帰れないんだって。
ときどき「少子高齢化による人手不足」も、無人化に向けてのもっともらしい理由付けなのかなって思うことがある。ブルシット・ジョブは、すでに人間がやるべき仕事は、ほとんど残ってなくて「クソどうでもいい仕事」を捏造しなければ、人に「仕事」を供給できないんだという。
じゃあ、なぜ「無人化」
たぶん企業の収益効率が良くなるからなんだろうな。ベイシック・インカムが実現すれば、「収入」だって政府にハンドリングされてしまうことになる。そういう人が大多数になるだろう。
「家畜化」って言葉が、スーッと頭をかすめていく。映画「タイム・マシン 80万年後の世界へ」(ジョージ・パル監督/1960年/アメリカ)が描いた「西暦80万2701年の世界」を思い出す。
でもね。楽ちんかもしれない。
こういう時代をどう受け入れるか。べつにカッコつける必要はないんじゃないかな。こういう時代だから、自分の本音に聞いてみた方がいい気もする。働きたい人は働けばいいし、働きたくない人は働かなくてもいい。喰ってくための資金労働じゃなくて、社会のために働くって場もある。
だから、こういう状況を「賃金労働からの解放」っていう人もいる。儲かるわけじゃないから、こういう仕事にAIやら無人化やらは遠いところにいる感じだし。
それにね。
期待できるような世の中でもなし、期待できるような自分でもない。
「死ぬまでは生きていた」で充分じゃないかな。生きてるだけで、けっこう闘ってるし、健闘している。
つまりね。
「あるがままなり」ってやつでいいんじゃないかと。